https://r.nikkei.com/article/DGXMZO26240900X20C18A1000000
この日のキャンバスは横10メートル、縦3メートルだ。はけをリズミカルに動かし、大胆かつ繊細にペンキを塗り重ね、傷んでいた古い富士山の壁画に新たな息を吹き込んでいく。下書きできない一発勝負。「周囲の音に気づかない」ほど集中する。

年の瀬、銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん(35)は埼玉県所沢市の銭湯「弘法の湯」で作業していた。換気のため窓は開けっ放し。吐く息が白くなるほど冷える。空調は使えず、夏場は汗がしたたる。高所は、はしごに登って転倒しないようにバランスを取る。「ものすごく体力を消耗しますね」。優美な富士山を描き上げる芸術家の職場は過酷だ。

技術と体力と集中力を求められる銭湯ペンキ絵師。現役は3人だけで、田中さんは最年少にして唯一の女性だ。

大学で美術史を専攻した。3年の時、好きな作家が銭湯をモチーフにした絵画を見て、卒論で研究しようと初めて銭湯に入った。湯船で壁画を眺めていると、ゆらゆらとのぼる湯気が富士山の周りを漂い、雲と重なった。「その瞬間、自分が絵の中に吸い込まれたような感覚にとらわれた」と、絵画の新たな味わい方を知った。

「この技術を途絶えさせてはならない」。すぐさま「現代の名工」にも選ばれた中島盛夫氏に弟子入りを志願した。

銭湯は減り続け、収入を見通せない世界。けんもほろろに断られた。それでも「残すべき技術です。食べていけなくても構わない」と食い下がった。結局、収入源として別の職にも就くことを条件に見習いとして受け入れてもらえた。

当初1年半は美術関連の出版社に勤めながら見習いをした。色あせた富士山が鮮やかな色彩を取り戻していく様子は「近くで見ていて全く飽きなかった」。専念したいという思いは膨らみ、師匠にも相談せずに会社に辞表を出した。

技術を見て盗み、3年間はひたすら空と雲だけ描いた。老朽した壁は凸凹で、同じ調子ではけを動かしていると色むらができてしまう。微妙なはけ遣いに苦闘した。

岩や樹木など少しずつ描ける幅は広がり、7年目に1人で全面を制作した。9年間の修業を経て2013年に独立。これまでに延べ100軒近くの銭湯で描いた。

銭湯ペンキ絵の多くはすでに描かれている富士山の情景に塗り重ねていく。単に上書きするだけではない。毎回、山肌の陰影や手前にある湖、漂う雲など構図を変える。

「弘法の湯」の店主、関口国広さん(74)は「以前より明るい彩りで、富士山が際立っている。男性絵師とは違う出来栄え。お客さんも喜ぶ」と満足そうだ。

実は銭湯に描かれている富士山の景色は、ほとんどが実在せず、絵師がありそうな景色を想像で描いているという。制作するたびに松や岩などを足したり引いたりして最高の情景を探す。目指すのは「手本となる作品を完成させて継承しやすくすること」。

田中さんのもとには、かつての自分のように弟子入りを志願する若者たちがやってくる。「技術を途絶えさせてはならない」――。この仕事を志した瞬間の思いを背負い、山頂に向かって登り続ける。

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