【奈良】纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180514/k10011438091000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_002
5月14日 19時00分
邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった大量の桃の種の年代を測定した結果、女王・卑弥呼の時代と重なることがわかりました。邪馬台国の謎に迫る新たな資料として注目されます。
纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡で、邪馬台国があった場所の有力な候補の1つとされています。
遺跡では、8年前、卑弥呼の宮殿跡との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばで、桃の種が2000個以上見つかりました。この桃の種を、名古屋大学の中村俊夫名誉教授と元徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲さんが、それぞれ放射性炭素を使った年代測定を行ったところ、いずれも西暦135年から230年の間のものの可能性が高いことがわかりました。
卑弥呼は中国の歴史書「魏志倭人伝」で、3世紀前半ごろに邪馬台国を治めていたとされ、今回の結果は卑弥呼の時代と一部、重なっています。また、桃は古くから神聖な果物とされていたことから、卑弥呼が行った祭しで供えたのではないかという指摘もあるということです。
桜井市纒向学研究センターの寺澤薫所長は、「魏志倭人伝の記述にある卑弥呼の時代と重なり、纒向遺跡について考えるうえで重要な資料だ」と話しています。
邪馬台国九州説の研究者「卑弥呼 明確には結びつかず」
邪馬台国が九州にあったとする説を唱える、佐賀女子短期大学の高島忠平名誉教授は、「参考になる研究成果だが、邪馬台国の所在地や卑弥呼と結びつく明確な材料はなく、今回の成果で論ずるのは無理があるのではないか」と話しています。 邪馬台国論争はもう40年以上も続いている。
こんなの、どうあがいても完全な答えなんかでるわけない。
これで、論文が書けて、給料がもらえるなんて考古学利権w >>7
全くその通りだわ。完全に利権構造になっているな。 関西にB地区が多いのは、B層が多いと統治しやすいから。
大和政権に都合がいい。被支配層の怒りの矛先をB層へもっていける。
嫌な地域。 ハイヒール とか ダウンたオウン 爆笑 と びーとたけし
関テレ5時ニュースら
オリンピックの利権で とりつけけ 自民党と野党政治からとりつえやってる
あほら
お笑いら
じつめいいり ふじてれびと たけしと 関テレ tbs恵んとこ 723 :名無しさん@1周年:2016/03/04(金) 23:53:28.96 ID:esdpABAq0
>>692
20世紀後半をピークに、極東において、世界最大の都市として繁栄を極めたとされる都市「東京」。
その位置は、長く謎に包まれていた。
しかし、3018年、台湾島の台中遺跡の民家の跡から、東京を歌ったとされる詩の一部が見つかった。
作者は長渕剛。出身は九州島南端部と分かっている。
そして、「花の都大東京」は「北へ北へ」向かう先にあると記されている。
この意義は、大変に重要なことではなかろうか。
当時の九州島において、最大の都市は北端部の福岡であることが分かっている。
しかし福岡が東京と呼ばれたという事実はない。そして、「北へ北へ」とは、
当時の日本語における強調表現であり、福岡よりもずっと北にある、ということを示す。
「論理の示すところへ行こう、それがどこであっても」という、
われらの知性を貫く大原則に我々は従おう。(誰のことばか、わかる人はわかるよねww)
734 :名無しさん@1周年:2016/03/05(土) 00:01:03.67 ID:9FdJ9dZ40
さて、「東京」というのは、中国文明の影響を受けた名称であることは明らかである。
そして、同時代、中国大陸には、「北京」という都市と「南京」という都市があったことがわかっている。
ならば、「西京」と「東京」があっても不思議ではないだろう。この問題を、もう一つのカギとしたい。
同時代の中華人民共和国発行の地図を見ると、古代都市長安が、この時代「西安」と呼ばれていたことがわかる。
この都市は、その前代には「京兆」と呼ばれていたことが、モンゴル王朝の資料から推測される。
ということは、この都市は「西京」と呼ばれていただろう、ということが、論理的に導かれる。
ここで、地図を開いてみよう。北京と南京を結ぶ線の中点と、西安つまり西京を結ぶ線分を考える。
この線分を東側に伸ばした点、これが「東京」の真の位置として、幾何学的に導かれる。
この位置に、どんな遺跡がみつかるだろうか?
そう、黄海の対岸、ぴったりの位置に、巨大都市の遺跡がみつかるではないか。 桃たくさん食って捨ててただけじゃね?
本当に祭祀なのか? 祭祀で桃は魔除けに使ってたんじゃないかな
中国に桃源郷とかあるやん
エデンの園のリンゴ的な意味があるのかも? >>7
中学の時の先生が卑弥呼に贈られた金印が出てきたらそこが邪馬台国だと証明されるって言ってたよ
異論は許さない頑固な先生だったから本当に正しいかは分からないけど
その話は印象に残ってる >>21
魏王から王に封ずるってことで、位を示す金印が送られてるから、金印が出れば、そこが最有力地になるよ 正直、やばくね?桃の種頼りとかマジで終わってんじゃん。 >纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡
>西暦135年から230年の間 >>3
この頃の大阪は上町台地と湿地帯しかないだろ。
海だってもっと内陸まで入り込んでいただろうし。 >>20
纒向遺跡や卑弥呼の時代は桃花源記(の設定)より古いんだよね
もちろん桃の神聖視は(中国では)もっと古いけど <*`∀´> それはウリがこの土地を支配した時に蒔いた種ニダよ♥ ちょっと筋っぽくて酸っぱさもある、ワイルドなとんがり桃なんだろうな
現代の激甘白桃もいいけど、昔の品種も熟すと美味いのではないか? >>1
卑弥呼の起源は8000000億年前の韓国の英雄パク・ヒムコンであることは歴史的事実ニダ マキムク遺跡は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓とされていて、ももそ姫の
弟が桃太郎で有名な吉備津彦命。
今はauのCMでも有名なように日本を代表する人物だね。 炭素14年代測定法って数百年の誤差があるんだが、
それでも種なんかは比較的正確に出るんだが、
これまでの桃の種の測定結果では4世紀の可能性が高かったと思うが。
ていうか魏志倭人伝に馬はいない、棺あって槨なしってはっきり書いてあって、
巻向はそれに矛盾しているんだからあれが邪馬台国とか絶対ありえないってことは、
考古学を少しでもかじっていればわかるだろう。
もし桃の種が卑弥呼の年代と重なるなら、むしろ邪馬台国でない証拠になる。 >>1
なんでもかんでも卑弥呼に結びつけたら予算が降ってくると思ってる奈良の穴掘り土人め
いいかげんにしろ
歴史をねじ曲げるな >>20
古事記読めよ
黄泉比良坂をイザナギが逃げる場面で
桃の実が出てくる >>2
必死なのは、九州説に持っていきたい左翼思想家のほう。 >>23
見つかってないんだよね
昔、見つけた人がこっそり溶かしちゃってたら分かんないもんなー >>40
逆じゃん。歴史を曲げてまで日本をシナの属国にしたい畿内説とか、やばいだろう。つか、あんた日本人じゃないねw
マジで! >1
>放射性炭素を使った年代測定を行ったところ
C14(炭素14)測定法?
はい解散! 大型内行花紋鏡を出している九州のほうがいまだに一歩リードかな? >>46
そしてホケノ山古墳も
ホケノ山古墳は大神神社の伝承によれば豊鍬入姫命の墓
桧原神社を祀った人物 墓の場所と邪馬台国の場所って何か関係あるのでしょうか?いや、ありません >>54
では、例えば大仙古墳付近って何て国でした? 単純な話、邪馬台国の主要産業は稲作である
当然ながら稲作には大量の淡水を必要とする
周辺の諸国を従えて大きな国になるためには、周辺諸国に優越する広大な水田が要る
大阪や東京や名古屋や福岡など、海岸地域は海水だらけで淡水の確保が難しく邪馬台国のような大きな国が出来ない
大阪が本格的に開発されるのは仁徳天皇による茨田堤という巨大堤防建設以降である 当時後漢末期で勢力を伸ばしてた
新興宗教の太平道も桃を祭祀に使ってた
つまり卑弥呼も同じ宗派かもしれない >>23
最有力地は同意だけれど、
後継者に受け継がれて移転している可能性も捨てきれない。
古墳から金印を抱いた老女の遺体が見つかって、
そこに墓誌でもないかぎり断定は厳しいだろうね。 ほんと古事記読んでないやつ多いんだな
古事記読んでたら桃の意味ぐらいわかるのに 町おこしが考古学に絡むの止めて欲しいんだが。。。観光如きで事実を捻じ曲げるなよ。 >>65
田布施システムって、ウソがばれて失敗した反日デマだよ
田布施システムはフルベッキ写真を使って説明する。しかし、フルベッキ写真は佐賀藩の学生だと判明している → 長州藩の山口県は関係なし
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/1c/5e6696322e6db7265657843400822a7a.jpg
明治元年10月27日から同年11月19日の間に長崎で撮影と判明している → 坂本龍馬は1年前に死亡、明治天皇は即位済みで東京にいたので関係なし
https://www.youtube.com/watch?v=W2sFCF-OVW0 卑弥呼の記載と記紀記載で一致するのは、
倭国、特に邪馬台国の周辺は女王を否定する空気が強かった点だね。
これは景行帝九州討伐で姫の首領が多く出てくる点から九州はなさそう。
ただし女性が王位の成立・継承で重要な役目を果たしていたのは、記紀でもはっきりと判る。 >>26
当時の歴史的権威「やまと(邪馬台)国」(九州北部)を潰して、
その名前と権威を奪った「ヤマト(大和)国」が纏向。 >>59
仏教といい、文明開化といい、古来よりこの国は、
海を渡ってきた思想や宗教の新奇性で国を統一させることがあるからね。
まさにその始まりかもしれない。 >>69
天照大神信仰は、まさに邪馬台国によって創りだされた新興宗教だと思う
建前上はそれまで密かに皇室で祀っていたということだが、海外からもたらされた新しい宗教観を基に創作したもの思う 邪馬台国は中国の外交官が勝手に作った架空の国だったんだよ >>10
統治する上で穢れをやらせる必要性から出来たのがエタヒニンで順序逆じゃね? >>69
まさに三国志の時代、あの英雄たちが世に出るきっかけとなった、
太平道の影響を日本も受けてたとしたらなかなかロマンだな。
つーか、太平道って山東半島が起源だから、地理的には楽浪に非常に近いので、
普通にあると思う。 >>58
その説が有力なら九州説は絶対有り得ないのよね。 畿内説とか無理じゃん。こじつけにも限界があるしね。桃の種に頼るぐらいしかないとか終わってんじゃん。 ちなみに、「桃の花」はオリヂナル(株)の登録商標です 近畿は元々縄文系勢力も渡来人系勢力も仲良く暮らしていた。
温暖で河内湖の水資源も豊かで稲作も盛んになり、豊かな地域に発展したんだろう。日本書紀でいう食国、芦原中津國。
スサノオが豊かな田に嫉妬して度々荒らしにきたとあるだろう。近畿周辺の東海や山陰の勢力が嫉妬したんだな。
そして征伐に来る。
倭国大乱、近畿征伐、記紀でいう神武東征だよ。
結果できたのが、山陰と東海の勢力を中心とした大和朝廷だよ。
近畿は大和朝廷の最初の討伐ターゲットだったんだな。
大和朝廷は4世紀前後四道将軍で関東東北を征伐する。
大和朝廷に虐げられていた元々の近畿の勢力、関東の先住民が手を結び、神功皇后応神を旗頭にして大和朝廷の旧勢力に叛旗を翻すんだよ。
藤原氏の守り神が関東の人々であるように、近畿と関東は同盟関係だったんだな 畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によって大和朝廷が始まる様子が記述されている。
大和朝廷の主体は尾張と出雲。
次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない 魏志倭人伝
邪馬台国の官
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。
出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。
邪馬台国の官の筆頭
伊支馬。これがどういう勢力か解明できれば、邪馬台国卑弥呼に近付ける気がする。
伊支馬、生駒、生馬、伊熊、生目、猪熊などの地名が、ヤマト、出雲、三河、宮崎、遠賀川に見られる。
何か関係あるのか? 壬申の乱で負けた難波は奈良時代は寂れていた。
古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津国や食国と認識されていたのが分かる。
それを前提に記紀を読み直すと面白い。
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども >>85
官曰伊支馬じゃなくて官有伊支馬って
どういう意味なんだろうね
個人名なのか、それともやっぱり官職名なのか >>58
皇學館大学の別館があった安心院町は、その条件満たしてる >>88
記紀の記述から想定される大国は高志の国だろうね。まさか関東の毛野国は無いだろうから 年代が重なるから関係あるとかいう論法は科学的なのか? >>42
溶かしたら、価値、何分の一になるんだろう なんで、九州からは考古学的物証が少ないの?
発掘してる研究者の戦力差? >>88
狗奴国は邪馬台国の南。ヤマトの南の河内と和泉だな。
狗奴国の官、狗古智卑狗は武埴安彦の祖父、河内青玉繋。
女王国による畿内征伐(記紀で言う神武東征)の前は摂津やヤマトも狗奴国の版図だった可能性もある。 金印はないけど黄幢らしきものは見つかってたな
古代中国の旗 >>99
えっ?年代を下げたり上げたりやりたい放題出来る畿内と比べたら九州が不憫じゃない?!w 夜の食国を治めたのは月読。
如何にも暦を司る神だな。
暦は王の特権。
狗奴国の王。卑弥弓呼。日見彦。
名前からして暦と関係ありそうだ。
倭国大乱前の倭国王は男王。
狗奴国の卑弥弓呼が倭国王の正統だった可能性がある。
クナはクニ。
ツはのという意味。
国津神はクナの神かもしれない。
クナと言えば、スクナヒコナ、素クナヒコ名。
記紀では、スクナヒコナはわざわざ名付けのエピソードがあるからな。 杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいた渡来人系の出雲の王族が追放されたから。
出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神の幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコ。
サルタヒコ一族は、縄文人のオオナムチに破れるんだな。
そして、畿内など各地に逃げ延びる。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が淡路島など畿内各地で出ている。 >>104
楼閣と城柵の件とか、刺青の件とか、
逆襲の駒はいろいろとある気がするんだけど、
九州派にはバカしかいないんだろーな
古田とか安本とかキチガイ染みた自称・専門家が幅効かせたせいで、
九州派は人材を失ったとしか思えん 同じ紀元前後の時代。
渡来人系の丹後半島の王族ヤマタノオロチ族。
丹後半島に侵攻したカグツチ(ホアカリ系、記紀でいうスサノオ)に王が殺されて、一族が畿内に逃げ延びる。
その後一部伊吹山辺り、彦根の稲部遺跡に移った可能性がある。
伊吹山は、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた大阪湾の勢力に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。 >>99
発掘調査しきれてないのは痛いよねー…
宮崎だと西都原や生目にも3世紀頃の古墳はいくつかあるけどなかなか… 畿内説は振り出しに戻る、の状態。
歴博も予算尽きそうやな 魏志倭人伝に記載されている邪馬台国の植生に桃は出てこない
と、いうことで九州説が補完されたな よかった、よかった
などと意味不明の供述をしており・・・ もはや、卑弥呼・邪馬台国は地域活性化、観光経済学の用語。 邪馬台国の記述は魏志倭人伝だけなんだろ?
で、日本には他にも一杯クニがあったって事なんだし、
邪馬台国よりもデカくて記述にないクニがあってもおかしくないだろうに
狗奴国とか以外になw ID:kDuTckJB0
こいつ頭大丈夫か?
遺跡の出土品から見る限り
九州北部に存在したほうが大陸の影響の強い政権ということになるのだが?
地理的にも >>117
狂信的九州説はだいたい頭おかしいw
ま、なんらかの集団が2〜3世紀頃に東遷して巻向が大和王朝の萌芽となったのは確実であって、
邪馬台国がどこにあったか?なんて本質論では無いしなw >>104
畿内まで含む西日本連合政権の首長国と九州にあった邪馬台国は違う
なんてアクロバティックな九州説を唱えた人もいたなw 2018/03/20
【古墳】「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県][03/20]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1521543101/913 >>120
卑弥呼の墓は径百歩。
そんなにでかくないぞ 考古学って自論に寄せて解釈出来るから楽だよな
弁の立つ学者ならいかようにも聞き手を騙せる >>118
邪馬台国は西日本の連合政権だよ
伊都や奴国、筑紫や吉備などの勢力連合の政治的中心が纏向にあったということ
室町幕府みたいなものと思えばいい >>123
博多や播磨、讃岐、畿内は女王国に征伐された側だぞ。 纒向遺跡、前代未聞の非道な遺跡。民を虐待した証だ。
それまでに畿内にない殉葬の風習が持ち込まれた。
卑弥呼が亡くなった時に殉葬100人。
日本書紀にも生き埋めにされ何日も泣き叫び息絶える様子がありありと描写されている。
纒向遺跡の外来系土器は尾張東海系と出雲山陰系が多い。これが大和朝廷の中心勢力。
畿内、大阪や奈良はめちゃくちゃにされたんだな。
更に尾張出雲を中心とする大和朝廷は、四道将軍で関東東北も征伐する。 年代が卑弥呼の時代と重なる ”桃の種” なんてどこにでもあるやろw >>126
2000個固まって出てきたとこ他にあるん? >>127
この場合、2000個は邪馬台国に関しては意味がないだろw
桃がこの辺りにたくさんあったというだけ >>129
魏志倭人伝に「邪馬台国には桃がたくさんありました。」って書いてあったのか?w
馬鹿だねwww 桃の種が出てきたなんて、そこに住んでた連中が桃喰ってた以上の意味なんて無いんだよ 畿内説を本気で信じている学者っているのかな?
イデオロギーと学閥政治で魂を抜かれた人が多すぎるよ 本宮ひろ志の漫画では卑弥呼はフランク王国の国王にプロポーズされてるぞ 桃の種って結構重要なんだよな。濃尾平野の最古の神社で桃の種がよく見つかったと。
狗奴国濃尾平野。 >>132
それ九州やん、学者は畿内で九州の自称歴史家は九州 元奈良県民だけど
べつにそのへんの農民だって桃くらい食うだろと思う https://mainichi.jp/articles/20180515/ddn/041/040/012000c
>測定したのは、2009年に見つかった大型建物跡脇の穴「土坑(どこう)」から出土した約2800個のモモの種のうち15点。
>モモは、建物解体時に祭祀(さいし)に用いられたとみられている。
> 同センターが中村俊夫・名古屋大名誉教授(年代分析学)に測定を依頼した。その結果、12点は230年までの約100年間に実り、
>ほぼ同じ年に穴に捨てられた可能性があるという。残り3点は測定できなかった。
>残り3点は測定できなかった。
>残り3点は測定できなかった。
>残り3点は測定できなかった。
測定できなかったって何だよw
都合の悪い結果が出たんだろw
日本は本当にデータ捏造天国になってしまったなぁ >>138
これが全てを物語っているな
第一、9年も前に発掘されたのになぜ今頃になって鑑定結果が出るのか
炭素14測定は誤差が百年以上とかのレベルで大きいから2800個の中から畿内説に都合の良い結果が出るものを
選別するのに時間が掛かったのだろう >>136
しがらみがない人は自由に九州説を言えるよね
魂を抜かれた人は畿内説を黙認するしかないw >>143
科学と史料と遺構なのが畿内
趣味とロマンとごり押しなのが九州 しがらみがない ×
知識や研究や検証とは無縁 ○
九州以外の郷土史家ですら、九州説は支持してる人なんていないよ 考えてみれば今日の捏造の始まりと発覚はゴッドハンドの考古学からだったな >>146
あのね?石器時代と混同しちゃ駄目だよ
意味わかる? 石器で炭素年代測定可能だって思ってるのが九州説を唱える人々 三角縁神獣鏡舶載説とかの基地外学説でさえ誰も批判しないのが畿内説
さすがにこれはまずい
自浄能力なさすぎ 面白いよな
ゴッドハンドの件を話しただけで
九州説から非難されたと思うんだな 桜井は国産の戎はるさめの産地でもあるので機会があればぜひ買ってあげてください >>128
別に邪馬台国に結びつける必要性はないが、桃が神事に奉納されていればヤマト王権が儀式に使っていたとみてよい
邪馬台国=ヤマト王権かどうかは別の話だが、ヤマト王権が西暦200年過ぎに成立していた強力な証拠ではある >>150
しがらみが何だって?
観光資源の開発者以外は畿内説なんだけどね 九州邪馬台国は狗奴国こと大和朝廷に滅ぼされたって事でいいの? >>154
言論の自由がないという点では共通してるなw
畿内説は「さすがにこれはひどい」っていう説が多いんだけど、ことごとく批判NGなんだよなあ
何なんだろう、あれは 邪馬台国がどこにあったかなんてほんとどうでもいいです(;^_^A・・・
税金使って大学の先生方が議論するような話なのでしょうか?
もう面倒臭いので私が決めてあげますよ。
邪馬台国は「北極」です。北極に所在していました。(邪馬台国北極説)
つまり現在の日本国の領域外のお話なんです。
観光に行きたい方は実費で行ってください。
by かもめ党(鼎 梯仁) >>155
神事に用いられたとすれば2000個もの大量の桃は必要ない
単に桃が多く食されていたにすぎない 弥生時代、唐子鍵遺跡の変遷
北九州の吉野ヶ里遺跡と全く同じ歴史変遷をたどっている。すなわち、弥生時代中期以降、邪馬台国となる渡来人との攻防戦に入り、
倭国大乱に入る。古墳時代に入ると環濠を潰し、邪馬台国、すなわち大和政権に従う在地豪族として発展していった。
卑弥呼が即位している間は倭国は平和であった。すなわち、唐子鍵遺跡も北九州の吉野ヶ里遺跡も弥生時代後期は戦乱にあり環濠を掘り、
卑弥呼の即位前、70〜80年間は倭国大乱にあった。卑弥呼が亡くなった後、247年頃からの古墳時代は大和政権に従った。
弥生時代初期からの銅鐸文化は中期以降は山陰地方から撤退し、古墳時代に入ると消滅する変遷が理解できる。
記紀神話の神武東征は崇神天皇の邪馬台国政権の確立であろう。 宮内庁がふたつの陵墓の周濠の土器を調査したところ
渋谷向山古墳(現景行天皇陵)の方が、行燈山古墳(現崇神天皇陵)より古い形式の土器だったといいます。まだ確定するだけの十分な資料があるわけではないようですが、
どうやら渋谷向山古墳の方が古いらしい。つまり、崇神天皇の墓は、行燈山古墳よりも渋谷向山古墳の可能性が強い。
そうなると、卑弥呼の墓としてきわめて有力になってきた箸墓と、大和朝廷の創始者とされる崇神天皇の墓は、すぐ隣り合ったきわめて近い位置関係にあるということになります。
ちょうど纏向遺跡を挟むように南と北に位置しているわけです。
しかも、邪馬台国と大和朝廷は、単純に地理的に距離が近いというだけではなく、時間的にも非常に近いということがわかってきました。 >>155
> 邪馬台国=ヤマト王権かどうかは別の話だが、ヤマト王権が西暦200年過ぎに成立していた強力な証拠ではある
そういうことだよな ダイヤモンド映像時代少なくとも1700歳越えてるとかどんだけ長生きだよ! 案の定、九州説のやつらは難癖つけまくってるな
ゴッドハンドだのデータ捏造だの中傷しかできんのか
記事には分析が第三者機関で行われたことも調査が行われた経緯も書かれてる
https://mainichi.jp/articles/20180515/ddn/041/040/012000c 吉野ヶ里遺跡を邪馬台国の所在地だと言い出したのが邪馬台国論争複雑化の諸悪の根源
あれはただの"クニ"の跡なのに佐賀の連中が町おこしに利用したから
実際より大げさに復元してるらしいし >>155
西暦200年頃・・・それから聖徳太子の登場まで400年か・・・・
どうしてそんなに君臨し続けられたんだろう(´・ω・`) 演義の方の三国志の「桃園の誓い」って、たまたま張飛の家の裏の
桃園にあずまやがあっただけで、特にマジカルな要素はないよな。 >>171
記紀を読む限り、紆余曲折あったんじゃないかな?
政権交代も含めてね
けっして400年間安定していたわけじゃない >>173
最初は連合国家
だんだん敵対勢力を滅ぼしていって統一したヤマト王権になったんだろう
倭国大乱があり、収拾つかなくなったから諸国が話し合って女王を共立した(魏志倭人伝)
魏が遼東の公孫氏を滅ぼしたのを伝え聞いて驚いて使者を魏に派遣した(238年)
邪馬台国は諸国連合でありリーダーは九州北部の勢力
政治拠点は纏向に置いた
これが真相 桃はうまいからなあありがたがるのもわかる
お盆の頃の完熟の桃は最高 >>175
酒にしたらさぞかし美味そうな気がするが、なぜか無いんだよな。
あったとしてもリキュールで、桃の果肉を醸したものではない。
結局のところ果実酒はブドウの一人勝ちで、あとはリンゴがちらほら。 卑弥呼の時代の日本人は日常的に肉食もしてたんだろうな >>178
魏志東夷伝倭人条には、特別な場合(喪中と持衰)は肉を食べない、
という描写がある。つまり、逆に言えば普段は肉を食べていたという証拠だよね。
ちなみに、このような描写は魏志東夷伝の他の国々には
見られないんだそうな。 >>179
おー ありがとう
日本人の身長は鎌倉期あたりから低くなりはじめるらしいけど、
食物が原因かな やはり 日本人は肉は食べないだろう
纒向遺跡、生贄祭祀、どういう部族が仕切っていたのか? ゴミ捨て場、近すぎない?
別の時代じゃないの?
種が見つかった土坑と建物を囲む柵が重なってるやん
先に滅ぼされた弥生集落の跡じゃないの?
銅鐸のカケラも見つかってるらしいやん 桃 → 弥生時代の遺跡から種が発見されているが、大陸から人手によって持ち込まれたものと考えられている。 >>138
都合が悪いものは「測定できませんでした」って、ゴッドハンドしてますって自白してるようなもんだな 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひ ももそひめのみこと)卑弥呼 鹿の骨や亀の甲羅は焼くと臭いんだろうな、女王卑弥呼はそれを嫌ってモモの種か 奈良時代一番ハイカラな花は梅だったな
あれも大陸からもたらされたものだったが だから何?
邪馬台国は九州だよ。
纏向は大和で全然違う国だ。 邪馬台国がシナの歴史書に載ったのは朝貢したからで、日本国内で強大だからではない。魏志
倭人伝の内容にも魏に対して援軍を求めてる、同時期に九州南部や畿内に強力な国があっても
何もおかしくない。邪馬台国は痕跡が残らないような弱小国だったとしても不思議はない。 奈良が古代温暖とかありえんわ。
大体今より2度は低かった上、当時地球規模の寒冷化もあったとされるのに魏志にある服装で奈良なんて住めるわけねえだろ。
大乱の痕跡と海洋文化の黥面風習を考えれば邪馬台は九州であり、纏向は卑弥呼以降に作られた神武系の都市だよ。 卑弥呼=倭迹々日百襲姫
男弟=崇神天皇
邪馬台国=纒向遺跡
投馬国=出雲
狗奴国=毛野国
ずっとこう思ってたけどなんだかんだ正しそうだな タネがいっぱい見つかったんやね
よかったね
ほんで? 柿の種があったから邪馬台国は奈良って
テヨソと同じ起源捏造だな、クズ。
ビッグバンも奈良だろw その時代の桃は食えたのか?
実が小さくって硬くって酸っぱくって
食えるもんじゃなかったんじゃないのか? もともと九州説は三世紀に日本には邪馬台国以上の大国はない、古墳を作る近畿地方の国は四世紀、ってのを前提にしてた学説。
三世紀に九州から関東まで広域な交流していた、発掘品も群を抜いて多い遺跡が近畿にある、ってだけで九州説はオワコン。 「桃の種が邪馬台国の根拠」
↑
こんなことどこの誰が言ってるんだ?
各メディアのニュース記事を読んでもそんな記述はない
学者の発言でもそんなこと一言も書いてない
このスレの九州説論者が捏造したデタラメ畿内説では桃の種が根拠なんだとさwww
自分で捏造した畿内説を批判してんだから勝手にやってろとしか言いようがないが 卑弥呼の時代はどの土地にもあったw
卑弥呼の時代の遺物がでたから邪馬台国と結びつけようとするのは
記事元の下卑た魂胆を感じる 滑舌の悪すぎるあの巨漢オキナワ芸人に言わせたらモコモコ遺跡だな >>204
毛野国にはその時代の遺跡がないって言うね
大和の版図に収まってから他地域と比較して膨大な数の古墳が作られたのとか、それ以前の大きな別勢力の風習を塗り替える意図があるのかと思ったんだけど
毛野国が、毛人の国とか
でもこの辺りは現状ただの妄想だよな 九州説の人は近畿説が出してくる証拠をいちいち叩くことしかしないんだな
そんなことしてる暇あるなら
3世紀のもので纏向遺跡を上回る遺跡を九州で探してこいよ >>138
土器付着物みたいな正体不明のものならともかく、外観から桃の種という有機物なのがはっきりしている物体の炭素が
測定できないわけがないんだよな
明らかなゴッドハンドだろ >>187
吉備の倉敷・上東遺跡(弥生後期)からは纏向の4倍近い量の桃の種が出土してる
全然貴重じゃありませんw
http://zenyamaren.org/yamaren20-045.pdf >>187
>>215
産地でしか採れないから貴重
今みたいに物流が発達しているわけではないからな
江戸時代でも和歌山から江戸へミカンを輸送した人が大儲けしているのは有名な話だ >>215
桃太郎の里か w
巻向の産地かもしれんから、DNAで調べてもらいたいね。
倭人伝では桃支というのがあるが、竹種と一緒に書かれてる。
当事も珍しいのは確かだろ。
それと支那古銭も瀬戸内の遺跡では出土している。 >>37
畿内説なんて捏造だし
全く関係ないものを卑弥呼と絡めようと
捏造するのがこの連中
まともな考古学者ならこんなバカな発表なんか恥ずかしくて出来ないだろう >>219
ではなぜ九州説を唱えてる考古学者がほとんどいないの?
九州説にはド素人しかいないのはなぜ? >>221
考古学者は誰も邪馬台国については研究していませんよ >>198
狗奴国を大和の東側に持って行きたい気持ちは、同じなのでわかります w
邪馬台国と、もともと不和で当事争いが激化した状態を記紀に求めれば、やはり神武になりますが、神武兄弟の和名がミケヌ、ワカミケヌというのはご存知でしょうか?
これを元にすると、出雲熊野大社や紀州熊野本宮の神名が出てくるんですよね。この神名は「食」と関係があるとか。
巻向遺跡でわかったのは、食(領地)をどうも東側に求めていた可能性が大きい。邪馬台国に比定すれば1000人の女官を養っていたと。
神武東征の紀州・吉野方面でも食に対する記述が大変多い。 >>218
一箇所で1万個近く出土するものが珍しいわけ無いだろ
桃支は竹の品種だよ その時代の九州に特筆すべきもんなんかないからな
そんな地域に無理やり全てを押し込めて話題の中心にしようったって無理がある
話題の中心は全部、妻木晩田遺跡や纒向遺跡
実際倭人伝にもそれらが投馬国、邪馬台国というもっとも大きいクニとして書かれてる 物流が発展してないなら
尚更、九州を遠隔操作とか無理だろ
無理矢理な中央集権論が破綻してるから
桃の種しかなくなったんだろ? 遠隔操作ってw
卑弥呼を共立したのは30ヶ国。
30ヶ国それぞれに基盤がある。
更に九州北部統治のために一大卒も置いてある。
遠隔操作する必要がない
大体こんな古代に中央集権ができているわけないだろうに 一大卒は独立してるってこと?
じゃあ一大卒が邪馬台国じゃんかよ 実際に住むとわかるが、九州は山だらけで平野が少ないからなぁ
海面が高く、灌漑技術もなかった古代だと尚更。神武東征の動機もそれだったし 桃は道教成立前の黎明期から神仙の果物とされてきたからな。中国との交流が深くなければ決して種が大量に出てくるなんてことは無い。 >>210
武埴安彦の乱が狗奴国という説もあるけど、どっちにしろ推定の域を出ないな
卑彌弓呼=彦皇子って説 その時代の関東地方の政権に
なにか記録残ってないの? 巻向は補助金藻降りなかったから
公園整備の資金がいるですよ
なんでも卑弥呼と結びつけて
資金を集めてるのです
言ったもん勝ちですよ 吉備辺りから大量の桃を船に積んで纏向に行商に来た兄妹がここなら桃が生産できるとその地主の老夫婦を誑かし土地の権利を手に入れ大量の桃の生産に成功したんだろ。
周辺の国から珍しい果実があると挙って物々交換に人が集まりやがて桃長者になった兄妹は自分達が神だと言いだしたが次第に桃の需要も減り眉唾な伝承だけ残して歴史から消えていったのが史実じゃね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています