0001ばーど ★
2018/03/21(水) 13:19:52.99ID:CAP_USER9「消波ブロック」と聞いてすぐさまピンとくる人は、建設業関係者か相当なコンクリート愛好家だろう。港や河川敷にごろごろ転がっている、三角形とも三角錐とも名状しがたい無骨なコンクリートの塊。一般的には「テトラポッド」の名で親しまれているが、これは最大手メーカーである不動テトラの商標で、正式名称は「消波ブロック」、あるいは平たい形のものと併せて「消波・根固ブロック」などと呼ばれる。
■茨城県大洗町に大量のブロック
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3月中旬、JR水戸駅から車で20分ほど走った場所にある茨城県大洗町。全国有数の広さを誇る大洗サンビーチ海水浴場で、大量の消波ブロックが造られていた。
訪れた時点ですでに製造は佳境を迎え、独特の丸みを帯びた4脚のブロックが海水浴場にひしめき合う。「ここまで大規模な現場はなかなかない」。案内役の不動テトラ東京本店茨城営業所の横田健蔵所長が目を細めるのもうなずける。
大洗町で大量の消波ブロックが造られているのは、2011年3月の東日本大震災で同町が深刻な被害を被ったからだ。東北地方だけでなく、町の沿岸部にも停泊中の船やコンテナを運ぶ10トントラックをも押し流す津波が押し寄せた。その教訓として、海岸線では防潮堤の建設や土地のかさ上げ工事が進んでいる。波がぶつかることで威力を減衰させるブロックも、津波や海岸浸食対策として港や浜辺に設置されている。
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ひとつひとつが重くサイズも大きいブロックは輸送コストがかさむため、工場ではなく現地生産が基本だ。ブロック会社の稼ぎ頭も、ブロックの製造・出荷ではなく、コンクリートを流し込む型枠のリース料となる。大洗町の現場で造られているブロックの型枠は不動テトラの所有で、現場で製造するブロック1個につきいくら、という契約で地元の建設業者に貸し出されている。
完成したブロックには識別番号が振られており、確認した中で最も大きい数字は224だった。現場は全部で6工区に分かれ、1工区あたり250個前後のブロックを造ることから、おおよそ1500個のブロックが海水浴場に出現することになる。ちなみに12トンモデルでは、型枠リース料や労務・資材費などを含めて1個10万円ほどだという。むろん個人販売はしていない。完成したブロックは、既存のブロックの上にクレーンで積み重ねられていく予定だ。
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■もともとフランスで開発された
大洗町だけでなく、自然災害の多い日本では全国に消波ブロックが設置されている。その歴史をひもとくと、1949年に火力発電所の護岸工事のためにフランスで開発されたのが始まりだ。配水管を波から守るために設置されたが、その優れた消波能力が話題となった。ほどなく日本でもブロックが造られるようになり、1961年にはフランスからブロック製造の特許を譲り受けた日本テトラポッド(現不動テトラ)が設立され、加速度的に普及していった。
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トレードマークとなった4脚のブロック「テトラポッド」が製造されるのもこの頃だ。高度経済成長の波に乗り、ブロックは全国の護岸工事で設置されていった。1967年には業界団体である「日本消波根固ブロック協会」が発足、現在16社1支部が加盟するひとつの産業へと成長した。
だが、ビジネスとしての消波ブロック事業の先行きには不透明感が漂う。「全国の港湾でブロックの設置が一巡し、需要が細ってきている」(日本消波根固ブロック協会の中西勉会長)ためで新規に設置できる港湾や河川敷になくなってきているのだ。市場全体の統計が存在せず厳密な業界動向の把握は難しいが、上場企業3社のブロック事業部門の売上高推移を見ると、長期的な衰退傾向にある。
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実は、業界トップの不動テトラの収益柱は海洋土木や地盤改良事業であり、会社の源流であるブロック事業は慢性的な赤字が続いている。こうした状況を受け、今年1月にはブロック事業を手がける子会社を吸収合併することを発表した。
売上高推移のグラフが時折突き抜けているのは、震災復興で一時的に消波ブロック需要が急増するためだ。東日本大震災のほか、1995年の阪神淡路大震災や2004年の新潟中越地震でも港湾や河川が被災し、設置していたブロックが破損したことから、一時的に型枠の引き合いが強まった。だが復興需要も一段落し、震災前の水準をも下回りつつあるなど、「特需」頼みでは未来は拓けない。
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3/21(水) 6:00
東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180321-00213453-toyo-bus_all&p=1