明治維新から150年を記念するイベントがあちこちで行われている。しかし維新から近代日本の歩みは、単純にたたえられる部分だけでできているわけではない。歴史とどう向き合っていくべきか、改めて考えたい。

「明治150年」。北海道から沖縄まで、いま全国でこの言葉が飛び交っている。維新から150年を記念して、国や地方のイベントがあちこちで開催されているのだ。内閣官房「明治150年」関連施策推進室によれば、イベントの数は実に2008件。国が音頭を取っているが、明治維新で功績のあった「薩長土肥」4藩に由来する県が中心で、もっとも多いのは安倍晋三首相のおひざ元、山口県(長州)で175件。明治政府から「賊軍」とされた、奥羽越列藩同盟に由来する県は少ない。賊軍とされた旧会津藩の福島県会津若松市が掲げるのは「戊辰戦争150周年」だ。

「親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ 何ときくらん」

 山口県萩市。萩市立明倫小学校(児童数679人)では毎朝8時20分、子どもたちの元気な声が聞こえる。

 朗唱しているのは、幕末の思想家、吉田松陰が書き残した「ことば」だ。

 同校の椿義憲(つばきよしのり)校長(60)は言う。

「松陰先生の教えの根本は、人は誰でもよさがある。人に対しては真心をもって当たるよう説いている。その当たり前のことを、当たり前にできる子どもに育ってほしい」

 同校は江戸時代の長州藩藩校「明倫館」の流れをくむ。朗唱は1981年から始まった。子どもたちは入学すると1学期ごとに、一つのことばを朗唱していく。先のことばは、1年生が3学期に朗唱する。その意味は、「子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうがはるかに深い」ということ。

 尊皇攘夷思想で幕末の志士たちに影響を与えた松陰。戦前、「忠君愛国」の象徴的な人物として「修身」の教科書に登場したこともあった。いまは愛国教育というよりは、地域の歴史を踏まえた取り組みとして、県内外からの視察が多い。人材育成の会社を中心に年200人近くが訪れる。

「私どもは教育者としての松陰先生の力を借りているだけです」(椿校長)

 安倍首相は1月の施政方針演説で、明治の先人にならい「国難」を乗り越え、時代を切り開いていこうと呼びかけた。その安倍首相がよく引用して使うのが、吉田松陰の言葉だ。

 安倍首相は15年の施政方針演説でも、吉田松陰がしきりに唱えた「知行合一」という陽明学の言葉を引いてこう述べた。

「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です」

 萩博物館特別学芸員で幕末維新研究家の一坂太郎さん(51)によれば、吉田松陰には史実としての松陰と、偶像化された松陰の二つの顔があるという。

「松陰はどの派閥に属したわけでもなく、純真なイメージがつきまといます。そのため偶像化する人たちにとって、利用しやすかった。時の為政者の側だけでなく、二・二六事件を起こした青年将校も日本赤軍の岡本公三も崇敬していたのです」

 薩摩や長州の下級武士たちが封建的な徳川幕府を倒し、富国強兵で新しい近代国家をつくり、欧米列強に対抗して日清、日露戦争で勝利するまでになった──。そんな輝かしい明治の成功体験を下敷きに、首相官邸のホームページは「明治150年」施策の狙いとして、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識すること」を挙げる。

 政治学者で東京大学名誉教授の姜尚中さん(67)は、「明治の精神」についてこう話す。

「端的に言えば、歴史を回顧して往時をしのぶ国家的な行事にとどまるものではなく、日本がどんなにすごい国家なのかというメッセージに尽きます。愛国心の鼓舞とともに国家を中心とした『和魂洋才』のオプティミズム、つまり楽観主義をふりまこうとしているのだと思います」

 しかし、その和魂洋才のオプティミズムを吹き飛ばすほどの悲劇をもたらしたのが、東京電力福島第一原発の事故だった。戦後の負の側面というより、日本近代化の負の側面が現れたと、姜さんは言う。

 原発事故から約2週間後、姜さんは取材でテレビクルーと一緒に福島に入った。その後も何度か訪れている。歩きながら感じたのは、近代国家というものの酷薄さだった。

「背後に国家の影を見ないわけにはいきませんでした。しかもそこに生きた人間が見えず、

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2018.3.6 16:00 AERA
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