京都府長岡京市の長岡第六小プール跡地の発掘調査で、
進駐軍向けに戦後一時期出荷されていた珍しいバヤリースジュースの瓶が見つかった。
現場は昔、ため池があり、近くに研究農場があったという。
進駐軍は食料増産を図るため都市周辺の農村部を視察することがあり、
関係者は「視察中の兵士が飲み干して池に投げ込んだかも…」と推測。
市埋蔵文化財センター(同市奥海印寺)で、地元古墳から出た国内販売用の瓶とセットで展示している。

 進駐軍用の瓶は同センター職員が4月の現地調査で発見。
バヤリースのジュース瓶は恵解山(いげのやま)古墳の発掘調査(2009〜10年)でも見つかっている。
長さ約21センチで形状、ロゴは同じだが、
2本を調べると瓶中央部の周囲に陽刻された英字表記が違うことが分かった。

 容量の単位表記は英米のヤード・ポンド法による液量オンスの省略記号「FL.OZ」で、
国内向けの「cc」ではなかった。米国で商標登録された専売特許品の表記もあるが、
国内向けでは省略されている「US」以下の英字が記され、進駐軍用だと確認できる。

 バヤリースは1938年に米国の科学者フランク・バヤリーが果汁の風味を損なわない
果汁飲料の殺菌法を開発。その後にオレンジジュースが発売された。
日本には49年にウイルキンソン・タンサン鉱泉が進駐軍向けに供給を始め、
国内向けは51年ごろから製造販売が開始されたという。

 瓶は、地元発掘のレアな「お宝」を速報する同センターのコーナー「まい・トピ!」で展示中。
終戦直後の社会と食に関する略年報と、瓶の見つかった現場付近を写した昭和30年代の写真なども掲示した。
この写真には当時の八条ケ池やタキイ種苗の長岡研究農場が見える。

 原秀樹・調査係長は「研究農場は戦前からあり、
京都市内に駐屯した進駐軍の兵士が長岡方面に来てジュースを飲んでいた可能性もある。
古墳調査時の瓶を長期保管していたため今回の瓶の確認ができた。
終戦直後の状況がうかがえ、興味深い」と話す。展示は7月末まで。

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京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180608000037