宮城県の60代女性が国を訴えた旧優生保護法下の強制不妊手術の問題で、大津市の聴覚障害者の女性が亡くなる直前に、障害ゆえに断種された不条理を手話の映像に残していた。手術が同法に基づくかは不明だが、障害や疾患を理由に人権侵害が正当化された戦後社会の暗部を、身を切るかのように訴える。関係者は「つらい経験を後輩にしてほしくないという思いを受け継ぎたい」と話す。

 聴覚障害者が実名で人生を振り返るDVDシリーズの1巻。2010年11月に京都市で収録し、女性は手術の話も含め自らの意思で計20分間、記録に残した。80歳になる手前だった。

 映像では、女性がおなかを切るように手を動かす「手術」、顔をしかめて左右の手を上下に引き離す「差別だ」との怒り、事実を知った夫が涙を流して義理の母に手を上げた情景を手話と表情で生々しく伝える。

 親交のあった手話通訳者の竹村美代子さん(64)と全国手話通訳問題研究会研究誌部員の田中欣也さん(39)=いずれも大津市=によると、女性は30代で聴覚障害のある夫と結婚した。吐き気をもよおす日が続き、義母に病院に連れて行かれ、何も告げられないまま手術された。

 一向に妊娠しないことを不思議に思い、信頼していた兄に相談すると、兄は「堕胎と不妊手術をした」と告白した。理由は「みんなで相談して決めた」。女性は「お兄ちゃんには子どもがいるのに、それは差別や」と強く反発したという。

 旧優生保護法では「遺伝性の難聴またはろう」も本人同意が不要な強制不妊手術の対象だった。ただ、女性への手術が同法に基づくかは不明だ。

 竹村さんは、女性がおいやめいに贈る刺し子を作りながら「私も子どもがほしかった。夫に抱かせてあげたかった」と嘆く姿を覚えている。

 田中さんは、耳が聞こえない両親の下で育ち、幼少から女性と面識があった。「時代が少し違えば僕は生まれていなかったと思うと、ひとごとでない。当時は障害者には子どもを産み育てられないとの偏見や風潮があった。過ちは二度と繰り返してはいけない」と話す。



京都新聞 2018年03月29日 17時00分
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180329000102