>>737 つづき

出雲王朝は、製鉄の原料となる砂鉄を求めて朝鮮半島を支配下に置く

朝鮮半島に出雲王朝の痕跡が度々見つかるけれども、
朝鮮半島は、かつて、出雲王朝の領土だったのだから当たり前である
これを勘違いして、
「スサノオは朝鮮半島出身だ!」「日本の起源は朝鮮半島にあり!」
とか言うのはバカだ

それは「朝鮮半島は、かつて、出雲王朝の領土だった」ことの証明なのだ


秦の始皇帝の時代、
秦に滅ぼされて奴隷となり、長城の建設に使役されていた民族がいた
始皇帝が死んで二代目に変わって支配力が弱まったとき、隙をみて逃げ出した
流浪の民として中国大陸を彷徨ったあげく、朝鮮半島にたどり着いた

朝鮮半島は出雲王朝の領土だったのだが、基本的に人が良い和人は、
難民の彼らに領土の一部を分け与えてあげた
そうして出来た国が「辰韓」(しんかん)である

そうして月日がたち、中国は唐の時代になる
朝鮮半島は百済、新羅、高句麗の三国時代である

新羅はかつての辰韓である
和人が支配層として難民を管理・指導していたのだが、
クーデーターが起きて国を乗っ取られてしまった
かつての恩義を忘れ、国を乗っ取っただけでなく、
出雲王朝の領土だった任那、カヤ諸国も新羅は奪った

百済も出雲王朝の支配下にあったが、これも新羅は狙っていた
唐は高句麗を目の敵にしており、新羅と同盟を結んで高句麗を攻撃したい
唐が百済の攻撃に手を貸す代わりに、新羅も高句麗を攻撃する
という同盟が出来る

百済を取られると朝鮮半島の足場を全て失うことになる
出雲王朝は和の総力を結集し、百済防衛のために大軍を送る
こうして有名な白村江の戦いが始まる

なぜ、日本は総力を結集して百済を守ろうとしたのか?
たかが同盟であったならそこまでのことはしない

百済は日本(和=倭)の支配下、植民地であり、
即ち、日本の領土の一部だったと考えた方が合理的であろう

さて、白村江の戦いは和の大敗で終わる
そして >>641 に書いたことが起きる

古代日本、和国の歴史はここで終結する

多くの唐人が渡来してきて帰化人となり、
新生「日本」の支配層、指導者層として君臨する

これが日本における代表的な渡来人の歴史なのだ