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【宮城】大川小、忘れないため語る 妹奪われた18歳 震災7年
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0001孤高の旅人 ★
垢版 |
2018/02/13(火) 06:12:25.41ID:CAP_USER9
大川小、忘れないため語る 妹奪われた18歳 震災7年
2018年2月12日05時04分
https://www.asahi.com/articles/ASL2B55PCL2BUNHB00J.html

 東日本大震災から間もなく7年。津波で児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校が今春、閉校する。津波に流され、生き残った4人の児童の一人で、高校3年の只野哲也さん(18)が故郷や家族への思いを語った。
 毎年3月が近づくと、ぴりっとした寒さやちらつく雪が胸を締めつける。「あんときも、こんな寒さだったっけ」。7年前のあの日から、1年の始まりは1月1日ではなく、3月11日に変わった。
 大川小から歩いて15分ほどの自宅で祖父母と両親、妹の6人で暮らしていた。5年だった只野さんはいつものように、教室で帰りのあいさつのために立ち上がると、船の上に放り出されたような揺れに襲われた。
 先生の指示で近くの橋のたもとへ避難を始めた。すると、目の前に見えていた民家が土煙をあげて崩れるのが見えた。「あ、やばい」。すぐに元の道を引き返した。後ろからゴーッという地鳴りが迫ってくる。体の奥まで震動が伝わり、周りの叫び声も、自分の足音も、何も聞こえなくなった。突きあたりの裏山を無我夢中で登った。突然、押しつぶされるような重さが背中にのしかかり、そこで意識が途切れた。どのくらい気を失っていたのかわからない。山腹に埋もれていたところを救助された。
 学校も自宅も、水の底に沈んだ。津波は、漁師だった祖父の弘さん(当時67)、母のしろえさん(同41)、二つ年下の妹未捺(みな)さん(同9)を奪っていった。「どうして逃げる時、無理やりでも妹の手を引っ張らなかったんだろう」と悔いる。地震を心配し、しろえさんは学校に迎えに来た。只野さんが自分のヘルメットを渡すと「いいからかぶっていなさい」と押し戻された。「ヘルメットがなかったら俺も危なかった。お母さんのおかげです」。友達の葬式に出るたび、泣き崩れる家族を見て、「俺よりも、あの子が助かれば良かったのに」と思った。
■生き残った児童で唯一、語り続…

残り:1074文字/全文:1858文字
0133名無しさん@1周年
垢版 |
2018/02/14(水) 10:45:11.35ID:k5y89yts0
>>132
残念ながら日本の法律はそうではないのでw
それと、罪の有無は問題になっていない。
民事訴訟なので。

君の考えなら、馬鹿は過失なしとなるけど?
例えば、高さ30mの津波避難タワーがすぐ近くにあったが、津波など来ないと言いはり避難しない判断をした教師がいたら?
自然災害だからといって免責されるとはならない。
法律を理解しようねw
0134名無しさん@1周年
垢版 |
2018/02/14(水) 10:52:35.50ID:LsKGxVe30
>>132
地震県の俺には避難先は裏山のみの一択だけどな。他の場所なんて有り得ない。
地震県出身でなくても地震列島である日本国民ならそうでなければならない。
現に子供たちは泣きながら裏山避難を教員に対して訴えていた。子供でも判断できたこと。
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