2014年、広島市内で77人が死亡した土砂災害を経て、同市安芸区に今年2月に完成したばかりの治山ダム。しかし、西日本豪雨で大量の土砂がダムを越え、団地の住民4人が亡くなった。ダムの建設を10年以上、要望してきた男性の18歳の孫も行方不明に。「ダムができて安心してしまったんよ」。やりきれない思いが消えない。

 広島市安芸区矢野東7丁目の梅河(うめごう)団地。豪雨に見舞われた6日夜、約60棟の民家のうち約20棟が土砂にのまれ、倒壊した。

 団地に住む神原(かんばら)常雄さん(74)は、10年以上前から「砂防ダム」の必要性を市に訴えてきた。

 きっかけは、1999年6月、広島県内で32人の死者・行方不明者が出た豪雨だった。知人の工場にも土砂が流れ込み、犠牲者が出た。「同じことになっちゃいけん」と考えた。

 気になっていることもあった。団地の端の、山の斜面に接した部分に深さ2メートルほどのため池があった。引っ越してきた四十数年前、ここでコイを飼っていたが、雨が降るたび少しずつ浅くなる。三十数年で池は砂で埋まった。山の斜面が削れ、池に砂がたまっていったのでは――。「これは危ない」と神原さんは動き始めた。

 市役所に足を運び、「砂防ダムを造ってほしい」と訴えた。「通い続けていると、だんだん『切実なんじゃねえ』と取り合ってくれるようになった」

 14年8月、広島市の安佐南区、安佐北区で77人が犠牲になる土砂災害があり、いよいよ、行政の動きも加速した。昨年8月、県は梅河団地の奥で土石流を未然に防ぐ「治山ダム」の建設に着手。予算4750万円。幅26メートル、高さ8メートルのダムが今年2月、完成した。

 着工直前に団地の集会所で開かれた説明会。「これで安心じゃね」と住民らが言葉を交わす中、県や市の職員が繰り返しこう訴えていたのを、神原さんは覚えている。

 「これで安心できるわけではありません。何かあったら必ず逃げて下さい」

「安心してしまったんよ」
 団地が土砂に襲われる数時間前の、今月6日午後。神原さんは高校の期末試験を終えた孫の植木将太朗さん(18)を車で迎えに行き、同じ団地内の孫の家まで送った。

 夜になり、雨が強まった。孫の家は50メートルほどしか離れていないが、山の斜面に近い。外出していた将太朗さんの母親に電話し、将太朗さんを自分の家に避難させるよう伝えた。「すぐに行かせる」と返事があった。

 その数分後、「ドドーン」という音が響いた。外を見ると、土砂が崩れ、山側の家々が潰されていた。半壊した隣家から「助けて」と叫び声が聞こえた。降りしきる雨の中、隣の家の人を窓から必死で引っ張り出した。避難してくるはずの将太朗さんの姿は、どこにも見えなかった。

 「あと1分、わしが早く電話していたら、助かっていたかもしらん」。「いくら役所の人に『安心しちゃいけん』と念押しされてもね、やっぱりダムができてうれしかったし、安心してしまったんよ」。そう振り返る。

 あの後、崩れた団地を歩き回り、将太朗さんの名前を呼んでみた。返事はなかった。

 「山の上の岩が数千年そこにとどまっていたとして、それが明日落ちてこない保証はない。しょうがないんよ。そう思うことにしている」

 自分に言い聞かせるように、神原さんは繰り返した。(土屋香乃子、半田尚子)

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広島県内のダム整備
 広島県によると、県内には「砂防ダム」が約2千基、「治山ダム」が約7500基ある。砂防ダムは、大雨で土石流が起きたときに土砂をせき止める役割を担う。一方、治山ダムは、崩れる恐れがある山の谷部分などに設置され、谷に土砂を堆積(たいせき)させることで傾斜を緩くし、森林を維持することで土石流を起きにくくするのが目的という。

 14年の広島市の土砂災害を受け、県や国は県内74カ所で砂防ダムや治山ダムの建設などの対策を計画、今年5月までに66カ所が完成している。

 梅河団地奥の治山ダムを7日、確認した県によると、ダムは決壊しておらず、大量の土砂がたまっていたという。担当者は「ダムとしての一定の機能は果たした。ダムがなければ、今回の被害はもっと大きかったはずだ」と話す。

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朝日新聞DEGITAL 2018年7月15日21時17分
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