食べ物に関してだけは 日 本 人 は うるさい。

日本は神代の昔から相手がどんなに極悪人であろうと衣食住のうちの「食」までは奪おうとしなかった。
その極悪人の命を奪うような結果になったとしても、それまでの「食」だけは奪い取ろうとはしなかった。

カーチャンに『晩ごはん抜き!』などと言われるような事をしても、自分が悪いのだと言う事に気付きさえ
すれば、あまり形の良くないおにぎりなんかを最悪でも次の日には食べる事が出来た。
それがいまや、真っ先に「食」から奪われているような形だ。

そもそも反省を促すために「食」を奪うと言う悪習は教育界が始めてしまったものだとされる。
いわゆる寺子屋と呼ばれた私塾まで遡る必要もあるが、反省を促すためとは言え当事者である子ども
だけでなく先生も一緒になって、かつては空腹感を味わったようだ。

いまはどうか?
教師が給食を食べている隣で生徒を立たせていまいか?
これ余ったから食べていいよと他の生徒に勧めてはいまいか?
もったいないと言いつつ立たせている生徒の目前で捨ててはいまいか?

学校だけではない。
会議や会合でムダを省きたいからと、自分が楽しんできた筈の飲食に関する予算や時間を削ってまで
緊縮財政だの何だのと後輩たちに申し送りなどしてはいまいか?
真っ先に「食」を奪っておきながら、更にじわりじわりと衣や住を取り上げていくような事を間接的にでも
してはいまいか?

いまの 日 本 人 の 「食」に対する感情の背景はここにもある。