【社会】靖国神社の徳川宮司が退任意向 明治維新巡る歴史認識で波紋...定年前の退任は異例★2
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靖国神社の徳川康久宮司(69)が退任する意向を関係者に伝えていたことが23日、分かった。定年前の退任は異例。徳川氏は「一身上の都合」と周囲に説明している。徳川幕府15代将軍慶喜を曽祖父に持つ徳川氏が16年の共同通信のインタビューで示した明治維新に関する歴史認識について、同神社元総務部長が「会津藩士や西郷隆盛ら『賊軍』の合祀の動きを誘発した」と徳川氏を批判、波紋が広がっていた。
明治維新のため幕府と戦って亡くなった人々の顕彰という創立の理念に絡んで発言した徳川氏が早期に退任すれば、来年創立150年を迎える靖国神社の合祀の在り方を巡る論議が活発化しそうだ。
前スレhttp://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1516739826/ 日本は未だに徳川幕府派閥と維新派閥の権力闘争中ってマジ? どういう経緯かしらないが、
そもそも靖国神社の成り立ちを考えたら、徳川の末裔が宮司をやっていること自体がおかしいのでは? >>2
それはそうとして、鳥羽伏見、戊辰戦争、五稜郭の戦いの敗者は絶対に祀らないというのは狭量とは思うよな。 >>6
維新殉難者は宮司の先祖の水戸藩士が一番多く祀られているから >>3
マジと言うか
長州閥の総理や政治家 多数だぞ
日本は薩摩長州に支配されてからいつも売国されている >>3
東京に国の基軸機関が集約している時点で日本は未だに江戸時代ですよ 元々は招魂神社という名称で、
官軍の慰霊を鎮魂するための神社。のちに靖国神社となり、
日清から大東亜戦争で戦士した人々も英霊として奉られる
ようになった。
徳川氏がどういう経緯で、なにを問題視したかわからないが、
特殊な神社であることは事実。日本人は祖霊を敬い、尊敬の
念をを持ち、現在の靖国神社がある。 一番の賊軍である昭和の戦争指導者をまつっといて何を言ってる 神社のひとつの始まりは養老令からみられる官舎門前での法令朗読式であり、それとは別の
ありかたのひとつとして慣習的に成立したのが鎮魂のための尊崇であって、靖国は後者に
分類できる。
このさい「皇室の側に立って戦い死んだ者を尊崇する」のが本来の立社の主旨であるなら
それで一貫しておればよいのではないか。仮に賊軍として戦死したことが国を思い皇室を思い、
結果として戦闘死にむすびついたとしても、それはあくまで私的な戦いのすえに死亡したと
いうことであって、貴重さにおいては公務死と同等であるにせよ、やはり公私の区別はあって、
靖国では公務死のみに注目して立社しているのだから、私戦死は合祀するのは控えるべき
ということになるだろう。
むしろ戦災死者の尊崇をふくめ一般向けの戦死者の鎮魂のための神社の創建をおこなうなら
行えばよいというだけのことだ。 >>1
話題に上がるのは会津や西郷ばかりで
同じ賊軍として討伐されて靖国に祀られていない萩の乱の前原一誠(長州)と
佐賀の乱の江藤新平(肥前)の存在は完全に忘れられているな 禁門の変の会津・桑名の戦死者は幕府側だが
靖国に祀られていることも忘れられてる とにもかくにも現在の薩長の世がなくならないことには話にならん >>6
靖国の設立根拠は国体護持で、国体とは現人神たる天皇を中心とする皇国のありよう。
従って、靖国を取り仕切るのは皇室か、天皇の御楯たる華族、特に臣下第一等たる公爵家で、華族の公爵家は五摂家と徳川家と明治の勲功で三条、岩倉、島津、毛利。 集団ストーカーでおもしろいのみつけた
ここじゃないかもしれないけど、ちょっと一言
集団ストーカーは現在は簡単に言うと電気通信
通信で電気制御による嫌がらせをしてる
いろいろ書いてもほぼ電気通信一択なんだよね
ここにあるから興味ある人は見てね
火消しもできない残念レベルのアホ工作員と偽者ばっかりだからわかりやすいよ
私の書き込みは最近だけだけどね338ぐらいからがおもしろいよ
チンカス犯罪者で絞れば私のはある程度わかるかも
世界的に問題になりそうなこととか、簡単な方法でも触れる人が一切いないよ
人権蹂躙の集団ストーカー
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1401997624/
ここには書き込み少々
部落民と在日朝鮮人による集団ストーカー
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1255949063/
不正を暴こうとする人や告発しようとする人が差別や迫害されるのはまさに人権問題なんだよね
プライバシー侵害は人権侵害ネタそのもの
車の設定いじったらアカンがな。
電波テロやで、オウムでも目指してやってんのか?
一昨日書き込みしたときだけやめたらエエんちゃうで。永久にないと信用は回復せんぞ。犬や猫ちゃうで、みんな見てるからヤバそうやからやめてたら矛盾が起きるや。
社会的影響とか計りしれないんじゃね? >>11
毛利家を抑えて幕末にテロリスト山ほど排出したからな。 >>16
戊辰戦争の慰霊者は官軍出なくても良いのではと言ったんだよ。 >>25 一般宗教法人にされておいてその論理は通らんよ。
どこの馬の骨でも推薦されれば宮司になるのがいまの靖国 >>23
アホが、禁門の変とは長州のテロリストが御所に対して仕掛けたクーデターであって、明治政府や維新軍とは関係ないから。 この先動乱が起きて薩長のペテン国家が崩壊しもう一度東軍の世がくる >>30
ならその宮司になる資格が最高なのが徳川ということになるな。
理由は歴史的経緯。 >>7
負け犬どもは敵である長州人が作った神社に祀られたいのかよw おそらく靖国の中で今でも東軍側を軽視してるんだと思う 徳川幕府ほど反日の政策を実施した政権はない。
何十もの藩領に分割統治された大阪人は恨みを忘れません。 >>8
1948年生まれだから旧華族ではないし、父は男爵の次男だから、華族制度が
存続していたとしても多分平民。 もともと薩長が自らを正当化するために作ったもの。本来の自然や偉人を畏怖畏敬する神社とは全く違うもの。そのために全国のご神体が四割近く破壊され廃仏毀釈するなど信長すらやらなかった鬼畜の所業を行った真の売国奴共! 長州人なら御所に大砲ぶちこんで孝明天皇を殺そうとしたキチガイでも祭られますw 近代史で一番の賊軍は間違いなく戦前戦中の指導者たちだろ。
日本の国土をボロボロにして、下手したら連合国による昭和天皇の断罪もあり得たわけだし。 靖国神社歴代宮司
青山清 : 1879年(明治12年)6月16日 - 1891年(明治24年)2月6日(在職中に死去)
賀茂水穂 : 1891年(明治24年)2月17日 - 1909年(明治42年)4月28日
賀茂百樹 : 1909年(明治42年)3月29日 - 1938年(昭和13年)4月21日
鈴木孝雄 : 1938年(昭和13年)4月21日 - 1946年(昭和21年)1月17日
筑波藤麿 : 1946年(昭和21年)1月25日 - 1978年(昭和53年)3月20日(在職中に死去)
松平永芳 : 1978年(昭和53年)7月1日 - 1992年(平成4年)3月31日
大野俊康 : 1992年(平成4年)4月1日 - 1997年(平成9年)5月20日
湯澤貞 : 1997年(平成9年)5月21日 - 2004年(平成16年)9月10日
南部利昭 : 2004年(平成16年)9月11日 - 2009年(平成21年)1月7日(在職中に死去)
京極高晴 : 2009年(平成21年)6月15日 - 2013年(平成25年)1月19日
徳川康久(徳川誠の孫)[107] : 2013年(平成25年)1月19日 - >>41
それを言うなら
クーデーター国家じゃない国なんてあるのかよ?w >150年を迎える靖国神社の合祀の在り方を巡る論議が活発化しそうだ。
またでた、過剰忖度。 >>47
言い方悪かったか
田舎侍のテロ国家の方がお似合い >>40
だから歴史的経緯だって。
そもそも靖国自体が歴史的な存在。
そんなこともわからないのか? >>43
禁門の変は例外が多いな。
久坂玄瑞が例外というだけなんだけど、天皇のいる朝廷に直接攻撃だからな。
例外として極めて厳しい。 相撲協会の理事もしているんだけど、そっちも辞めるのかな? >>53
あれ考えると、孝明天皇父子暗殺、大室寅之祐すげかえ説もまんざらじゃないなぁ。 靖国神社で会おうと言ったのは西軍側に人間で
戊辰戦争から間もない東軍側の人間は靖国だけは行かないと言って死んでいった 全ての戦争犠牲者を慰霊すればいいだろう。神社も改装オープンしろ。 いつまでこんなの引き摺ってんだかよ
対戦敗北で大日本帝国無くなったんだからその時までの史実は大事に残しつつ
もう今の価値観で過去に日本を築き上げてきた人たち全部合祀でいいだろうに 官軍、賊軍という名称は、勝ったか負けたかの違いで、
同じ日本人同士が、日本国のために血を流し死んだ。
彼らの義勇の上に、現在の日本がある。勝手な思想の都合で
合祀をするとかしないとか、不敬とは思わないのか? >>61
それを言うなら現在の日本を一度天皇に返上するべき >>63
なぜ?今民主主義国家で天皇陛下は国民の象徴になって敬われてるのになぜ? ポリコレがとうとう本丸に迫っている
この国は終わりだ ネット右翼を自覚してる俺でも遊就館の歴史観は耐え難いわ
あんなとこタワーマンションにでもしちまえ 薩長vs徳川など反日同士の争い。
山の上から見物してたらいいのだ。 >>1
賊軍とされた人たちを靖国神社に合祀するのはいいけど、
費用は誰が負担するんだろうね?
やっぱり、子孫? それとも、国民?(´・ω・`) なんか沖縄だけ外地扱いされてるけどお前ら南の島の住人は外地出身者という じつは「靖国は朝鮮カルトだ」 !
靖国神社の前身は長州の「招魂社」だ。
「招魂」とは神道ではなく、朝鮮朱子学の葬礼儀式だ。死人の魂をこの世に留めて守り神のような「鬼」として使役するための儀式だ。
「招魂 朱子学 朝鮮」で、ぐぐれ!
「死して護国の鬼になる」と言うだろ。
これが「招魂」の効果だよ。
因みに平安以降日本では死んだ人を招魂することは禁忌だった。
日本の陰陽道としての招魂は生者に対してのみ行う術であり、死者に対して行うことは禁止されていた。禁を破った者は罰せられた
詳しい論文はこちら。
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/OS/0037/OS00370R265.pdf
中国では、『晋書』によれば東海王・司馬越の死に際して、その遺骸が焼かれてしまったため、
その遺族が「招魂葬」を嘆願したという記録がある。しかし、中宗が「塚は遺体を蔵すものであり、廟は神を安んずるものである。
招魂葬なるものは神を理める行為である。」という博士の意見を容れて「礼に失する」ということで太興元年(318年)に禁止したとされている。
また、招魂(초혼)を韓国語wikiで調べて翻訳した。
招魂は、魂を呼ぶ民間の意識である。ゴボク(皐復)とも呼ばれている。
今日、民間では庭で「 ○○同里の○○○服・スーツ・スーツ」と呼んで死んだ者の上着を屋根の上に投げる。
その投げられた服を屋根からひっくり返したご飯と一緒に母屋の外側に置いておいたり、納屋の隅にたたみ入れたり、
死体の胸の上においたたりする。
これは人が死ぬこと魂が抜けたと信じて、出て行った魂を呼び死者を復活させるせようとする信仰に由来した行為である。
<Youtubeによる映像>
韓国原曲「招魂(초혼)」(2010年)・・・韓国固有の信仰(巫俗)ベースにした映像
http://milestone-milestone.blogspot.jp/2012/10/blog-post_23.html?m=1Evaluation: 古代より、尾張三河と薩摩は戦さばかり。
迷惑この上ない。いい加減にしろ。 「儒家神道、国家神道は江戸時代に伝統的な日本人の宗教が朝鮮朱子学に背のりされてできた準新興宗教、靖国は新興宗教」。
今の神道と江戸中期までの日本の伝統的な宗教との違いは、
キリスト教とイスラム教以上ぐらいある。
祭神が変わっているからだ。記紀神話の天皇につながる神以外祭神変更されたんだよ。
合祀令で検索!
神仏判然令で検索!
そして新興宗教の靖国とか作られた。
それぞれの神社の古地図をみろ。名前も祭神も違う。あなたの知識は改変後の神道を古来の神道とする捏造されたものでしかない。
品川神社が牛頭天王だった話。
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/page000010700/hpg000010623.htm
神田明神に平将門が居なかった話。
明治七年(1874)、明治天皇の行幸が決定。
すると、明治政府が天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られている事を問題視。
この事により将門公が御祭神から外されてしまう。
代わりに少彦名命が茨城県の「大洗磯前神社」から勧請される。
以後、長年、将門公の御神霊は境内摂社に遷されたままとなっていた。
http://www.news-postseven.com/archives/20121228_162646.html
出雲大社の祭神がスサノオだった話。
http://www.izumo-murasakino.jp/yomimono-010.html 靖国の儀式はテキトーw
ロンドン大学日本宗教研究センタ所長
ジョン ブリーンの靖国の解説は靖国が宗教というより適当な儀式をやっているだけの新興宗教ということがよくわかる。
ここで、霊璽奉安祭と秋季例大祭にちょっと話を戻しますが、それらの神学的意義について、靖国の神職の友人に何度か尋ねたことがあります。
これはキリスト教圏で生まれ育った私ですから、こういう疑問が湧くこと自体仕方ないんですが、「霊璽奉安祭の場合は、相殿(あいどの)にずっと宿っていた御霊と、内々殿に移行したその御霊とどう違うのか?」とか、
「英霊が存在するあの世とこの世とがどう結びつくのか?」とか、それから、「靖国の祭神と古事記・日本書紀に出てくる神々との関係はどうか?」とか、
そのようなことについて尋ねたことがありますけど、私の友人の神職は、必ず「自分が不勉強でちょっと解りません」などと答えてくれるんです。
その神職の方は、解らないのではなくて、これらのような神学的な勉強する必要を感じないようです。
これは当然かもしれませんけど、結論的に言えば、靖国はあんまり神学と関係のないところだということが判りました。
http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen13.htm 靖国の神楽はブラスバンドw
これも日本の伝統かw
そして、神職たちは霊璽つまり戦死者の名前を紙に書いたものを相殿から取り出し、宮司に渡す。
すると、宮司はこれらの霊璽を内陣に運び、祭壇の上に置く。
そして、退下する。宮司が階段を降りると、ブラスバンドが海の幸、靖国の歌、山の幸など、より陽気な曲を演奏する中で、
神職たちは、内陣に移行された霊璽に様なものを供え、そして宮司は上段の間に移動し、玉串を供える。
http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen13.htm
そもそも明治「革命」の勝者、長州閥による
「日本の霊的支配のための神社」
「すべての戦没者のための神社」などというのは
戦後においてカネ集めと権威を維持するのための詭弁 天皇崇拝および日本崇拝(忠君愛国教)は、その日本の新しき宗教であって、もちろん自発的に発生した現象ではない。
二十世紀の忠君愛国という日本の宗教は、まったく新たなものである。
一般の人民はなおも仏教に対して愛情を抱いていたし、一般の祭礼も仏式であり、死者を葬るところも仏寺であった。
しかし支配階級はこのすべてを変えようとした。天皇は太陽女神の直系の子孫であり、彼自身は地上の生き神 (現神 あきつかみ)で
あって、自分の臣民に対して絶対的な忠誠を当然に要求できるものである、という神道の教義を主張した。
神話と古代史と称するものが同一の書物に記載され、どちらにも同じようにありうるべからざる奇蹟が麗々しくでて
いる。年代記は明白に虚偽である。古代の天皇の口から出たという勅語は、中国の古典から抜粋した寄せ集めである。
日本国民は、その支配者の超自然的美徳にあやかるところがあって、『武士道』と称して、劣等の国々には知られて
いない高尚なる騎士道によって特に秀でていると主張している。
官僚階級があらん限りの力を
用いて組み立てようとしている思想の構造は、以上のごとくものである。
『日本事物誌』
バジル・ホール・チェンバレン
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4256181245/yokohamagoyok-22/ref=nosim/ もうどんどん乗っ取られてるな
この国はもう保たない
ノンポリが何をされても理解できないから全てを奪われた
手遅れのようだ もともと、神道は自然の脅威を恵みにかえるため象徴的自然物(山とか太陽とか)を祀ったアニミズム。
この延長で祟りそうな人(平将門や菅原道真とか)を祀った。
中世には仏教と習合。
江戸中期以降、神道は朝鮮朱子学ベースに再編されたから必然的に徳の高い偉い人が神になることになった。
そして、明治には廃仏毀釈と同時に天皇陛下につながらないアマテラス系でないアニミズムの神さまは合祀または廃祀。
古代神道と今の神道は別物w こういう批判を浴びても、貴族にかかわらなければ、存続してく 神道が新興宗教ってことをブリタニカ国際大百科事典をソースに説明してやるよw
儒家神道
江戸時代に儒教によって解釈,組織された神道説の総称。
中世の神道説は儒教や老荘,さらに陰陽五行説の術語や論理をかりることもあったが,その中枢においては仏教教理によって解釈,組織されていた。
江戸時代に入り儒教運動の隆盛をみるに及んで,仏教的潤色を洗い落し,儒教によって神道説を再組織することが企てられた。
この場合儒教のなかでも朱子学の思想が有力に作用した。朱子学は太極を根源とする理気二元論の高遠な形而上学を有するが,
これが古学派,陽明学派の非難攻撃を招来するところであったとともに,深遠な仏教哲学に対抗して神道説を再組織する要因でもあった。
林羅山の理当心地神道は天皇の道である神道は儒教における聖人の道つまり王道であるとし,太極理気説によってそれを説明した。
羅山は儒教の立場から神儒一致を唱えたが,神道の立場から神儒一致を唱えたのは吉川惟足の吉川神道 (→吉田神道 , 吉田兼倶 ) および度会延佳の伊勢神道 (度会神道) である。
前者は理学神道とみずからも称しており,いずれも儒教の教理によって自説を基礎づけているが,朱子学的色彩が濃い。
この両者をも広い意味で儒家神道に含めてもよかろう。
延佳に伊勢神道,惟足には唯一神道の伝授を受け,深い儒教の学殖をもって神儒一致を主張したのが山崎闇斎であり,その神道説を垂加神道という。
神秘性の強いその所説はこじつけも多いが,尊王愛国を説く熱情と非合理性のゆえにかえって多くの共鳴者を得て,
門流は大いに栄えた。闇斎の神道説は,古学神道と並んで近世尊王思想の理論的支柱をなして全国に普及し,幕末維新に際しては多数の行動家を輩出した。
https://kotobank.jp/word/儒家神道-77650 宗教的に頭逝かれたやつはなぜ争いごとを作りたがるんだろ?
エルサレムの一神教を馬鹿にしてられない状況だよなあ >>43 >>53
馬鹿だなこいつら
元々、志士など倒幕派系を祀る為に造られたのだから久坂が対象になるのは当たり前
東京招魂社時代と靖国神社時代では基準が違う 実は、薩摩長州肥前の日本人武士は網走で死ぬ迄、強制労働だった。
明治政府を去った江藤新平らが佐賀の乱(1874年明治7年)を起こし、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と士族の反乱が相次ぎました。
そしてとうとう1877年(明治10年)西郷が立つ日がやってきました。これが西南戦争です。ほぼ九州全域を舞台とした8か月に及ぶ内戦は西郷の自害で幕を閉じました。
征韓論に端を発した西南戦争は国事犯を生み、明治10年代から増え続けた囚人は明治18年には8万9千人と過去最高の収容者数となり、全国的に監獄は過剰拘禁となりました。
政府はこの状態を解決するため、明治14年監獄則改正を行い、
徒刑、流刑、懲役刑12年以上の者を拘禁する集治監を北海道の地に求めました。
http://www.kangoku.jp/kangoku_hiwa1.html 徳川家のために戦った会津を合祀したいと言う気持ちは分かる
靖国神社の教義的にはどうなのか分からないけどね >>97
東京招魂社の祝詞よめよ。
例祭祝詞 明治2月9月
「天皇の大御詔を以ちて詔り賜はく、去し歳の正月三月には、伏見役に奉ろはぬ臣等を拂ひて、西の京を靜め、五月の十五日には忍岡に屯集ひて、
たわ事議る賊をほふりて、東の京を治め、九月の二十二日には若松の城を討ちて陸奥を平らげ、今年の五月の十八日には筥舘の塞を征きて國中悉く掃ひCめ、まつろへ果てし中に、
此の四日は殊更に功を立ぬる日にし在れば、後の世に偲ひ行かむよと、毎歳に此の日を祭の日と定めて齋ひ奉れと詔り賜ふ大御詔に依りて、
兵部卿嘉彰齋主として、備ふる御酒は瓶の上高知り、瓶の腹滿ち竝みて、海山の物を横山なし積み足らはして、祝部等が弱肩に太欅取り掛けて持ち忌はり、
造り仕へ奉れる幣帛を捧げ奉らくを、安幣帛の足幣帛と受け賜ひて皇が大御代を常石に堅石に守り奉り、幸へ奉り、
百の官人等を始めて國々の宰等に至るまで、己が乖々在らしめず、彌進みに進み、彌勤めに勤め仕へ奉らしめ給へと白す。」 >>95
歴史認識をしっかり持てるなら偏った知識でおかしくならないで
今の日本が出来上がるまで紆余曲折あったよねーといえるはずなのに
なぜ偏った部分に固執するんだろうか?わざとやってるとしか思えないよね >>44
それ言い出したら、昭和天皇が最大の国ゾ…(自主規制) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています