https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180411-00540682-shincho-soci

■再犯率は低いが逃走も多い

「塀のない刑務所」という表現に、驚いた方も多いだろう。4月8日午後6時ごろ、窃盗罪などで服役中の
平尾龍磨受刑者(27)が、松山刑務所・大井造船作業場(愛媛県今治市)から逃走した。

開設は1961年というから歴史は古い。「再建王」の異名のあった実業家、故・坪内寿夫(1914〜99)が、
自身の所有していた造船所(現在は「新来島どっく大西工場」)内に、松山刑務所と協力して日本で唯一
「塀のない刑務所」を作ったことが原点だ。

受刑者は寮で生活し、造船所で働く作業員と共に汗を流す。寮の窓に鉄格子さえ存在せず、鍵もかかっていない。法務省の資料には、

・受刑者自身の責任と自立的な行動によって規律の尊守を確保する
・可能な限り一般社会生活に近似した環境において社会復帰のための有効な処遇を実現する

ことを目的としたと書かれている。当時はもとより現在でも「前例のない先駆的な」刑務所として、全世界から見学者が訪れるという。

特徴は再犯率の低さだ。2012年、交通事故の過失犯を除いた一般刑法犯の再犯率は45.3%。
それに対して大井造船作業場では10年から15年の平均再犯率は2.2%と著しく低い。

一方で、脱走の多い刑務所としても知られている。開所以降、今回の平尾容疑者を含めて17件20人の受刑囚が逃げ出した。
生活態度が良好で、逃走や自殺を図ったことのない“模範囚の中の模範囚”を選んでいるにもかかわらず、だ。

しかも94年には、当時29歳の受刑囚が、逃走中に女子大生を拉致するなどの凶悪事件を引き起こし、
逮捕後の一審で福岡地裁は懲役14年を言い渡している。

■軍隊より厳しい刑務所!?

こうした歴史から、「受刑囚の自由を認めることで、高い社会復帰率を達成しているが、その分、脱走のリスクも高い」
と認識する人は多いだろう。事実、そういう方向性での報道も目立つ。

ところが、大井造船作業場は、もう1つの“悪名”を持つ。実は“犯罪者”の間では「日本で最も厳しく、最も恐ろしい刑務所」とも呼ばれているのだ。

たしかにウィキペディアの「松山刑務所大井造船作業場」の項目を見てみると、

・軍隊以上の規律正しい生活
・些細なミスでも厳しく指導を受ける
・睡眠時以外は常に緊張を強いられる

といった文言が並ぶ。

大井造船作業場の出所者にインタビューを行った雑誌がある。月刊誌「実話ナックルズ」(ミリオン出版)の17年11月号に
「(告白)“塀のない刑務所”の血の掟を見た――松山刑務所大井造船作業場 恐怖の現場」(取材・文=鈴木ユーリ)との記事が掲載されている。
要点を紹介させてもらおう。

・他の刑務所に比べると半分の刑期で仮釈放となる
・土日にレクリエーションがあり、約1時間の海水浴や、花火大会も屋上から見物できる
・面会も1時間自由に喋ることができ、差し入れも普通の刑務所より自由

なんだ、やっぱり「受刑者を信頼している」刑務所ではないか、と思っていると、次第に内容が変わっていく。

・上限40人のため選抜が厳しい。20代から40代の初犯の模範囚に限り、刺青はNG
・作業場に到着すると、いきなりぶっ倒れるまで「どうもすみませんでした」と謝らされ続ける厳しい“シゴキ”が行われる。
初日で「松山刑務所に帰してください」と泣きつく受刑囚も珍しくない
・先輩への口答えは厳禁。先輩が後輩に“ヤキを入れる”場面も散見される