「のっぺらぼう」の西郷像の写真

*ソース元にニュース画像あり*

http://www3.nhk.or.jp/lnews/shutoken/20180524/1000012167.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

明治時代、東京・上野に西郷隆盛の像を作る過程で写された、顔が彫られていない
「のっぺらぼう」の状態の木型の写真が残されていることがわかり、調査に当たった専門家は
「顔写真が1枚もないなかで、顔の制作に苦労したことがわかる」と話しています。

この写真は、東京藝術大学大学美術館で10年ほど前に見つかり、その後、調査が進められてきました。
縦16.5センチ、横10.5センチの紙に焼かれた写真には、東京・上野にある
犬を連れた西郷隆盛の銅像とほぼ同じ姿の木型が写されていますが、西郷も犬も顔が彫られておらず、
「のっぺらぼう」の状態になっています。
また、写真の左上には西郷の肖像画が付け加えられています。

調査に当たった東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、上野の西郷像は
大学の前身に当たる東京美術学校が制作を進め、今回の写真は、銅像を作る前に試作した木型の
途中の状態を写したと考えられるということです。

銅像が完成したのは、明治10年の西南戦争で西郷が自害してから20年以上がたった明治31年で、
薩摩教授は「西郷の死後、しばらくたっているうえに顔写真が1枚もない。
肖像画から横顔などを想像して立体にするのはさぞかし大変だったと思う。
写真からは顔の制作に苦労したことがわかる」と話しています。

この写真は、東京藝術大学大学美術館で26日から開かれる、大河ドラマ「西郷どん」の特別展で初めて公開されます。

上野の西郷隆盛像は、明治31年に完成したあと、120年にわたって
上野のシンボルとして親しまれていますが、制作は大きな困難を伴いました。
東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、西郷隆盛は明治10年の西南戦争で自害し
政府から反逆者とされていましたが、市民の間で人気が根強く続いていたことから
明治22年に大日本帝国憲法の発布にあわせて名誉回復が図られ、東京に銅像が作られることになりました。

当初は馬に乗った軍服姿の予定でしたが、予算が足りなかったことや、
西郷のいとこの大山巌の進言などによって、浴衣姿になったということです。

制作には、高村光太郎の父親で日本を代表する彫刻家の高村光雲などが参加し、
東京美術学校が総力を挙げて取り組みましたが、資料が乏しかったことから難航したと言います。
特に苦心したのは顔の制作で、写真が1枚も残されていないなか、
イタリアの画家キヨッソーネが描いた肖像画や、弟の西郷従道や大山巌の顔、
それに西郷をよく知る人物の話を基に進められたということです。

高村光雲は当時の新聞に、西郷と面識がなく肖像画しか残されていないなかで、
顔を立体で表現する難しさについて語っています。
銅像はこうした苦労の末に完成しましたが、除幕式で西郷の妻が
その姿に不満を持ったというエピソードも残されています。

05/24 12:13