0001アルカリ性寝屋川市民 ★
2018/02/07(水) 23:38:22.41ID:CAP_USER977歳だった。JR青梅駅周辺の商店街に飾る映画看板を描き続け、レトロの街づくりに貢献してきた。
板観さんは東京都青梅市出身。中学時代から映画ポスターを模写し、中学卒業後は看板会社を経て、16歳で市内の映画館で働き始めた。看板絵師として活躍したが、市内から映画館が消えた1973年以降は、商店の看板を請け負った。
再び映画看板を手がけるようになったのは94年。青梅駅周辺の商店街が「昭和レトロ」をテーマに活性化に取り組むことになり、映画看板を飾ることにしたためだ。かつて花形映画看板師だった板観さんが作品を一手に引き受け、年に30枚を描くこともあった。
街全体で昭和の雰囲気作りにこだわった結果、「昭和」は青梅駅周辺の代名詞に。懐かしむ中高年や、昭和に新鮮さを感じる若者らが訪れるようになった街に、板観さんとその作品は欠かせないものだった。
浜中啓一・青梅市長は「青梅が昭和レトロの街として名をはせているのも、板観さんの貢献なくして語れない。敬意を表します」と語った。
YOMIURIONLINE 2018年02月07日 21時23分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180207-OYT1T50052.html