『台湾人と日本精神』

の著者、蔡焜燦氏は
陸軍特別志願兵として京都の山奥で敗戦を迎える。
その年の暮れに祖国台湾に帰還するまで
敗戦の混乱に ついても触れている。

一夜で「戦勝国民」になった氏らには
有り余る食べ物が提供された。
氏はそれで焼きお握りを作り「京都駅まで」行って
戦災孤児となった、飢えた子供達に配っていた。
ふと見ると子供たちに海軍の防寒用チョッキを
配っている連中がいた。 聞くと同じ台湾志願兵だった
しかし同じ部隊にいた朝鮮人たちは
「食糧倉庫や被服倉庫を襲って集団で強奪した」
「意気消沈する日本人を殴って戦勝国民だと威張っていた」
戦勝国民のために日本は特別列車も仕立てた。
たとえそれが数人でもまる一車両を用意する。
粗相があると彼ら戦勝国民は駅長だとか責任者を呼び出して
殴る蹴るの暴行を働いた。 ・。。。、
当時、旅客局長だった下山定則も彼らに袋叩きにされ
睾丸破裂の重傷を負っている。

ソース:週刊新潮 3月8日版 144ページ