ちょっとコピペ
>『日本書紀』の雄略2年10月 (旧暦)の条には「置宍人部 降問群臣 群臣黙然 理且難対 今貢未晩 我為初 膳臣長野 能作宍膾[11]」と宍人部(食肉に携わる職の家系)の起源伝承が述べられており、
生肉が宍膾(ししなます)にして食べられた旨が書かれている。
生肉を食べるのは神事であり、生肉の保存技術が無いために生贄はその場で屠殺して食べられた[12]。
>奈良時代になると、貴族食と庶民食が分離するようになった。
また、仏教の影響で、動物の殺生や肉食がたびたび禁じられるようになった。『日本書紀』によると675年、天武天皇は仏教の立場から檻阱(落とし穴)や機槍(飛び出す槍)を使った狩猟を禁じた。
また、農耕期間でもある4月から9月の間、牛、馬、犬、サル、鶏を食することが禁止された。ただし一般的な獣肉であった鹿と猪は禁じられていない[7]。
その後も罠や狩猟方法に関する禁令がたびたび出された。正月の宮中行事である御薬を供ずる儀でも、獣肉の代わりに鶏肉が供されるようになった。
また、この頃から貴族の間で牛乳や乳製品の摂取が盛んになり、動物性タンパクが補われるようになった[5]。