姫路に特化したローカルウェブサイト「姫路の種」の編集長で、イラストレーターの河嶋直彦さん(44)=兵庫県姫路市=が描いた似顔絵作品が、目標としてきた1万人を達成した。商店街や各地の路上で、繁華街の酔客から薬屋やコーヒー店主、お笑いタレント、大物政治家まで幅広く描き、10年目での達成。「しんどかったけど、描き続けることで街とつながれた」と達成感に浸った。

 溶接業の傍らでイラストの制作を始め、似顔絵を描き始めたのは2008年。けがで失職し、絵の技術を頼りに生きていこうと決意したが、頼るべき人もいない。自暴自棄になりながら自分の絵を売り込んでいたある日、みゆき通り商店街で情報発信拠点「電博堂」を運営していた亀山智行さん(61)に、店の前で似顔絵を描くよう勧められた。

 「君の絵は表彰台に上がれる絵じゃない。でも4位にはなれる」。亀山さんの言葉が河嶋さんに響いた。「4位なりにやれるだけやってみよう」と前向きに。それからは来る日も来る日も似顔絵を描き続けた。

 絵のポリシーは「相手をそのまま描く」こと。過剰に美化せず、欠点とも見られがちな顔のほくろもそのまま描く。「似てへんがな」と怒られたことも一度や二度ではない。それでも、「同じ人でも月日が経てば顔つきが変わる。内面から生じる変化を感じてほしい」という。

 忘れられないのはテレビの取材を受けた時、たまたまモデルになってもらった94歳の女性だ。

 河嶋さんは女性に絵を贈り、絵のコピーを額に入れて飾り、商品の見本に。だが取材から2〜3年後、商店街で女性に会うことがぱたりとなくなった。「いつも同じ時間に商店街を散歩していたのに」と心配していたある日、女性の息子という中年男性が絵を見て河嶋さんに話しかけた。

 「母はつい先日亡くなりました」。男性はそう告げ、棺桶に河嶋さんの絵を入れたことを話した。「大好きだったみゆき通りをずっと見られ、母は喜んでいると思います」。男性の言葉に、描き続ける思いを新たにした。

 描きながら人生相談をされることも少なくない。「私かて、悩み聞いてほしい時があるんです」と話し始めたのはある寺の住職だった。せきを切ったように話し続けたという。

 さまざまな人に出会った10年間。節目の1万人目は、スタートのきっかけをくれた亀山さんを選んだ。約10分で描き終え、「1万人は通過点。これからも描き続けます」と宣言した。



神戸新聞NEXT 2018/4/21 05:30
https://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201804/0011182898.shtml