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5月12日 18時49分
8万7000人余りが犠牲になった中国の四川大地震から12日で10年となりました。中国政府は復興の成功を強調していますが、学校校舎のずさんな工事で子どもが犠牲になったと訴える親たちは、政府への批判が広がることを恐れる当局から今もなお厳しい監視を受けています。

2008年5月12日に起きたマグニチュード8.0の四川大地震では広い範囲で建物が倒壊し、死者・行方不明者は8万7000人余りに上りました。

中国政府は地震のあとおよそ29兆円を投入して住宅の再建や橋や道路のインフラ整備などを進め、地元政府は被災地域のGDPは震災前の3倍に増えたと強調し、国営の中国中央テレビも新しい街が観光客らでにぎわう様子などを伝えています。

その一方で、被災地の一部では地震を機に企業が撤退したり住民が流出したりしているほか、観光業でも利益を得ているのは一部で、地域経済を支える産業の振興は遅れているといった不満の声が出ています。

四川大地震では学校が倒壊したにもかかわらず周辺の建物は残ったところが相次ぎ、学校校舎のずさんな工事による人災を強く疑う声が根強く残っています。

しかし、子どもが犠牲になったと訴える親たちは陳情に出かけるのを当局に阻止されるなど、政府への批判が広がることを恐れる当局から厳しい監視を今もなお受けていて、悲しみとやりきれない思いをさらに深くしています。

被災地で遺族が追悼

四川大地震の被災地では12日、多くの遺族や市民が訪れ、犠牲者に祈りをささげました。

このうち、山間部の北川県では、慰霊碑や崩れた建物の前で遺族などが花や線香を手向け、地震の起きた午後2時28分になると大勢の人たちが黙とうをささげました。

北川県は、1万5600人余りが死亡し、およそ4300人が建物や土砂に埋もれて行方不明のままとなっていて、町全体が震災遺構となっています。

土砂に埋もれた中学校の前では、たまたま屋外で授業中だったため助かった当時の生徒、十数人が訪れ、そろいのシャツを着て同級生や先生の死を悼んでいました。

その1人、劉琴さん(26)は「友達や先生も助かるべきだったのに助からなかった。亡くなった人たちの分も頑張って生きていきたい」と話していました。

16歳の息子を失った成興鳳さん(50)は、「この10年であらゆることが変わったけれどあなたへの愛情は永遠に変わらない」と息子へのメッセージを記した横断幕を掲げました。

成さんは「親孝行な息子だったのでとても恋しいです。息子もきっと見てくれていると思います」と話していました。

こうした追悼の場でも、12日は警戒に当たる警察官の姿や臨時に設置された監視カメラなどが見られ、当局が神経をとがらせていることをうかがわせていました。

手抜き工事訴える遺族を制止する動きも

四川大地震では、学校の倒壊が相次いだことから、犠牲となった子どもの遺族たちが政府に真相究明に当たるよう改めて訴えました。

このうち、都江堰市では、遺族たちが倒壊した中学校の跡地の近くで「子どもたちは手抜き工事で亡くなった」とか「子どもの命を奪った手抜き工事を忘れるな」などと書かれた横断幕を掲げましたが、当局の関係者と見られる男らが一部の遺族を羽交い絞めにするなどして抗議活動を制止する動きも見られました。

NHKの取材班も車で現場に近づくと男らが進路をふさいで取り囲み、「取材をせずに帰れ」などと言って妨害しました。