>>938
倭王武の上表文が倭王武の記憶をすべて吐露したという考えはちょっと考え物だな。
一方、記紀編纂時の記録と倭王武の記憶が一致しているわけも当然ない。
ただ、記憶はけっこう後々まで伝承されるものだ。
一概に、記紀の記述はいいかげんだと言えるものでもない。
一例を挙げよう。大彦命だ。稲荷山古墳出土鉄剣で意富比垝と記載される人物が大彦とされる。
大彦命は考元天皇の第1皇子とされるが、詳細は記紀以外よくわかっていない。
だが、名前から考えて、壮大な征討伝承あるいは聖人統治伝承あるいは氏族統括伝承等があってもおかしくない。
要は古代英雄だったと思われる。だから、オワケの臣が稲荷山古墳出土鉄剣に始祖と刻んだのだろう。