>>514 そうだから>生産性に「子を産む」ことのみを意味するような限定的な使い方はないんだよ


文脈でも論理的必然で違ってるんだぜ

”彼らは彼女らは子供をつくらない つまり生産性がない”は飛躍した嘘がある間違い。

ない否定とできる生産性は、

彼ら彼女らは子供をつくらない という前提で、ないと否定できる生産性の範囲だぜ。

”つまり生産性がない。”は、彼ら彼女らは子供をつくらない。という前提では 否定できない生産性まで否定してるわけだからな。

杉田水脈の作文でしてる”つまり生産性がない”論理展開は

例えば

俺の財布には小銭入れがない、つまり金はない。(お札が入ってればあるから、ないとは限らない)とか

一万円を千円に両替する、つまり百万円分の千円を両替する。とか

二個分持ってない、つまり三個持ってない。とか


前提から論理的に飛躍した誤り”嘘”がある。

杉田水脈寄稿のクソ作文は、生産性がないと断定する前提が無しに、生産性がないと断定してるのが飛躍した”嘘”だぜ。


彼ら彼女らは子供をつくらない つまり生産性がない。

の詭弁な一見ただしくも見えるな悪質さは、意味合い的にからだと思うが

”彼ら彼女らは子供をつくらない”を前提に否定できる、子供をつくる生産性の範囲に

”つまり生産性がない。”の生産性の意味を限定する飛躍した間違いが、

飛躍した間違った論理展開に思えずとか、むしろ正しい論理展開してると思い込む、思い違いさせられるんだろうな

所謂悪質の証明の理屈や、肯定と否定する場合の違いとか理解してたら、ひっかからず騙されんと思うけどな