>>168
>・当時のビジネスだった事
たとえビジネスでも、命を奪われるような事態が生じてはいけないだろ。

以下吉見義明著 従軍慰安婦 岩波新書から
病死・自殺、心中の強要
 軍慰安所での生活のために,命を落とす慰安婦も少なくなかった。
江南省にいたある特務機関員は、1941年の江南作戦で、「紫斑病で死んだ韓国人慰安婦を,黄河の堤防上で荼毘に付した経験がある」と述べている。
 李英淑によれば、いっしょに広東に連行された彼女の友人の慰安婦は、1年後に病気で死んだ。河順女がいた上海の軍慰安所では,平壌出身の慰安婦がアヘン中毒で死亡したという。
文玉殊は、マンダレーからアキャブに行く途中で,先輩の慰安婦が肺炎にかかって死亡したと述べている。
 多くの慰安婦が,軍慰安所の生活に絶望して自殺を図った。
金徳鎮(仮名)は、「日本の軍人が中国の女を慰安婦として捕まえてきたが、逃げて自殺する女が多かった」という話を上海の軍慰安所で聞いている。
彼女は身体がつらいとき,死のうと何度も考えたが、できなかったという。
ビルマのヤンゴンの軍慰安所にいた李用女は、焼酎とアヘンを飲んで自殺した慰安婦がいたとのべている。その死体を薪の上に乗せて焼くとき,軍は慰安婦を集めてそれを見物させたと言う。