【九州説!】福岡県の赤村に巨大な前方後円墳。古代史ファンは「卑弥呼の墓では?」と期待の声
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https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/402402/
赤村に巨大な前方後円墳−。こんな話が、地元住民の間やインターネット上でささやかれ始めている。
地元の古代史研究グループによると、現場の航空写真から鍵穴型丘陵の全長は約450メートル。
日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(堺市)の墳丘長に迫る大きさとあって、古代史ファンからは
「卑弥呼の墓では?」といった期待の声も聞かれる。
丘陵は同村の西端、内田小柳地区の雑木と竹に覆われた民有地で、東側を平成筑豊鉄道と県道418号が南北に走る。
数年前から丘陵の形に着目してきた田川地域住民などでつくる「豊の国古代史研究会」の調査では、後円部に当たる
部分は直径約150メートル。魏志倭人伝にある邪馬台国女王卑弥呼の墓の直径「径百余歩」とほぼ一致するという。
また、丘陵沿いの住民によると、東側にある後円部と前方部のくびれのような場所では、タケノコ掘り中に土器片が多数発見。
周濠(しゅうごう)の部分に当たる丘陵西側脇には、以前から湿地が広がっていたという。
現在まで発掘調査はなされておらず、真偽は謎のまま。田川地域の自治体の文化財担当者らは一様に、
丘陵を「自然の地形」として、前方後円墳との見方を明確に否定している。
赤村内田にある前方後円墳のような地形(Google Earthより)
https://www.nishinippon.co.jp/import/f_chikuhou/20180320/201803200002_000.jpg
× 古代史ファンは「卑弥呼の墓では?」と期待の声
○ 村役場村おこし課は「卑弥呼の墓では?」と期待の声
伊都国はどう考えても糸島
なにしろ地元では山エリアの町をイトと呼び海辺の町をシマと呼んで分けてる https://www.fastpic.jp/images.php?file=3635005163.png
仁徳天皇陵と比べると良く似てる。
バランスはそっくりだし、方位もほぼ同じ。
曖昧な考古学だから、これは新しい古墳で良いと思う。
ついでに卑弥呼陵にしてしまえ >>27
埼玉県はアイヌ語と共通する地名もあるけど古墳が多くて地区も多い。高麗郡、唐子なども色んな意味で多民族県だと思う。 794年京都
710年奈良
645年大阪
200年福岡
ってことは、何か責められでもしない限り福岡から大阪まで移動しないよね >>758
柳田氏がはっきり言ってたよな
九州の考古学者で九州説を唱えてる人なんて一人もいないと >>825
姫命(ヒメミコト)説もあるよ
当時の高貴な女性はだいたいこう呼ばれてただろう >>843
>水銀朱を魏から500斤も貰ってる
何のことを言ってる?
「真珠チ丹各五十斤」のこと?
数の間違いくらい別にいいけど、「チ丹」は四酸化三鉛のことで、水銀じゃない。
硫化水銀も四酸化三鉛も赤い塗料に使ってたから、どっちも「丹」の字で表記されてるけど、
化学的には全く別の分子だから。 やっぱり右側の小山の方が古墳だよね。
小柳古墳として指定されてるし石棺も確認ずみらしいけど、
もし小山自体が小柳古墳の範囲なら大古墳だな。 >>855
平安時代には太宰府政庁が対馬に役所を置いて管理してたし
大規模集落自体は九州に古事記の時代から存在してる >>850
結局の所、墓は円なんだよ
日本の個人の墓を墓石側から見ると分かるけど
方墳部分が高いか低いかだけ。参道なんだよ
ある意味、一般人も似たような墓
墓石の部分を時代と共に変えてるだけ 隼人の地は姫の付く名が多い?
どんな文化だったのか気になる なんとなく直感的なものだが
北部九州だとは思う
北九州や大分あたりな気がする >>5
シンボルの仁徳天皇陵などの写真がいつも円を上方に写してるものばかりなので、そのイメージ刷り込みの先入観はもう抜けないねw 伊都国が糸島周辺だと思うがなー
周船寺の一般家庭の庭に小規模な古墳があるような地域だし >>861
大宰府はもともと有った九州王朝の本拠地に作られたという説 >>1
こんな歪な形を前方後円墳だ!とか言われたら、古代人に失礼だろ。「もっと綺麗に作れるわ!!」ってw
でも円の一部を削りとって民家を建ててるな。地元住民が破壊済みじゃないか。何を偉そうにいってるんだこいつらw >>861
九州自体が大陸との要衝だし大宰府を置くの理にかなってる
清盛もそれで財を成したんだし
最前線に首都を置くのは馬鹿はソウルぐらいしかないだろ >>868
下から上に歩くか
上から下に歩くかの違いでは? 邪馬台国の場所は知ったこっちゃなないが伊都国はガチ糸島周辺だろう
小さな古墳が一般家庭の庭に普通にある地域なかなか無いだろ >>846
おかしいよそれw
東南に陸行し、500里で伊都国に到着する。
(伊都国の)長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚。
(伊都国には)1000余戸が有る。
>(伊都国には)魏の世に王が居た。
>(倭の国々は)皆女王国に統属されていた。
(伊都国は)帯方郡の使者の往来では常に駐在する所。 >>869
行程パズル厨は佐賀方面と言ってる
糸島三雲だと方角が合わないからというのが理由みたい >>874
まず、>>791 見てみ
> 「出真珠青玉 其山有丹」
>
> 「丹」は今で言う硫化水銀のコト。
この「出真珠」は、水銀朱ってこと?
結局、邪馬台国から出てきてるじゃん。 前方後円墳が普及してから
円墳に方墳部分を付け足すことってあったのかな 卑弥呼宇宙人説
プレデターのように仲間が迎えに来たか遺体を仲間が回収したので墓はない >>880
倭では真珠や青玉が取れ、その山には丹がある
倭では真珠が取れるんだから、魏が真珠を贈るはずがないし
鉛丹と併記され単位も斤ですから
「真珠 鉛丹各五十斤」の真珠は真朱の誤記で水銀朱のこと
魏は水銀朱を倭に贈ってるんだから
「出真珠 青玉 其山有丹」の丹は水銀朱ではない。 >>85
マジレスすると朝鮮人のルーツは大陸北方の狩猟民族であり、
日本の稲作や海洋文化とは何の関係もない
完全な異民族 田川地域の自治体の文化財担当者ら<「自然の地形(仕事を増やしたくない)」 >>878
どこもおかしくないだろ?
伊都国が都なら
帯方郡の使者の往来では常に駐在する所だし。 福岡が首都の方が良いんじゃないの?中韓台や沖縄にも近いし。 >>875
関西地方には清盛が神戸港を整備するまで
中国船が入港出来る港が無かったんだよ
関西地方が中国と直接交易が可能になったのは清盛の時代から
3世紀に中国と国交とか無理。 ここで畿内説って言ってるのはチョンだけでしょ
チョンは関西が本拠地だから九州だと都合が悪い
日本人なら九州説を支持する 大和は半島から南下した騎馬民族だよ
出雲と同盟組んで奈良にいた縄文人を制圧したのさ
土蜘蛛なんて言われてた人は彫りの深い西洋風の縄文人で手足が長かったんだよ。
後年侵略の恨みから大和を襲った鬼こそ奈良の土着縄文人。腕とか切られてるけど >>886
そうだとしても仕事を増やしたくない、面倒なもん見つけやがって... これだよなー 仮にこれが自然丘陵でなく前方後円墳だとしてもこの地域がヤマト王権の傘下に入っていたというだけ
その時期がいつなのかは発掘してみないとわからんが
すでに見つかっているという土器が関連があるのかどうかもわからんな >>849
伊都国が目的地だからその先には行っていない
伊都国で卑弥呼と対面して帰ってる。 仁徳天皇がお登りになられた山は
香春町の香春岳。周防灘も見渡せ、
民のかまども見渡せる。衣を干してるような山の岩肌。
まぁ、日巫女もここに間違いないね、
英彦山は八咫烏のふるさと。
あー、宇佐神宮ごめんね。
南九州の人もごめんね、それもっと古い縄文の名残りだから。
伊都はイツとしか読まないっしょ、糸島の人もごめんね。 >>888
来なくていい
筑後平野の田んぼがビル郡になるとかぞっとするw 土地所有者は誰でしょうか?
名乗りでたら
古墳時代にどうやって
手に入れたのかを
聞きたい >>884
「誤記」って。
>倭では真珠が取れるんだから、魏が真珠を贈るはずがないし
班布・生口・錦・弓・矢、日本が贈ったものは、ほとんど魏で作れるものだぞ。
ちなみに、魏からは錦が送られてるが、日本からも錦が贈られてる。
それも、錦も何かの誤記なのか?
>単位も斤ですから
斤は重さの単位だろ。真珠何キロって普通に言うだろうに。 >>259
どこに人を食うてあるんだ?
飢饉のときに人喰うのは半島から大陸だな >>860
いずれにせよ石棺まで出てる大古墳が
ここまでマイナーなのはちょっと不思議だな
当時は航空写真がなかったから円墳の部分だけを
古墳としたのかな >>898
>斤は重さの単位だろ。真珠何キロって普通に言うだろうに。
言わないですよw 卑弥呼の時代に北九州に前方後円墳は伝わったないだろう。近くに川があるのでその蛇行のあとだろうな。
あれだけの土木工事をしたのならなぜ隣の丘より高くしなかったのかとか、装飾の方墳部分の方が本体の円墳より大きいのは不自然。 あれ?伊都国は糸島で確定だよ。
それ以降の道程がわからんのだよ >>130
いつも開いた状態。鍵穴をロックすると
マグネットパワーがつかえなくなる。
鍵は腕にうまっているバッファローマンの骨がなんとかしてくれる。 >>40
前にテレビで犬が正常位でやってるのが映ってしまって、あらあらって感じで進んだんだけど犬の正常位って珍しくないのかな? >>901
で、錦は何の誤記なんだ?
なんでもかんでも自分の都合の悪いのは「誤記」ってしとけばいいんだから、楽だろうな。
挙句に「そんなこと書かれてないよ」だもんな。
そうか、オレも、魏志倭人伝全部「誤記」ってコトにして、
「倭人在帶方東南大海之中…」とか誰かが行ったら、
「そんなこと書かれてないよ。いい加減なことをwww」って言い返して、
「倭人在帶方東南大海之中…ってあるだろ」みたいに言われたら、
「和人の誤記だよ」って言い返すことにしたらいいのか。
余りにアホらしくて、やる気に慣れんが お万さんはさらに旅を続けます
目の前に邪馬台国時代の古墳が見えました
お万、古墳だよ〜 お万古墳だよ〜 >>27>>692
半島から連れて来た高麗人や百濟人などに池を造らせました、てあるだろ。
古代から半島人は労働力として連れて来られて帰化人してたんだわ 卑弥呼の墓は宇佐神宮ですよ
でもだから邪馬台国が宇佐だったというわけでもない
卑弥呼の墓が邪馬台国に造られたとか魏志には一言も書かれてない >>5
鍵穴型で良いんでない?
何かの俯瞰説明図だと大抵そうなってるよ。
劇場やコンサート会場の客席配置図だとか
神社仏閣の配置図だとか戦国時代の地図だとか。 >>321
実は宮崎は記紀には全然関係ないよ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) 魏にしてみれば倭国(畿内大和)が自分達の支配下に無い国だから
北九州の一部の村に過ぎないクニを大和に置き換えて邪馬台国と読んだんだよ
邪魔(邪馬)で危険なやつらを俺達は従えてるんだぜと、呉と燭を牽制するために
魏と交流があった邪馬台国とされるクニは
北九州にあったが
同時期に柵方体制の管轄外の大国が
畿内にあった
そのクニこそが大和朝廷 .>>891
騎馬民族ナンチャラとかお前は70代のジジイなのかw
デタラメ吹かすな
倭国大乱の高地性集落の数少ない戦いの跡も近場同士の局地戦の跡しか見つからないんだわ。 卑弥呼=日巫女(日御子)=天照大神
この説が一番きれいで好きだな >>919
正直、騎馬民族が日本にきたって、そんなに活躍できるとも思えないんだがな。
騎馬民族が苦手な地形って、海・山・森だろ。
日本て、島国で、山が多くて、山には森が生えてるんだぜ。
騎馬民族が得意な平野なんて、ないに等しい。 >>923
江上ナンチャラの時代はまだ色々と発掘成果が出てなかったからな 高地性集落って
ほとんどが瀬戸内海沿いに西からの敵に備えた作りなんだよね
一体西からどんな敵が来てたんだろうね >>926
邪はそれこそ紀元前からあってィエァみたいな発音だった覚えがある >>925
九州は北から南までやたらと強い海や山の商業戦士集団がいたからな
それが西から東に動いてるわ >>1
魏志倭人伝によると、卑弥呼の墓は円墳
それに前方康円墳は4世紀の墓
馬鹿馬鹿しい。 まだ邪馬台国やら卑弥呼が実在したと思ってんのか
誤訳だ誤訳、そんなもん無かったんだよ
ヤマトコクと日の巫女の当て字だよ >>800
道なき道をかき分けかき分け歩いたんじゃないか 昔、吉野ヶ里観光行った時、案内の人が
「この遺跡を見てください、邪馬台国は九州以外あり得ません!」
って言ってたの思い出した
最近知ったけど、吉野ヶ里と邪馬台国じゃ時代が違うんだろ?
結局、九州説って村おこしが目的だから支持されないんじゃね?
奈良のムクムク?も行ったけど、けっこうあっさりしてて、こっちが必死に聞きまくったわ
しかも、午後4時半くらいで店が閉店して「そして、僕達は途方にくれますたw」
奈良は卑弥呼商法より大仏商法なんだなw 「卑弥呼さまー、国の名前を決めてくださいー。」
卑弥呼「邪まタイ。」 ヤマト国の日巫女が倭国連合を統治するために九州から畿内に遷都した
↓
日巫女の死後離反する国が出てくる
↓
神武天皇が東征
↓
ヤマト国の再統一達成
↓
大和王朝を宣言
こんな感じじゃないか? >>710
アマテルって言う男の人みたいだよ
ホツマツタヱによると
何故かおおひるめが、アマテラスって事にされたみたい。 >>786
大和朝廷九州説こそ政治的意図の産物そのものだろw >>739
自信がないから魏史にこうかいてあるとしかけないんでないの >>857
歴史をクリエイトして近畿を貶めたいトンキン大学の陰謀だってはっきり分かんだね
そしてそれに釣られる阿呆ども >>806
山も海もあるとなると四国、伊勢辺りが候補になる。 推測だけど、今回の記事は事実と記者の誤認が混ざってると思う。
小柳古墳という古墳があることは事実で、石棺が確認されて市の調査が終了していることも
事実。
ただ、記者が注目したり地元の人の間で噂されてる画像の地点は自然の地形であって、
小柳古墳は右側に少しだけ原型が保たれてる小山部分。
そして、土器云々の話も事実だが、おそらく右側の小柳古墳で出土された話が地元でも
ごっちゃになって、前方後円墳に見える今回の地点から出土したことのように誤解されてるのだと
思う。
でも面白いのは小柳古墳が大して注目されてこなかったみたいだし、もし小柳古墳と思われる地点の
下に存在する工場が小柳古墳を削って建設されたとしたら、小柳古墳はかなり大規模だったことになる。
もう一度、本当の小柳古墳を調査してみる価値はあると思うよ。 >>912
インドネシア説とは別かもしれないが
マレー半島付近に耶馬提というところがあったらしいな
東晋僧法顕が寄ったらしい 周王朝の姫氏の子って意味じゃないの?
これがバレるの嫌だから隠蔽してるんだろ(´・ω・`)
敵対してたのもヒメココ(姫氏の子の子)
陳寿の三国志の記述とも距離が合致する
投馬国は殺馬国→薩摩国
草書体で書かれていた三国志を楷書体に写本する際に誤変換された >>944
魚豢の魏略かな 太白の後裔というのは
興味深いけど、周王の長子太白には子がいなかった
周祖である古公亶父の出身亶州が日本ならありえる >>712
奈良時代の平城京造成の際に、邪魔な古墳はあらかた破壊されたみたいだけどなw まあ>>64で解散なんだけど、赤村や香春町を含む田川郡は、
トヨの国の中心地ではあるよな(たとえば>>730)。 >>24
倭国の「倭」は小さくて醜いという意味。辺境の名称なんぞこれで十分だろwって支那が当てた字。
それと同じ意味の「卑」だよ しかし、今だに新たな古墳見つかるのね。
日本の歴史、長いねぇ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。