【社会】ブームになったインベーダーゲーム誕生から40年 変移をタイトーに聞いた
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1978年に発表され、今年で40周年を迎える『スペースインベーダー』。
通称“インベーダーゲーム”と呼ばれ、定番シューティングゲームとして世代を超えて愛され続けてきました。
誕生から40年間で、ゲーム業界は驚くほどに進化を遂げています。そのなかで『スペースインベーダー』はどのような変移を辿ったのでしょうか。
開発・販売元の株式会社タイトーに話を伺いました。
■「宇宙人ものはヒットしない」社内の声を押し切って製作した初代
開発のキッカケは、当時ヒットしていた『ブロック崩し』に負けないものを作れないか?と営業が開発者の西角友宏に依頼したことが始まりです。
そう語るのは、株式会社タイトーの広報担当者。
当初のゲームはプログラムではなく、ハードウェアの制御だけで作っており、新作ゲームの製作のたびに回路を作る必要がありました。
設計にすごく時間がかかることをネックに感じつつも、回路を作ることもひとつの楽しみだったと開発者・西角は振り返っています。
そんなとき、アメリカでマイクロコンピューターが開発されソフトウェアの時代に。
大勢のキャラクターを出すこと、コンピュータ操作の敵と対戦することなど、ハード性能ではできなかったことへ積極的にチャレンジできるようになりました。
そこへ『ブロック崩し』の“ブロックを全部消したときの爽快感”を盛り込みゲームシステムを構築しました。
『スペースインベーダー』の特徴のひとつが、宇宙人のようなキャラクターです。
当初は戦車や船、飛行機など別のモチーフでした。しかし、細かいディテールのキャラクターを動かすことがハード性能上難しく、
一番臨場感があったのは人間でした。しかし、人間を撃つのはどうかという声があり、宇宙人となったそうです。
当時、社内では過去の経験から「宇宙人ものはヒットしない」と言われておりましたが、西角が押し通しリリースされました。
こうして誕生した『初代スペースインベーダー』は、ゲームセンターや喫茶店などあらゆる店に設置されました。
ゲームを全てインベーダーに替えたゲームセンター「インベーダーハウス」が登場し、ブームはより過熱しました。
■家庭用ゲーム機のソフト登場。一気にファミリー層へ広がる
誕生から7年経った1985年、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」のソフトが登場。個人で遊ぶゲームから、家族で楽しめるゲームになりました。
家庭用ゲーム機のソフトとして売り出すために、西角は4つのポイントを意識しました。
1.遊び方がシンプル
2.スキル性
3.爽快感
4.悔しさ
弊社創業者ミハイル・コーガンの、ゲームにとって大切なのは「リプレイアピール」という話を西角なりに理解し、この4点が浮かび上がりました。
また、これまでゲームセンターに来ることができなかったお客様など幅広い年齢層の方にプレイしていただくことも意識しました。
1990年代には、3D映像の導入や2人対戦機能など、大きな変化を遂げています。
技術の発展によりどんどん映像に力を入れられるようになり、単なるゲーム性だけでなく、見た目の美しさも求められるようになりました。
また、開発に携わる人間も増え、開発期間も必然的に長くなり、チームとしての管理も必要になってきた時期だったと、当時を知る人物から聞いております。
2000年代には、携帯電話やスマートフォン向けの『スペースインベーダー』が登場し、これまでと違う層にも届くようになりました。
携帯向けゲームとして、『スペースインベーダー』や当社の人気パズルゲーム『パズルボブル』をリリースし、
新しい層へ届けることでゲーム人口の増加に貢献したと考えています。
携帯ゲームならではのカジュアルに遊べる点は、創業者のミハイル・コーガンのアドバイスでもある「リプレイアピール」という考えにもあっていました。 ■40年間で変わったこと、変わらなかったこと
40年という歴史のなかで、世間がゲームに求めることに変化はあったのでしょうか。
RPGのように、ストーリー性や映像の美しさを求めるユーザーが増えたと思います。一方、単純なゲームを好む方や、キャラクターに惹かれる方など、
ゲームに求めることは変化というより多様化してきたように思います。
さまざまな変化を遂げてきた『スペースインベーダー』、これまで変わらなかったこともあるそうです。
アーケードゲームとして誕生した『スペースインベーダー』は、その時代のニーズをとらえ進化を遂げてきました。
しかし、家庭用ゲーム機およびスマートフォン向けになっても、基本のコンセプトは初代『スペースインベーダー』を踏襲していると考えています。
侵略者であり敵であるにも関らず愛くるしさをおぼえるキャラクター、シンプルながらリプレイを促されるゲーム性は、
キング・オブ・シューティングとしばしば称される初代から受け継がれています。
『スペースインベーダー』40周年のアニバーサリーイヤーである今年、ゲームの世界を飛び出して、さまざまな場面で私たちを驚かせる施策を考えているとのこと。
時代に合わせて変化しながら、根幹は変えずユーザーの心を掴み続ける『スペースインベーダー』。
いつの時代になっても“みんなの定番”であることに変わりはなさそうです。
http://news.livedoor.com/article/detail/14400981/ そういやここ元々はユダヤ人の会社だよな
相続したガキは相続税を踏み倒してどこかに逃げたがww 名古屋打ちとかあったな。。。。
あのあとギャラガが出たんだっけ 相当出回ったはずなのに中古の基板が全然見つからない&高価な罠 > 誕生から7年経った1985年、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」
インベーダーとファミコンってたった7年しか開いてなかったのに驚く ここのはジャイロダインぐらいしか好きなのがない
なんかうまがあわんわ >>14
だってromだけ差し替えて他のに流用してんじゃないの?
これ出来ないっけ??? 時代も変わり、タイトーもスクエニに食われたけど、
今でもタイトーのゲーセンはインベーダーがシンボルだもんな。 >>14
ROM変えて別のゲーム基板として出荷したんじゃないの? 野口五郎が筐体ごと買って名古屋うちをテレビで披露してたのを覚えてる
めっちやかっこよかった 冷房の効いた喫茶店でやるのが楽しくてしょうがなかったわ インベーダーがウンコしてるみたいに見えるからという理由がきっかけで生まれた名古屋撃ち 儲かったやろうなw
今、そこらに落ちてる画像より全然容量少ないもんなぁ 1回100円は子供のこづかいにとっては厳しかった。 その後に流行したのはパックマンだったか
以後、ナムコやコナミなども続々ヒット作を生み出し競争激化 当時小学校低学年でしたが、
ビデオゲームがここまで広がるとは思いませんでした。
教員の間ではビデオゲーム=インベーダーゲーム と見做され、禁止されていましたから。
当然ゲームセンターも禁止。
当時のゲームセンターが不良のたまり場だったこともありますが。
大学を卒業したばかりの先生のみビデオゲームに理解を示していました。 プリルラが良かった。ランディングギアをコンシューマに移植してほしい。 ゲーセンじゃなく駄菓子屋に置いてたのでよく遊んだな
ドンキーコングとかディグダグとかギャラガとかとか・・・・・w ミハイルコーガンって名前初めて知った
俺はこの40年なにしてたんだ ファミコンカセットのインベーダーの存在感の無さは異常 >>1
これのどこがニュースですか?>復讐の鬼 ★ ゲーメスト大賞取ったサイキックフォース2012は死ぬまで遊ぶ
もう対戦相手がいないが >>36
あの頃は5円玉にセロテープで穴塞いで100円玉の大きさに巻いてスピン効かせて投入したり
針金を突っ込んでごちょごちょしてたら動いた
だからお小遣いは集めてるねんという口実で5円玉で貰ってた 泉麻人「インベーダーってノーパン喫茶とブームかぶってましたからね、両方やった店あると思うんですよ」
伊集院光「ノーパンインベーダーw」 お約束の鬱エンドがなんか良い。
忍者ウォリアーズからこの鬱エンド路線ができたんだろう
ダイノレックスやプリルラはほのぼのエンド 懐かしいね。40年前、渋谷のセンター街の
ゲーセンで女に褒められた思い出 アッー アッー あらし
アッー アッー あらし
ゲームセンター あらし コレ系の最高傑作はナムコの『コズモギャング・ザ・ビデオ』で異論はOK 最近レトロハードのインベーダーゲーム買った。
何を今更・・・と思いながら、気付いたら5時間ぐらい遊んでたわ(笑)
なんだこの中毒性! 大きなお友達が占領してて遊べなかったけど見るだけで楽しかった 当時の100円って今で言うと180円くらい?
連コするだけで結構な出費になったろうに PSPやDL専売で出てるスペースインベーダーエスクトリームが何気に良ゲー ZUNTATAのゲームミュージックのジャンルで世界初のことを
色々やったね。最近聞かないけど。 1980年にルナレスキュー、バルーンボンバー、クレイジーバルーンでイケイケ状態
ゼビウスが出た1983年、この頃タイトーはエレベーターアクションのリリース
他社との差を感じてしまった 初めて買ってもらったファミコンソフトはちゃっくんぽっぷ >>55
俺は5円玉をトンカチで叩いて100円玉と同じ大きさにして
穴を蝋で塞いで使ってた
硬貨偽造だよなwwww こんな微妙なメーカーが40年以上続いてるのか
すごいな >>75
うちの地方ではテニスラケットのガットを硬貨の大きさに曲げでやってたわ >>55
いや電子ライターの先っぽ外してカチカチやってたよたまに自分の指に電気喰らうからスゲエ緊張した あの頃のゲーセンはカツアゲ目的の不良がたくさんいた
嫌な思い出ばかりの時代だった >>57
プレイヤーが敵側の軍事政権を倒して政権を手中にし、
国民は喜んだが、やがて敵側政権の時と
同じような軍事政権になって、国民が失望するみたいな話だった。 >>64
ガチャのカプセルだろ。20円とかのミニカプセル 森口博子のクイズでヒューヒュー!
をコンシューマで出さないかなぁ。
ゆうゆのクイズでゴーゴー!はスーファミででたのに。 >>72
当然メンバーは入れ替わってるけど
最近だとダライアスバーストやグルーブコースターってゲームの音楽が好評でいまだ健在
去年末に30周年記念アルバム出してる >>79
俺はやってないけど、百円入れた時のパルス電流を擬似的に発生させて、誤動作させる高度な技だ。
今でも金庫破りで似た方法がある インベーダをコピーして売ってた任天堂が今や特許にうるさいのが草はえる 未だにインベーダーゲーム禁止とか書いた化石みたいな規則の存在する学校なんてあるのか >81
独裁者バングラーを殺した後、反乱軍のダディマルクがニンジャを自爆させたんだけど
平和は来なかった。以下想像。
ダディは狂った殺人マシンをつかって世界の覇権を獲ったあともやりたい放題。
自分が独裁者になったとさ とか子供の時おもってた 90年代の初頭には自宅に中古ゲーセン筐体があった。 当時は俺子供だったが、インベーダーゲームをすると補導員に捕まって親呼び出されてた。補導員との戦いだった。
良いゲーセンはおばちゃんが知らせてくれて、逃げる専用の扉なんかあった。
ファミコンがブームになるにつれ補導員も消えていった。 タイトーと言えば奇々怪界。
1/20で1クレジット当たるゲームを俺は他に知らない。 >>15
7年あればスーファミがPS2になるくらいの空きじゃね? >>69
当時アップライト筐体のコイン投入口に貼られた「100円玉だけ!」のシールに子供心ながら殺意を覚えたもんだよ。 >>73
ダライアスとバブルボブルまでは辛かったなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています