https://ja.wikipedia.org/wiki/自由主義神学

1820年代から1840年代にかけてこうした「自由主義」は、聖書の権威、
キリストの犠牲による信徒の救いは認めてはいたものの、「人は自由に
キリストの方へ目を向けることができる」と断言し、正統主義と対立する[11]。

19世紀末には、自由主義においては聖書は他の古代の書物と同様、批判的
分析の対象とされ、イエス・キリストの復活も、敬虔から来る弟子たちの
錯覚などとされるケースも出るに至った[11]。

こうした自由主義・合理主義の潮流においても、シャルル・ヴァーグネー
ルなどを例として、深い宗教的精神、熱烈なイエスへの愛は存在し続けた
とされることもある[11]。

当時の自由主義の基盤には、三つの楽観主義的要素が挙げられる[13]。

一つ目は、宗教や倫理においては、確信をもたらす唯一の源泉は歴史であ
るとされていた信念があったこと。この信念の上に、自由主義の神学者達
は聖書を批判的に解釈し、確固とした歴史的核に到達することを目指した[13]。

二つ目は、経験の上に自分たちの確信を打ち立てる自然科学と同様に、
宗教経験を確信の源泉としようとする志向。ただしこの宗教経験には、完
全に純粋であること、、限りない多様性において捉えなおすことといった
条件付けがなされる。さらに、現代の知性がキリスト教の権威・聖書への
服従することを軽減し、教義を軽減することへの志向を伴った[13]。

三つ目には、キリスト教は世界の局面を変える事が出来るという確信が挙
げられる。これは「社会的キリスト教」とも表現される。ただしこの潮流
は社会主義の側につこうとする者も居たものの、マルクス主義とは同盟せ
ず、階級闘争は拒否し、制度の変革・精神の変革を同時に行おうとした[13]。

これらの要素は、文明の進歩に対する楽観主義としても特徴付けられる。し
かしながらヨーロッパに大惨禍をもたらした第一次世界大戦は、文明の進歩
に対する楽観を打ち砕き、自由主義神学に対するそれまでの楽観も翳りが生
じることになった[13]。