>>972
ただの物好きな素人ですw

九州の遺跡、ちょうど弥生末期から古墳時代にかけてという事であれば
福岡の朝倉あたりに、平塚川添遺跡というのがあります。
竪穴式住居跡が300近く見つかっているなど、結構大きな遺跡です。
(方向的には奴国のあったと思われる博多・春日から東南に位置しているし
水行に当たりそうな川も筑後川しかなく、道程的には難しいですが)

邪馬台国の南にあっていがみ合っていた狗奴国に比定できそうな遺跡としては
方保田東原遺跡というのが熊本北部の山鹿市にあります。
ここも結構大きな遺跡です。
尤も、これらが邪馬台国につながるのかは判らない、というのが本当のとこですが

後個人的には、東征は考えづらいところがあります。
土器の分布は基本九州は九州内で収まっており(朝鮮半島などに行っている例もありますが)
あまり畿内への進出が見られない。逆は上に挙げたようにありますが

だから、仮に東征があったとしたら、結構な少人数で弥生自体の後期頭辺りに
近畿に植民に行った、というあたりが実態ではないのかな、と思ったりもします。
時期としては九州の文化が圧倒していた弥生時代の中から後半にかけて、西暦の紀元後すぐとか

正直、神武東征は文章を見てもそこまで相手を圧倒していないってのもあるので
(むしろ負けて、一回相手の裏に回って攻め、、やっとなんとかしているし)