ホップ畑でリフト車に乗り、地上から5.5メートルの高さで作業する田沼さん。「今だからできる仕事。あと10年たったらできないだろう」
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 ビールの原料となるホップの生産が盛んだった青森県三戸町と田子町。最盛期の1965(昭和40)年に両町合わせて63戸あった農家は、田子町の3戸を残すのみとなった。農家自身は高齢化。担い手と後継者不足が暗い影を落とす。半世紀以上の歴史ある農業が、青森県から消える危機にひんしている。

 「あと10年たったら、もうできないだろうな」。22日夕。田子町北東部の田子日ノ沢地区。田沼義行さん(60)は、所有するホップ畑でつぶやいた。

 4代続く農家。先代の故・義三さんが65年ごろからホップ生産を始め、後を継いだ。夏場は適度に涼しく、沿岸部に比べて風の影響も少ない東北地方の内陸部は生育に最適だった。76年には「日ノ沢ホップ生産組合」が誕生。繁忙期は仲間と助け合って働いた。

 ホップにとって重要な時期は6〜7月。空に向かって糸に絡まりながら伸びてきたツルが倒れないよう、先端を5.5メートルの高さに張ったワイヤに巻き付ける。さらに邪魔な枝を切り落とす作業にも追われる。竹馬のような器具「ハイポール」を足に着けて高所作業をする人が多かったが、バランスを崩せば大けがをしかねない。「一朝一夕にできる技術ではない」。田沼さんはハイポールの代わりに、専用のリフト車が長年手放せない。

 年を重ねた仲間は作業をやめ、同町名産のニンニクに軸足を置く人が増えた。今や町内で続けているのは、田沼さんを含めて3人だけとなった。

 独立した子4人から家業を継ぎたい、という話はない。7年前に組合は解散。作業を手伝ってくれる人を集めるのに毎年苦労する。「もっと早く、皆で担い手確保策を考えるべきだった。こうなってからではもう遅い」と自らを責めるように言う。

 三戸町中心部から南西へ5キロ。同町斗内に住む北向敦さん(60)は仲間2人と話し合い、30年余続いた「斗川ホップ生産組合」の解散を昨年末に決めた。

 ホップは、生産分をメーカーが全て買い取る契約栽培となっている。1キロの価格は上質な成分を含む1等品で2千円超。大幅な値崩れはなく、安定収入が見込みやすい。販路を探す手間が省けるのもメリットだ。

 だが作業は重労働。斗内とその近隣を合わせた地域の高齢化率は45%弱。8月下旬から9月上旬の収穫期は人手の確保がままならず、大型機械を動かすのに苦しんだ。「もう(ホップは)ギブアップだ」。10歳上の仲間に同調。町産ホップを使った地ビールの試作品が評判を呼び、町などが商品化に向け可能性を探っていたさなかの出来事だった。

 「これまで汗流して頑張ってきたんだけれどな」。ホップの株は畑から全てかきだした。これからは、ネギの生産に力を入れる。

 両町の組合が所属した岩手県北ホップ農協(同県二戸市)や全国ホップ農協連合会の資料によると、昨年の国産生産量は約273トンで、50年前の1割以下。平成に入ってからは、国産のほぼ半値という外国産のシェアが高まり、9割を超えていた自給率は約5%に落ち込んだ。若者を中心としたビール離れが続き、出荷量減に拍車を掛ける。

 「産地消滅は望んでいない。地方の生産者を大事にしていきたい」。田子町や三戸町のホップを買い取ってきたサッポロビールの広報室・福嶋禎久シニアマネジャーは力説する。しかし1等品1キロは20年近く、2017〜2037円で推移。岩手県北農協の横島敏彦参事は、懸念を募らす。

 「ホップ単価を上げるなど、生産者の意欲を上げるような策を講じなければ新規就農も増えない。このままでは、どんどん細っていくばかりだ」

▼岩手・遠野 新規就農者を支援

 ホップ栽培面積日本一を誇る岩手県遠野市。人口2万7千人のうち65歳以上は1万人。高齢化は進み、ホップ農家は最盛期の1974(昭和49)年から200戸以上減の34戸となった。危機感を募らせた市は「ホップ担い手確保ステップアップ事業」を展開、新規就農者の確保に力を入れている。

 2015年度から始まった事業は、耕作を放棄した畑を農協が管理し新規就農者に貸し出す仕組み。18〜45歳の移住者や市民が対象。家賃や研修費を最長2年間負担し、独り立ちを後押しする。岩手県認定のホップ栽培研修機関「遠野アサヒ農園」

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4/30(月) 12:19
Web東奥
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