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2018/01/28(日) 14:16:42.11ID:CAP_USER9◇阪神大震災時に被災地対策の陣頭指揮、復興にも尽力
26日に亡くなった自民党元幹事長の野中広務さんは1995年の阪神大震災時に自治相として被災地対策の陣頭指揮を執り、その後も復興に尽力した。ゆかりのあった関係者から悼む声が上がる。
元衆院議員(1996〜2003年)で兵庫県宝塚市の中川智子市長(70)は、震災から3年後、被災者に最大100万円(当時)を支給する被災者生活再建支援法の成立に向けた議論が大詰めを迎えた時期のことを思い出す。大蔵省(当時)の官僚が「(支援は)私有財産につながり、公費を出すことはできない」と繰り返すのに対し、野中氏はこう説き伏せた。「何を言っているんだ。被災者を救うために大切だからお願いしているんだ。農家が風水害に遭ったら金を出すだろう。被災者が立ち上がれないような国は、だめな国になるんだよ」
中川市長は「被災者やハンセン病患者など弱い立場の人たちに対し、惜しみない優しさを持っていた。残念でならない」と語る。市長になってからも携帯電話で度々、激励を受けていたといい、昨年6月、京都で一緒に食事をしたのが最後だった。中川市長は「耳が少し遠くなり、足が痛いと言っていたが、元気な様子だった。覚悟はしていましたが……」とつぶやいた。
神戸大教授時代に阪神大震災を経験した熊本県立大理事長、五百旗頭(いおきべ)真さんは、震災の教訓を踏まえ、国と地元が費用を折半して設置した「人と防災未来センター」(神戸市中央区)のエピソードが忘れられない。「野中さんは当初、ハコモノに慎重だった。しかし地元の熱意を受け、費用を半分ずつにして建設する道筋を付けた。野中さんがいなければ、このシンクタンクは生まれなかった」と振り返る。「人の痛みに心をくだき、筋を通す人だった。間違ったことに対しては、体を張った『闘う政治家』という印象を持っている。今の政治家に野中さんのような気骨を持った人はいない」としのんだ。【高尾具成、元田禎】