道徳は必要だとこのスレ見ても分かる。最低限の考え方ができていない人間は結構多い。
結果が良ければそれでいいという考えには全く賛成できない。
結果が良かったからいいものの、それでヒットになって無かったら最低。結果論に過ぎない。
監督の指示が結果が出る前の最善策だったのにはかわりがない。
ただ監督の言い方に問題があるだけ。
「ヒットになってよかった、でもならなかったらスタンドプレーだった。もしそういうのを誰もがするとチームは勝てなくなる確率が高くなる。それはチームプレーとは言えないよ。練習でもっと打率が良くなってきたら打てと言うからそれまで練習頑張ろう。」でいい。
状況にあわせてモラルなんてのは変わる。
いつなんどきも監督に従えとか、いつなんどきも個人の自主性を優先しろなんてのはモラハラにしかならない。

道徳はその時代の有るべき規範を共有する時間をつくるってのが意義。
正解や点数を付けるものではないが、その時代の有るべき規範というのは確実にあるし、論理的に帰結できるものもある。
それを共有する時間を学校教育の中に取り入れることは、
ほりえもんやひろゆきみたいな、 個人の自由意思が最大最高のものとするリバタリアンやサイコパスを減らす効果がある。
彼らはそれでもサイコパスだが、道徳の時間がないよりは彼らのような人間を減らす力にはなる。

道徳教育がダメなのではなく道徳教育のしかたがダメって話なわけ
道徳教育受けたものすべてがモラハラするわけでもないのに極論でレッテル貼って道徳の時間そのものを否定している人間がそれを理解できることを望む

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