【言葉】「徘徊」使いません。認知症の本人から「やめて欲しい」との声が上がり自治体などで見直しの動き
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180324-00000072-asahi-soci
認知症の人が一人で外出したり、道に迷ったりすることを「徘徊(はいかい)」と呼んできた。
だが認知症の本人からその呼び方をやめてほしいという声があがり、自治体などで
「徘徊」を使わない動きが広がっている。
「目的もなく、うろうろと歩きまわること」(大辞林)、「どこともなく歩きまわること」(広辞苑)。
辞書に載る「徘徊」の一般的な説明だ。
東京都町田市で活動する「認知症とともに歩む人・本人会議」メンバーで認知症の初期と診断されている
生川(いくかわ)幹雄さん(68)は「徘徊と呼ばれるのは受け入れられない」と話す。散歩中に自分が
どこにいるのか分からなくなった経験があるが、「私は散歩という目的があって出かけた。
道がわからず怖かったが、家に帰らなければと意識していた。徘徊ではないと思う」。
認知症の本人が政策提言などに取り組む「日本認知症本人ワーキンググループ」は、2016年に公表した
「本人からの提案」で、「私たちは、自分なりの理由や目的があって外に出かける」「外出を過剰に危険視して
監視や制止をしないで」などと訴えた。
代表理事の藤田和子さん(56)=鳥取市=は「『徘徊』という言葉で行動を表現する限り、認知症の人は
困った人たちという深層心理から抜け出せず、本人の視点や尊厳を大切にする社会にたどり着けない。
安心して外出が楽しめることを『当たり前』と考え、必要なことを本人と一緒に考えてほしい」と話す。
こうした意見を受け、一部自治体が見直しに動く。福岡県大牟田市は、認知症の人の事故や行方不明を防ぐ
訓練の名称から「徘徊」を外し、15年から「認知症SOSネットワーク模擬訓練」として実施する。
スローガンも「安心して徘徊できるまち」から「安心して外出できるまち」に変え、状況に応じ
「道に迷っている」などと言い換えている。認知症の本人の声を尊重したという。
兵庫県は、16年に作成した見守り・SOSネットワーク構築の「手引き」で、「徘徊」を使わないと明記、
県内市町にも研修などで呼びかける。名古屋市の瑞穂区東部・西部いきいき支援センターは、
14年に作成した啓発冊子のタイトルを「認知症『ひとり歩き』さぽーとBOOK」とした。
「いいあるき」という新語を使うのは東京都国立市。「迷ってもいい、安心できる心地よい歩き」という意味を込め、
16年から始めた模擬訓練で用いている。
厚生労働省は、使用制限などの明確な取り決めはないものの、「『徘徊』と言われている認知症の人の
行動については、無目的に歩いているわけではないと理解している。当事者の意見をふまえ、
新たな文書や行政説明などでは使わないようにしている」(認知症施策推進室)とする。
推計では、認知症高齢者の数は15年時点で500万人を超す。25年には約700万人に達すると見込まれている。
◇
朝日新聞は今後の記事で、認知症の人の行動を表す際に「徘徊(はいかい)」の言葉を原則として使わず、
「外出中に道に迷う」などと表現することにします。今後も認知症の人の思いや人権について、本人の思いを
受け止め、様々な側面から読者のみなさんとともに考えていきたいと思います。 ■解説
認知症をめぐる言葉は歴史とともに変化してきた。「徘徊(はいかい)」については医療・介護の現場からも
「時代にあわない」と問題提起がなされている。
認知症の人が道に迷うのは、場所や時間感覚がわかりにくくなる「見当識障害」が原因とされる。
長く第一線で認知症診療にあたってきた精神科医の松本一生さんは「経験上、(道に迷う)認知症の人の
7割ほどは、何かしら理由があって歩き、必死になって道を探している」と話し、新たな言葉に言い換えて
いくべきだと指摘する。
介護関係者らが使用停止を呼びかける動きもある。兵庫県たつの市のNPO法人播磨オレンジパートナーは、
「歩く目的あり。徘徊と言わないで!」というメッセージ入りの缶バッジをつくった。賛同した全国の介護関係者らと
ともに16年から「撲滅キャンペーン」を展開する。「認知症をニンチと言わないで!」という呼びかけとセットだ。
「認知症」はかつて「痴呆(ちほう)」と呼ばれ、「何もわからなくなった人」との偏見にさらされた。
侮蔑的な表現であるなどの理由で、厚生労働省が「痴呆」を「認知症」と改めたのは04年のことだ。
その後、名前や顔を隠さず思いを語る本人が次々にあらわれた。
「徘徊」の言い換えについて「認知症の人と家族の会」(本部・京都市)の鈴木森夫代表理事は
「本人が傷つく言葉は使わないほうがいい。認知症の正しい理解のために言い方を変える取り組みは大切だ」
と理解を示す。同時に「言葉だけ変えても介護の現実は変わらず、『散歩』『外出』では伝わらないと感じる
家族の気持ちもある。表面的な言い換えにとどまらず、行動の理由や家族の思いを理解しようとする姿勢が必要だ」
と指摘する。
朝日新聞はこれまで記事や見出しで「徘徊」を使用してきた。私もその一人だ。あるとき「行方不明」になりかけた状況を、
認知症の80代男性が自らの言葉で語るのを聞いた。懸命に周りを見渡して場所の手がかりを探す、
その不安と恐怖が胸に迫り、「何もわからぬ人」が「目的もなく」ではないと腑(ふ)に落ちた。個人の体験ではあるが、
本人の思いに身近に接する人が増えるほど、この問題への理解は進むと感じる。
一方、適切な言い換え表現がないなどの理由から、「徘徊」はなお広く用いられている。今回の見直しは
「私たちは使わない」という朝日新聞の姿勢を示すものだが、使用する立場を批判する趣旨ではない。
認知症とともに生きるとはどういうことか、どんな支えが必要なのか。言葉の問題を一つの入り口として、
読者と考えてゆけたらと思う。
介護事業者らが取り組む「ニンチ・はいかい撲滅キャンペーン」の缶バッジを袋詰めする曽根勝一道さん(68)=写真右。
59歳で認知症と診断された当事者だ〈2017年、堺市(若年性認知症の人と家族と地域の支え合いの会「希望の灯(あか)り」提供)〉
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20180324-00000072-asahi-000-view.jpg ジョジョの馬鹿漫画家が、ダイヤモンドスプレーにしろって言うが
攻撃が増加するので使えない
トヨタ自動車のハイエースの営業になってる 行方不明や失踪は誰でも認定されるわけじゃないから
迷子か蒸発になるのかな 子供は子供、障害者は障害者、徘徊は徘徊
それ以外は認めん 看護師 「みんな頑張って徘徊って言葉を使わないようにしましたよ」
老人 「……徘徊?なんじゃそりゃ?美味いのか?」
看護師 「……」 使おうが使わまいがどちらでもいいが、とりあえずそういう事ドヤ顔で言うのがめんどくさいわぁ
こういう人は認知症になる前もとことん面倒くさいひとだったんだろうなと
認知症を受け入れれないのかもしれんが 認知症でも自己防衛できる症状ならいいけど
わかりやすい代替語は無いものか 痴呆を認知症と言い換えさせたのに飽き足らず、今度は「認知症と呼ぶな」ってか?
言葉狩りしたところで、痴呆が回復することはない。
理解できてるかどうかも怪しい本人達の自己満足以外の何物でも無い。 痴呆も認知になったし徘徊はなにになるんだ?
ボケ老人という本質はなにも変わらないがな 徘徊 俳諧
廃人 俳人
↑
日本語は中国から文字も読みも拝借したので言語として欠陥がある 言葉狩りしても意味は無い
代わりの言葉が悪いイメージ付くだけ おまえらIRAは、FBIやCIAの下請けだ
カネのためなら盗む詐偽ならなんでもする
なあフジテレビ 道に迷うような認知症の状態の時でも主観はしっかりしてるんだな 自覚あるのに無駄なプライド振りかざすとか
清々しいほどの老害やなオイ
いちいち取り合うなよ てことは朝から晩までエレベーターで上下繰り返してる婆も外出ということになるんかw 認知症や徘徊は外から見た話だから、いくら本人が正常と考えていても呼び方は必要。
妄想や幻覚があっても本人は真剣、だからといって妄想や幻覚がないわけじゃない。
障害はいつまで言っても障害でしかないのと同じ。 初期のマダラ認知ならわからんでもないが、ある程度認知症進むと徘徊でしかないだろ、何十年も前に無くなった家を探してあてもなく歩き回ることを徘徊以外の何だと アメリカ人に銃殺される天皇 w
ざまみろ www
https://i.imgur.com//////bdFnDHT.jpg
これにネトウヨはダンマリ。抗議一つしない。
アメリカ様の前では玉無しのチキン無能愛国者 www
慰安婦では大騒ぎするくせに、死ね
‘ldfjghruh61309bjqwbdvq >>25
しょうがないだろ
そういう経緯は忘れちゃったんだよ >>43
徘徊してると指摘しても本人は家に帰ってるんだ!と言い張るが帰る家がわからなくなる、まだ理性がある程度残ってるから一番辛い時期かもな 彷徨
ATOKの連想変換で徘徊を変換するとこれがでる >>34
同意
>>47
言葉操って、障害をなんとか障害でないものにしようとするやついるんだよなw 言葉替えても症状は変わらないぞ。w
バカほど、こだわる。 >>55
これな。「認知症による散歩症状」ってのがミソ >>69
X MANに出てきたセレブロに似てるな
風呂場のは破壊したのに もう亡くなったが、近所に認知症らしいお爺さんが居て
大げさでも何でもなく本当に1日中歩いてた。
遠くへは行かないで常に近所の道だったから
何かに迷ってる感じはしなかったな(´・ω・`) >>25
ネトウヨと痴呆老人はおんなじようなもんだなw 車道の真ん中を歩いてる
車の行き交う歩道を横切ろうとしてる
横断歩道を渡ろうとするが、信号機の色がわからない
他人の敷地に入って、そこにあったものを持っていってしまう
本人は、どこから持ってきたのか覚えてないから返しようがないし、
謝罪のしようもない。
どうすればいい?・・・どうすればいいのさ? 言葉狩りはなんの解決にもならないのは歴史が証明してる
朝日のエセインテリ風情丸出しの記事 >>1
アフォかw
痴呆と言わずに認知症と言ってなんか認識が変わったか?
新たな言葉がより特定の行為を表す様になるだけ。 アメリカ空軍の使ってるらしい、暴走族の馬鹿の使う
モーターからの放電装置
地震もつくれるし、人間の洗脳もできる
死ねと言い聞かせ続ければ死ぬ
ってことは、犯人は井戸のモーターの日立製作所か
本社はイギリスだな >>1
といか「道に迷う=迷子」の方が屈辱的なんじゃねーの?
俺とかもさんざん利用して、イギリスに新幹線売ったのに
恩知らずもいいとこだ まぁでも確かに徘徊はイメージが悪いな(´・ω・`)
この件に関しては違う言葉を使う方が
よいかもしれんと思う 無職って言葉嫌いだから使わないで、って言ったらいいのかな? 馬鹿じゃねーの?
こんな事したって本質何にも変わらないのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています