かつて「末は博士か大臣か」と言われ、今も少なくない子供たちが憧れる「博士」。日本で近代的な学位としての博士が制度化されてから130年が過ぎた。この間、博士号やその取得者を取り巻く状況はどう変化してきたのだろうか。

 第一生命が小学6年生までの子供たちに「大人になったらなりたいもの」を尋ねたアンケート結果で今年、「学者・博士」が男の子の1位となった。この「博士」という言葉自体は古くからあり、律令制の官職では大学寮や陰陽寮などに属した教官を指した。有名な陰陽師・安倍晴明は「天文学博士」だった。

 1887(明治20)年に公布された「学位令」で、法学・医学・工学・文学・理学の5種類の博士が設けられ、翌年25人に初めて授与された。この時、「博士」の読みは「はくし」とされた。「大博士」の規定もあったが授与されず廃止されている。

 博士の学位は、大学院に入り試験に合格した人に対して、帝国大学評議会の議を経て文部大臣が授与するとされたが、「これと同等以上の学力がある者」も対象とされ、実際はこちらの規定を元に博士になる人が多かった。天野郁夫・東京大学名誉教授(教育社会学)は、「授与された学位の大半はこの『推薦博士』と言うべきもの。大学院を出ることは学位取得の主要ルートにならなかった」と語る。

 98年に改正された学位令では推薦の幅が広がる。1911年に文部省が授与した文学博士号を夏目漱石が「辞退」して騒動となるのは、このうち博士で構成する「博士会」の推薦によるものだ。その後、20年の改正で推薦制度はなくなり、論文提出が必須に。あわせて博士号を授与する主体が文部大臣から各大学に変わった。「20年までの帝国大学教授にとって、博士学位は学問の研鑽(けんさん)を積んだ証しに得るというより、教授になるともらえる『名誉の称号』の意味合いが強かった」と天野さん。

 戦後の教育改革を経て、博士に加えて「修士」の学位が設けられるなど、現在につながる様々な制度変更がなされた。5種類でスタートした博士学位は19種類まで増えたが、91年の制度変更で廃止された。現在は「博士(文学)」などと専攻分野をカッコ内に表記し、その数は優に100を超える。

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