【岐阜】二度と犠牲出さないで 104人が犠牲に 飛騨川バス事故から50年
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岐阜県白川町の国道41号で1968年、観光バス2台が土砂崩れに巻き込まれ飛騨川に転落、乗客ら104人が死亡した事故から18日で50年。国は事故後、雨量を目安に通行を事前規制する制度を導入、全国で道路の防災対策を見直した。節目の今年、現場付近の新たな整備も決まった。関係者は「同じような犠牲者が二度と出ないよう、十分な対策を」と願う。
愛知県尾張旭市の教員、西川欣吾さん(55)は母の喜代美さん(当時31)を事故で失った。当時5歳の西川さんもツアーに参加する予定だったが、祖母宅へ遊びに行くと駄々をこね同行せず、難を逃れた。
西川さんはひつぎの中で安らかに眠る喜代美さんの姿をうっすらと覚えている。「お母さんは生きていると思った」と振り返る。
国は全国の道路を点検、危険箇所に防護柵などを設置する措置を取った。69年には落石などが起きていなくても、一定雨量に達すれば通行止めにする制度を導入、現場の国道に初適用した。
西川さんは「母が亡くなったのはつらい思い出だが、未然に事故を防ぐことができるようになったのは救いだ」と話す。
現場は大雨が降ると、まだ落石の危険がある。国土交通省は今年3月、約6.2キロの区間を避けるためバイパスを設置する計画を決め、約8千万円の予算措置を取った。
相次ぐ通行規制は生活に支障を来すとして、地元が要望していたもので、横家敏昭白川町長は「地域住民の生活、観光、物流面で大きな効果がある」と歓迎した。
岐阜県瑞穂市の田村稔さん(70)は機動隊員として現場で活動した。国道を通ると、必ず慰霊碑「天心白菊の塔」の前で手を合わせる。「遺体に取りすがる遺族の姿が忘れられない」。万全の対策を望んでいる。
■飛騨川バス転落事故とは 岐阜県白川町の国道41号で1968年8月18日未明、愛知県から岐阜、長野両県にまたがる乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、2台が集中豪雨による土砂崩れに巻き込まれ飛騨川に転落。名古屋市の家族連れら計104人が死亡した。遺族側が損害賠償を求めた訴訟で名古屋高裁は74年11月、「土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった」と一審判決より賠償額を増やして国に約4億円の支払いを命じる判決を下し、その後確定した。〔共同〕
土砂崩れに巻き込まれた観光バス2台が転落した現場(×印)付近の飛騨川と国道41号(1968年8月18日、岐阜県白川町)
https://www.nikkei.com/content/pic/20180817/96958A9F889DE1E6E0E5E4EBEAE2E3E5E2EAE0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXMZO3427689017082018000001-PB1-1.jpg
飛騨川の転落現場の下流で見つかった観光バス(1968年8月19日、岐阜県白川町)
https://www.nikkei.com/content/pic/20180817/96958A9F889DE1E6E0E5E4EBEAE2E3E5E2EAE0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXMZO3427691017082018000001-PB1-1.jpg
土砂崩れに巻き込まれ飛騨川に転落した観光バスと内部を捜索する自衛隊員(1968年8月20日、岐阜県白川町)=
https://www.nikkei.com/content/pic/20180817/96958A9F889DE1E6E0E5E4EBEAE2E3E5E2EAE0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXMZO3427695017082018000001-PB1-1.jpg
2018/8/17 17:36
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34276980X10C18A8000000/ これは乗客も自業自得だったしな
豪雨になる事わかってたのに行った自分達の責任ないのかよ >当時5歳の西川さんもツアーに参加する予定だったが、祖母宅へ遊びに行くと駄々をこね同行せず、難を逃れた
これすごいな
駄々をこねても叱られて終了って家庭だったら死んでたのか いつでも移動できるのは道路を整備している人々の不断の努力のおかげ。
大雨でも地震でも移動できて当たり前ではない。
自然をナメちゃいかんというのがこの事故の教訓 事件事故の記憶を風化させないと言う連中の愚かしさが分かるな >>4
その映画は見た事がある。
昼便の高速バス内で上映されてたんだがw 写真初めて見たけどwikipedia読みながら想像した絵よりずっと激しかった これ走ってる時じゃなくて立ち往生してる時だったんだな >>10
増水した飛騨川に転落した
バスからの生存者が居たんだな
これが… 知らなかったな、こんな事故
怖いわ。今はもう大丈夫になったのか いまちょうど乗鞍高原へ旅行中だわ、
松本市側から来たけどトンネル多いのとトンネル内の道が荒れてたのが怖かった。 当時を知る人も少なくなったけれど、難を逃れたバスの乗客が落ちてゆくバスの様子を「蛍が飛んでいるように川に落ちて行った」とか、
捜索を手伝った友人のお父さんが犠牲者がたくさん浮いた状態で流れてきたなどと語っていたのを思い出した。 50年も前の事故で未だに騒ぎ立て稼ごうということか?
加害者の分際で神の裁きの雷である原爆まで被害者ヅラしだしているし、ジャップは戦犯四等国民であることを忘れているのか? >>1
>当時5歳の西川さんもツアーに参加する予定だったが、祖母宅へ遊びに行くと駄々をこね同行せず、難を逃れた。
5歳と言えば一般にまだお母さんに甘えたい盛りだと思うが、ばあちゃんちの方が良かったとは何か虫の知らせでもあったんかな。 >>19
30年ほど前大雨で崖崩れ多発でほとんどの道が通行止めになり、下山出来なくて難儀したの思い出した(・ω・`) 尼崎の鉄道の事故って今でも慰霊祭とかやってんのかね
あれも100とか死んだ気がするけどあんまり話を聞かんもんで >>5
当時の技術考えたら誰に責任があるって話でもねーよ・・・
気象が荒れる原因の台風は通過して遥か彼方に有ったし
主催者は出発前に気象台に確認してるし、ツアーの責任者は雨が酷くなった時に延期して引き返す判断してる。
その中で起きた事故だからね。 この事故のおかげで大雨のとき通行止めになるんかい つまり いつかは犠牲が出たんだね
南無妙法蓮華経… ここ小さい頃、家族旅行で通る度に慰霊碑の前で止まりお祈りしてたな。
小さい頃はなんの事かよく分からずただただ怖かった記憶がある。 今やってるような危険が予想されるからこの道路は通行止めにして事故発生を未然に防ぐみたいな規制はこの事故の教訓として導入されたもの
この事故の当時はまだ荒天下での道路交通は自己責任だった >>7
なんて飛騨!と書いたほうがわかりやすかったな
残念 >>32
病気や寿命で死ぬのはすぐ忘れられるけど事故で死んじゃうといつまでも忘れらん無くなっちゃうもんさ
いうてもこれは感情的な話抜きに行政の怠慢で同じような事故が起きないようにっていう教訓的な意味でずっと残してる面もあるかと 昔は観光バスを15台も連ねて旅行したんだよな。つくつく日本が衰退したのを感じるわ。 これよりずっと後年だけど、大学生のスキーツアーバスが
崖下川に転落した事故あったよな 三重交通のバス
つい最近あった早稲田の学生のヤツじゃなくて30年ぐらい前。
真冬にちべたい川に落っこちたから凍死で死んじゃった人も多かったな
子供の頃にあったからそういうのって怖い記憶になって刷り込まれてる
崖っぷち走るバス乗るのって怖くない?俺絶対いや
中南米や東南アジアやインドなんかでも多いよな、崖からバスが転落して死者多数っての
http://sonminbus.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/10/23/081218_047.jpg
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f8-7a/semidalion/folder/1017577/53/49115153/img_0_m?1453292112 >>17
大丈夫じゃねーよ
こないだの大雨でも高山本線が何日か止まったばかりだよ >>23
普段から車酔いとかしてたのかも
昔の車はいまより揺れた 立ちションしてたら変なモニュメントあるなと思って帰ってから調べ見てみたらこの事故の慰霊碑だった 50年も経つと、誰も忘れるよ
日航機墜落事故も知らん人多い あらゆる事故、災害の経験から 対策の手を打つ、それが犠牲者たちから学んだ事。 >>5
豪雨になる事わかってたって???
アホ抜かせw 深夜スキーバスの事故は記憶に新しい
座席飛ばされて多くに若い人が亡くなった 二度とがけ崩れを起こすなって山がある日本では無理だろ
天災だ、運が悪かったであきらめろ >>40
お金が出来てみな自家用車で行けるようになっただけだぞ? 今なんか訴訟になるよ。ちゃんと整備してない県が悪いって。
どっかの県も訴えられてたじゃん、そういうタカリ多くなった。 立てたか
直接運転中に起こした交通事故ではないんだけど
でも日本のバス史上最大の事故だよな >>13
それは飛行機の中でみる「メーデー航空機事故の真実」と同じぐらい不適切だな 北海道豊浜トンネル崩落事故
バスが下敷きに
爆破作業で人面石出現 67歳だが、この事故の記憶がないわ
受験競争の真っ最中だからね 人の世もトライアンドエラーアンドフィックスなのよね
事故が起きなきゃ対策もしようがない
新しいシステムに対しては先進国の誰かが血を流さざるを得ない
新幹線が50年間無事故なのホント奇跡だよ この時代のバスって木炭で走ってて坂道を上がらないと乗客が降りて皆で押してたってやつだろ >>22
誰も相手にしてくれなくて人生寂しいだろ? >>23
5歳で乗鞍なんてつまらんよ
じーちゃんちで虫捕りしたりソーメン食ってる方が楽しい ようつべで「昔の道路(高知県)」ってタイトルの動画を見ると、
昔の(昭和40年代)山間部の道路が、どれだけ過酷かがわかる わざわざ危険な場所に引き返したんだよな
消防団員の指示に従って待機してたバスは助かった 知らねーよ
今もバカ政府が似たような事してるだろ
クソ日本どーでもいい この先は危険と地元の消防団に言われたのに止まらなかったバスの運転手達にはやはり責任があると思う 奥さんと長男亡くして事故の事後処理もせにゃならんかった経営者、、、 >>25
オレはアレでネットの知人を亡くしている
面識は無いが近日中に会う約束をする矢先だった この前の高知自動車道崩落も雨で通行止めしてなかったらこうなってた可能性大だったな >>54
ってか本件は国民的な大変な事態になったでしょ
自賠責からもでたんじゃなかったかな >>32
遺族としては身内の死がきっかけで
安全対策が講じられることで死が無駄にならなかったと思えるんだよ
それと単なる慰霊目的べつに恨みってわけじゃない
御巣鷹登山だって同じ
根に持つなんてなんかあの国みたいな考え方だなあ 10数台連ねた一行で、その中の運転手の判断が明暗分けたんだっけな。
「奥様ジャーナル」・・・。不倫、浮気指南とか企画してそうな誌名w なんか文句つけてるレスこじきの阿呆がいるが大きな事故災害とかほぼ慰霊祭やってるだろ
8月15日の終戦記念の戦没者慰霊祭とか地球が滅ぶまでやるんじゃね >>70
それ以外の判断って当時出来るのか?
今みたいにスマホで気象レーダーみて「あーまだまだ雨が続くなー」とかの
判断全くできないんだけど? 故池田貴族さんのお母さんがこのバス旅行に行くはずだったけど
直前で取りやめたんだって
予定では転落したバスに乗るはずだったとか
貴族さんの霊感は母親譲りだったんだね >>87
昔は10台くらい連なっていくのよ修学旅行みたく
今ならマイカーだけどね なんとかから何十年二度と何とかしないで、、、
日本って、こんなことばっかり言ってんだよなぁ
それより事故を起こさない方策を立てろよ >>89
流石に10台は見なくなったがバスツアーで複数台の行列は今でもあるぞ。 >>71
そんなに日本が嫌ならお前がさっさと祖国に帰ればみんな幸せ。 この辺の道って深夜はフクロウの看板がめちゃ怖いってか気色悪かったんだが
結構前の記憶だけど今でもあの看板あるの?
音が出る看板。 1968年メキシコオリンピックの年か…何かわずかな記憶があるような…
御巣鷹山の日航ジャンボ機 JR福知山線事故の様に毎年徹底的にプレイバック
し続けないと、だんだんと風化しちゃうな。 >>90
すべてが先送り
すべてがネガティブ
こんな国で産業なんか発展するわけが無い
いままでが奇跡に近い 携帯も何もない時代ででかけたら情報入手源ってラジオくらいの時代だからな >>6
うちはワガママ駄々こね禁止でやろうもんなら怒鳴られて終了の親だったから自分が子供だったら死んでたわ
はあ 3人生きてたんだよね確か。
ファイナルデスティネーションかアンブレイカブルどっちだっただろう? >>84
富士山頂の気象レーダーが出来たのが1964年で運用開始が1965年だからな。
運用してほんの数年ってトコか。
今みたいにリアルタイムで雨雲レーダー見れるわけじゃないし。
そんなに簡単に土砂崩れが予測できるモンでもないしな。
過去にその場所で土砂崩れが起きてたらまだしも(それでも知って、警戒できるのは地元民だけだろう)
現在のリアルタイムで観れる雨雲レーダーはホント有難いな 亡くられた方が全員仏教徒か分からないが、去年で50回忌の弔い上げだろう
それよりも老朽化している橋やトンネルに改修費用を回すべきでは >>10
完全に乗員超過
母親の膝の上に座ってた幼児も含めてか? >>89
修学旅行でも
最近はバス連ねなくなったよ
新幹線移動→班別でタクシーに分乗
ホテルはシングルルーム個室で部屋風呂
おかげで剥けてない男子が増えた 一家でたった1人生き残った学生が自殺しちゃったのってこの事故だっけ >>96
毎年じゃなくね
十年置きぐらいだからこんな事故あったんだとかのレスが多い
つうか定期的に思い起こさないとまずいんだよ
そういうことやらずに金づるとしか見ない国がお隣だからな 41号線の現場に設置されてたずっと鳴ってる警報器みたいなのが
めちゃくちゃ不気味で不快な音でトラウマだったけど
今はもうないのかな >>110
いや、川に転落したのは2台だけ
1台は運よくガードレールに引っかかって、止まった 事故の記憶が風化した頃に同じ過ち繰り返すのが人間だからね
社会の危機管理の一環としてこういうイベントやるのは悪いことじゃないよ >>26
初耳だし特に何もないぞ
慰霊碑の所は駐車場も広く景観も良いので割と休むには良い所 >>10
観光バスのロクマルは、補助席含めて乗客定員60名だし、ロクマルで無くても、幼児は膝の上が合法だったから、ワンバス下手したら60名以上可能だった。
このツアーは、団地のツアーで8台口か何かだったから、定員ほぼ満席だと思う。
バスの車列の先頭は抜けたけど、途中のバスの手前で土砂崩れで残りのバスが立ち往生していた時に、途中で土砂崩れ発生。2台が巻き込まれた。って状況だったような記憶。 >>111
昔、通った時には聴いたけど…
平成に入ってからは何も聴いて無いな。
バスガイドが、天心白菊の碑の説明するだけだ 天災じゃん
今はちゃんと状況見て規制掛けてんだろ
いつまで死人を晒し者にすんだよ >>4
犀川スキーバス転落事故
多分こっちの事故だと思う >>91
選挙前になるとわいてくる「◎◎先生を応援する会」のバスツアーは、余裕で10台口越えるぞ?
未だに田舎はやってんだよ。豪華日帰り旅行で有権者に媚び売る候補者がな 八高線が多摩川にダイブしたり
昔はインドみたいなノリだったよな >土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった
亡くなった人には気の毒だけど,道路管理に100%を求めるなら山間部の道路は廃道にされるんじゃないだろうか。 黒川開拓団の行った悪行への天罰かね
因果関係がおかしいが >>77
無くなってはいないけど大雨による交通規制は危険度を確実に下げてるね >>118
近所の迷惑な人みたいで
わらうー
いや笑えない、あっちいけしっ、しっ、 >>115
詳しくよく覚えてるね!
当時小学校高学年だったけど、事故のこと全く知らなかったわ 八高線転覆事故やせきれい丸事故は敗戦直後の人間のエゴ丸出しの事故だったからあまり触れられないが、
飛騨川バス事故や紫雲丸事故は戦争が終わってだいぶ経って世の中が落ち着いたころの事故だから違う。 >>95
無くなりました
懐かしいなーあの音結構好きだった バスの運転手と子供1人は生還した。子供は慰霊碑に詩を書いた人で、両親兄弟全員死に孤児となった。自殺説は誤りで存命のはず。2人の現在が知りたいね JR東日本みたいに、ちょっと風が強いだけで通行止めにしたらいい >>131
それも余部鉄橋から強風で
列車が転落したからだったような バスが川に転落する途中で投げ出されてどっかに引っ掛かって助かったんだよな >>108
>>116
親父の中学の同級生(名古屋市立桜丘中)だったが
卒業生名簿に消息不明って書いてあった
生きていれば今年で65歳 >>67
5歳で乗鞍がつまらないなんて行く前にわからんよ
普通は母親と一緒に出かけたがる年頃なのに、何か不思議な力がある働いたように思える >>124
一緒に行って一人だけ助かった子が存命で、
一人だけ家において行かれたこが自殺したと文献にあるからその子かな? これ覚えてるわ
地元が愛知なんで連日一日中報道されてた
流域にあるダムの水抜いて探しても遺体がなかなか見つからなくて、そのうち伊勢湾で流された遺体が見つかってまた大騒ぎになった
>>101
自分の記憶だと3人ともバスの外に放り出されて樹木に引っ掛かってたのを発見されてたはず >>136
その通り。だから事故現場で生き残った子は孤児となったけど、自殺はしていないはず ついにこの難所も長大トンネルぶちぬいて回避ルートができるゾ >>137
レスしたいレス番号の横を長押しして「レス番号にコメント」にタッチしたら自動で「>>レス番号」入るから間違えないよ 連続雨量○○ミリで通行止めとなっている区間は今も危ないんだよね
まったく気にせず通ってるけど >>141
パソコンでChromeとかIEなんだよきっと >>136
同じ生存でも
現場で助かった子は生かされた命とプラスにとらえ、
家に残されて助かった子はこの世に置いて行かれたとネガティヴにとらえるからかな >>143
時々見当はずれなレス番号見るけど、そんなケースもあるんだ!
初めて知った >>50
あれって結局事故原因は何だったんだろう
大型バスの運転に慣れてなくてとかブレーキ効かなくなったとか言われてた気がするけど >>5
おまえ山間部の集中豪雨が前日にわかるんかよ
ホラ吹き野郎 一家全滅が何組かあって、家族で唯一生き残った少年も後に寂しさから自殺してるんだよなこれ 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版
https://www.amazon.co.jp/dp/B07G389LT1/
続・法窓夜話私家版
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V/
ejh 1968年なら道の整ってない山道多かっただろうから、しかたない気がする 知らない事故だったのでとりあえずWikipedia読んでみたが
なんとも凄惨で痛ましい事故だな…
いま天気について事細かに予報されリアルタイムで変化を知ることが出来るって
本当にありがたいことだなと改めて思う >>120
田舎だがそんなのは見たことないな。
うちの田舎はそこそこ有名な観光地があるのでそこに来る観光バスツアーが数台連なるくらいだな。 崖と川に挟まれた道をよくこんなところを…と思いながらも進んでいくと慰霊碑が現れる
慰霊されてる事故の規模はいろいろだけど日本中そんなとこばっかりだろう 爺さんが、消防団で、死体の引き上げも、ゼロ作戦のあとの捜索も
白川駅での後続バスを体を張って止めた話も聞いたし、今でも感謝状が来る。爺さん大正15年生まれ、3年前に亡くなった 高校を卒業した学生の語学能力が、これほど貧弱で物の役に
立たないのは何故なのか。抜群の語学力を誇り、東大文学
部長までつとめた筆者が、外国にいる若者が外国語を習得する
困難さを正面から取り上げ、正則(期待されるような)
語学教育の重要性を指摘する、英語教育のための基本書。
原典データ配布しておりますので研究用にもご利用ください。
外山正一『英語教授法』 https://www.amazon.co.jp/dp/B07FB48MRF/
花の美しさにあこがれ、空の中に美しさを見出し、
夜の月の中にさえその善さを見るとすれば
エロス神が征服しようとする相手は宇宙そのものだ。
2400年前に書き残されたプラトン『饗宴』を
現代の若者に。たいへん分かりやすく仕上げてあります。
プラトン他 『饗宴』 https://www.amazon.co.jp/dp/B07FBQ54PM/
eve この時期の学生さんのキャンプだと今でもバスの行列を時々見かける。 >>111
とるるるーとるるるるるるーって警報機は
22年前に無くなったよ
不気味だからって理由で 奥様ジャーナルっていかにも名古屋っぽいネーミングだな 日本の交通史を遡ると、60年代辺りまで日本全国でバス事故ってえらく多いんだよな
転落だけでなく、走行中の火災も多い >>99
小川つて集落で、うちの爺さんや婆さんが、山の岩から水が吹き出してるから、行ってはためだって集落じゅうの人から言われたのに、無視して進んだ結果
じいさが白川駅まで追いかけて、通せんぼして止めたバスが助かった 日本だけで車で年間50億人くらい移動してんだしこれからも悲惨な事故起こり続けるよ
たった数千人しか死なないだけマシと思え >>165
戦争で軍曹の地位で、超エリートの潜水艦乗りで、運良く帰ってきて
猟師やら鍛冶屋やらで、死ぬ前で山や飛騨川を駆け回ってた。
消防団でもリーダーやったよ >>160
撤去の理由がまんまなんだなw
子供の頃高山の婆さんの家に行く時にここ通ってたから
親に近付いたら教えてって頼んで耳塞いでた 5歳だと婆ちゃん家より母ちゃんと一緒にいたがりそうなのに
第6感が働いたのかな え
初めて聞いたけどこの事故をリアルタイムで知ってるように話す人がいることに驚き >>115
団地のツアーとかあったんだ長閑な時代だなぁ
つか記憶力すごいなw 夜中に41号線よく走るんだけど、疲れたなと思って休むとあの慰霊碑だったりすんだよな
なんか怖い
あの道真っ暗だし ttps://www.youtube.com/watch?v=hY5NIuXxmNU
昔の高知県。断崖絶壁を走るバス。 >>155
偉い方だな
ウチのじいさんも名古屋で消防団やってたから、遺体捜索協力で美濃加茂まで行ったらしい。
死者のほとんどか名古屋市の団地住民だったんだよね。
で、主催者のミニ新聞社はまだ健在でうちにも配られてくるわ >>173
覚えてるよ
夏の朝に母が「大変な事故が起きたよ」って起こしにきた >>177
階級は陸海空共通
呼び方が若干違うだけ 子供のご遺体がなかなか見つからなかったけど、お母さんが捜索に来られたら見つかったっていうバス事故だっけ? 50代半ば〜60代が結構いるんだな。
ゴチャンの高齢化すげえ 敗戦後からたったの23年だったのにものすごく現代風な道と服装で
あの戦争は一体なんだったんだろうかね >>187
あと30年も経てば8ちゃんと呼ばれているw >>135
5歳でも海派の子供なら山へ行くと言われて拒否るのはあると思うけど >>116
ちょっと前にテレビに出てたよ
その生き残った中学生の人。 90年代までは日本も崩落事故多かったな
昔のニュース映像で目の前の車が土砂に飲み込まれたのは衝撃だった >>181
阪神大震災の日のうちのおかんのセリフと同じだ 次はスキーバスが冷たい湖に転落くした事故か
確か85年くらいに25人亡くなったな 東海地方の人間しか知らなくなってんだろうな、この事故。
自分も当時生まれてないが、定期的に地元新聞で追悼記事とか載ってるから知ってるだけで。
生き残ったのって四人くらいだったっけ?
当時の映像見ると生きてたのが奇跡しか思えないけど。 豊浜TN事故・北陸TN事故もいずれは知らない人多くなるだろうね 小学生の頃なんで、報道はあまり覚えてないけど
後日、新聞か週刊誌に乗った写真(白黒)のだけは覚えてる
崖の縁を取材の人?が写したら、大きな石か岩のとこに
男性の顔が写ってたってやつ >>182
言葉足らずで悪かったが、ウチに来るのはここが出してるフリーペーパーだよ >>194
福井あたりで数十メートルの巨岩が目の前の車をぷちっと潰す動画あるよな
こえー >>198
豊浜TN事故は聞いた事があるけど、北陸TN事故は知らない。 >>201
あの災害が起こってすぐ後に、親父の運転で見に行った。仮の道路が作られてて、恐々走った
記憶がある。 >>99
アマチュア無線のハンディ機が役に立った時代 昔は落石注意の標識がよく立ってたが今は減ったのかな
落石注意と言ってもどうやって注意しろというんだろ >>203
鉄道のかな?
北陸トンネル内で火災が起きたので規定を無視して外まで走りました→死者0→厳罰
数年後
北陸トンネル内で火災が起きたので規定通りすぐ止まりました→死者多数 >>206
そうだよ41号線
天心白菊の塔という慰霊碑がある。 >>200
いや、ウィキにある通り、今は会社解散してるから >>210
たまに走るけど気が付かなかった
今度走る時、花でも手向けるか >>188
戦前戦中長期間抑圧された暗い悲惨な時代が続き日本中焼野原みたいな報道が多いけど
実際のところそうでもないんだよね
だから戦後復興も早かった この事件は東海地方のニュースとかではたまに見る。ちゃんと風化せずに地域の防災に役立ってる。 >>212
41号線沿いの川側に白い塔がたってるからすぐわかるよ。
あの事故はかわいそうすぎる。 >>215
そういえば雨量によって41号が通行止めになるのは
この事故の後からだったよな。 こんなのでも国に賠償させるってのはどうよ
当時の4億とか凄い額だろ 「二度と犠牲出さないで」って何様だよ
消防の制止も無視して当時の4億も踏んだくっといてまだ何か欲しいんかい >>1
> 遺族側が損害賠償を求めた訴訟で名古屋高裁は74年11月、
> 「土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった」と
> 一審判決より賠償額を増やして国に約4億円の支払いを命じる判決を下し、その後確定した。〔共同〕
この事故は公務員が多くタヒにましたからね(・∀・)ニヤニヤ >>220
当時の佐藤栄作内閣の対応も、事故発生当初から非常に手厚いものであった。 >>216
Googleで見るとかなりデカいね
しかもモダンなモニュメントで想像してたのとかなり違う >>22
75年以上前の事で未だに火病起こしてるお前はどうなんだ?w
しかも自分には全然関係無いのにw >>211
「あの大事故に関わった会社が解散」って新聞記事を読んだ覚えがある 大雨警報発令
ツアー客「バス出してくれへんの?」
バス会社「大雨警報が出ていますから中止です」
ツアー客「バス出してくれへんの?」
バス会社「
こんなんやで。 運転手「がけが崩れます」
車掌「当たらなければどうということはない」 >>226
50年前はかなりモダンだったんだよ。
慰霊碑って石柱みたいなのがおおいから。 武田百合子の「富士日記」にこの事故のニュースの描写があったな
その後少し風雨が強くなるとすぐに注意報が出るようになったとか書いてあった >>73
帰りトンネル怖いから、バスルート選んだら追突事故で現在足止め中だ。自転車乗って帰った方が早くかえれたわ。 若い子が「阪神大震災について何も知らない」って言う感覚がわかるような気がした きんさんぎんさんのどっちだったか忘れたが、太平洋戦争なんかより
伊勢湾台風のほうが遥かに怖かったと言ってた。 >>132
規制強化は羽越線の事故が原因やぞ。
余部はそもそも規制値超えてたのに行っちゃったから話にならん。 昭和42年(1967年) 「川崎ローム斜面崩壊実験」準備開始
1968年8月18日 飛騨川バス事故、集中豪雨による土砂崩れに観光バス2台が巻き込まれ川に転落、104人が死亡
1970年2月18日 「川崎ローム斜面崩壊実験」付で正式に川崎市長から許可を取得して現場が定められた。
1971年6月9日 「川崎ローム斜面崩壊実験」この実験計画の承認が行なわれている(決裁は研究調整局長)
1971年11月11日 「川崎ローム斜面崩壊実験」で事故。研究従事者及び報道関係者ら15名が生き埋めとなり死亡
1971年11月15日 「川崎ローム斜面崩壊実験」で事故。佐藤栄作内閣で科学技術庁長官平泉渉が引責辞任 1968年(昭和43年) 神戸工業、富士通株式会社と合併、同社で自動車用通信機器部門を担当する「神戸工業部」に移行。富士通は通信工業部、電子工業部と合わせて三工業部制に。
1972年10月25日 富士通からラジオ部門が分離・独立し、富士通テン株式会社を設立
1973年(昭和48年) トヨタ自動車工業、日本電装(当時)の資本参加を得る。安全ベルト制御および排出ガス制御用電子機器をトヨタ自動車工業に納入開始。
1975年(昭和50年) 生産子会社として中津川テン株式会社(現・デンソーテンマニュファクチュアリング 中津川工場)設立。
1978年(昭和53年) クルーズコントロール用電子機器をトヨタ自動車工業の納入開始。
1979年(昭和54年) 電子同調ラジオおよび録音機能付カーステレオをトヨタ自動車工業に納入開始。 2007年6月2日 Bell 412 岐阜県中津川市で緑化資材散布を行っていた東邦航空のヘリが墜落。
2008年12月1日 Bell 412HP 沖縄で海保ヘリ「ほしずな1号」が不時着
2009年9月11日 Bell 412EP 岐阜県高山で防災ヘリ「若鮎2」が墜落
2010年8月18日 Bell 412EP 香川県佐柳島沖で海保ヘリ「あきづる」が墜落
2017年3月5日 Bell 412EP 長野県鉢伏山で消防防災ヘリ「アルプス」が墜落
2017年11月8日 AS332L 群馬県上野村で東邦航空のヘリが墜落
2018年8月10日 Bell 412EP 群馬県草津白根山で防災ヘリ「はるな」が墜落 石川達紘(たっこう)元東京地検特捜部長のレクサスは富士通テン(デンソーテン)のECLIPSEで遠隔操作されたのか?w ワシントンDCにあるセントマーチン大学の文化人類学者で
「人類学の武器化:国家武装に寄与する社会科学」著者
デビッド・プライス教授
「これら個々のプロジェクトを見る限り、これらは正常な社会科学、
言語分析、歴史研究などのように見える。
しかしこれらの点を組み合わせると、
超簡略化させた歪んだテーマを共有してるのが読み取れるだろう。」
ミネルバは個人が受け入れることができるまで
巨大プロジェクトの個々の関連をなくす方法を使うことで帝国の部品を外注してる。 ここまで書くと中津川の東海アマ(@tokaiama)がどんな人物なのかがわかるだろうw。 >>237
モダンにするんだったらバスの形のモニュメントにすればいいのに
白バイのお墓もあるんだし >>6
20年前の広島のペッタンコ事故に似てるな
子供がトイレ行きたいと打駄々こねて幼稚園バスを止めてトイレに行かさせる
するとしばらくしてからそのバスの走る先の道で高架が落ちて車数十台がペッタンコ
予定通りバスを走らせていたらまさに事故に巻き込まれていたところという
そのトイレに行きたいと言った子供は事故後誰も見ておらず親に尋ねたら子供は朝からずっと家で寝ていたという不思議な九州に一生を得た事故 これって地元の消防や警察も引き返すように言ったりバスの運転手も危険だと訴えたけど幹事役みたいな人間が聞き入れなかったんだよな
今なら国家賠償なんかとんでもないし総叩きされそう 驚くのが奥様ジャーナルがまだ潰れてなくて
しかもまだバス観光ツアーとかやってること 50年も前の事故では流石に社会環境も変わってるからなあ これは知らない スキーバスがダムに落っこちたのは覚えてる あの年は確か曽孫が遊びに来て騒がしいなかテレビに釘付けだったな
懐かしいわい >>46
立ちションって
近くに公衆トイレあるはずだが >>264
そりゃ生まれる前だから記憶あるほうがおかしいわな >>268
今の40代50代でも太平洋戦争の記憶あるのに… >>257
直接の奥様ジャーナルは解散したけど、奥様ジャーナルプラスとして
事実上継続したわけだよね。 黄色い羽根運動誕生のきっかけになった事故現場が家の近くにある。 >>269
それ、記憶ではなく知識があるだけだよ。 同じ頃比較的近くであった猿投ダンプ事故なんかも相当悲惨だったが
そっちはほとんど話題にならんなぁ… >>272
米軍って聞いただけでいつも戦時中を思い出すって言ってるけど >>255
九州に一生か
修羅の国で一生を得るのは凄いことなんだろうな 41は今でも死亡事故多い。
何気に2週間くらい前にも事故で亡くなってる
道幅がギリで山と崖に挟まれ、自分の運転ミスでも対向車の運転ミスでもジエンドの確率が
高い。 >>257
そりゃあ中日新聞と名古屋鉄道の関連会社だからね >>277
主要国道なのに片側一車線だから事故るとすぐ通行止めになるよな。
この事故現場と似た怖さは旧愛岐道路も感じる >>1
みえますか?みえますか?みえますか?
この事故覚えてみえる人、みえますか? >>42
日本福祉大学のスキーバス事故か?
当時同級生だった女の子が亡くなったわ 業務以外の個人単位において車不要の街であれば、事故はかなり防げる。
マイカー必須の都市計画はもう古い、地方凋落もその不便さに起因する。
これから求められるのは、徒歩回遊性の街作り。
多くの人が商業地域などの便利な場所に住みたいのだから、住居専用の用途地域は縮小。
都市間移動は、各種交通機関で事足りる社会へ
近代以前の有形・無形文化財は保存・復元しつつ、郊外宅地は耕地に戻し、限界集落は森林に戻す。
都市計画は一世紀単位で考え、少しずつ日本の自給率が上がるように。 マイカーを排除していればこの事故は起きなかったんだな。 >>284
集中豪雨による土砂崩れだから、マイカーの有無は関係無いだろ この事故をリアルタイムで知ってる奴が結構いるという恐怖
マジ高齢者がいるんだな 奥飛騨慕情
「あぁ〜奥飛騨に〜雨が降る〜」
分かるかなぁ〜
分かんねぇだろうなぁ〜 >>287
まあ、当時15歳ぐらいなら覚えている人は多いだろうし、
その人たちはまだ65歳、5chを覗いていても不思議ではない。 5歳児のだだこねも時として意味のあることもあるんだな
この世に素直な子ばかりでなくだだこねっ子が一定数いるのは自然の摂理だったのか 三枚目の写真バスがくの字に曲がってしまってる
すごい衝撃だったんだろうな
外に放り出されてしまったみたいだから捜索も大変だっただろうな >>281
OBの方ですか。
自分は高校のときにこのバス事故で日福を知って、福祉学部に入りました。
7号館横に慰霊碑が建てられて遺族の方が毎年、慰霊に来られていました。 現場を見れば、この谷の深さと険しさ
そして幅の狭さが分かる
落ちてしまったところを見たところで、誰も助けに行くことができない
狭すぎてヘリコプターも入れない
地獄の一言だったことだろう 事故前日に偶々川辺町に出張していて大雨で移動できずに宿泊していたいた検察官。
翌日未明に公的な一報を県庁と警察検察に入れたのだが、これがウチのじいちゃん。 毎日通る道ででかい慰霊碑が現場にあるから毎日この事故のことを思う >>298
時々しか通らないけど、あそこを通るとものすごく悲しい気持ちになる >>182
>>200
>>211
>>232
Wikiの通り当該「奥様ジャーナル」は解散したけど、
解散後に「ニュー奥様ジャーナル」が設立されているので、
>>200が現在も配られていると言っているフリーペーパーは、
「ニュー」が作った物では?
多分フリーペーパー事業に専属させるために、
資本関係や他事業のリセットを目的に一旦精算したと思われ。 >>300
wiki見直したら「ニュー奥様ジャーナル」ではなく
「奥様ジャーナルプラス」だった。
「プラス」でフリーペーパーを発行していると記されているので、
>>200の品はプラスの発行物では? じいちゃん亡くなったときは、親類でもない見たことのないたくさんの人が集まった。
おふくろに聞いたら、バス事故で、爺さんに助けられた運転手や捜索で世話になったと未だに感謝状の届く家族とかが、来たらしいわ 遺族を叩いている馬鹿は
豊浜トンネル崩落とか国道305号玉川崩落事故とか
笹子トンネル天井板落下事故とか
繰り返される事故の遺族に謝れ そんなこというても事故は一定確率で起こるもんや
ゼロにはならんて >>102
雨雲レーダーも詳細な予報もあるのに遭難するアホウが後を絶たないけどなw >>108 > 一家でたった1人生き残った学生が自殺しちゃったのってこの事故だっけ//
>>116 > 生き残った少年がのちに自殺した事故だっけ?//
傷ましい話なので気にかかっていたのですが、少し事実が異なるようです。
飛騨川バス転落事故ウィキの関連記載は、現在は修正されています。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%B7%9D%E3%83%90%E3%82%B9%E8%BB%A2%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85&diff=58399716&oldid=58398804
> 2016年1月27日 (水) 16:17時点における版
男子中学生(14歳)で、転落の途中に割れた窓から投げ出されたことで立ち木に引っかかり、奇跡的に生還した・・・
乗客で唯一生存した中学生も大幸住宅に両親と姉と住んでいて、家族全員をこの事故で失っており、後に孤独感から自殺している
> 2016年1月27日 (水) 19:30時点における版
男子中学生(14歳)で、転落の途中に割れた窓から投げ出されたことで立ち木に引っかかり、奇跡的に生還した。
彼は当時大幸住宅に両親と姉と共に住んでいて、家族全員をこの事故で失ったが、
祖母や親戚の支えがあり、のちに大学に進学している・・・
また、生還した中学生と同い年であった別の団地住民の少年は家族全員をこの事故で失っており、
事故から4年後の1972年6月に孤独感から自殺している
>>136 > 一緒に行って一人だけ助かった子が存命で、
一人だけ家において行かれたこが自殺したと文献にあるからその子かな?//
そういう事で、おふた方の生き残った少年がおられた様です。
>>130 > バスの運転手と子供1人は生還した。子供は慰霊碑に詩を書いた人で//
天心白菊の塔は知っていましたが、それは知りませんでした。不勉強でスマソ
> 両親兄弟全員死に孤児となった。自殺説は誤りで存命のはず。2人の現在が知りたいね//
添乗員の方も救出されているので、事故での生存者は3名となります。
自ら命を絶たれた孤児は存在している様で、傷ましい限りです。
>>161 > 少し上くらい読みなさいよ//
まぁ、長らく情報が錯綜していた様ですので・・・ コージーの都市伝説的ではあるが
四次元の科学
内田秀男(今も御生存か不明だけど元々電気工学者)著より1971、2年初版発売
※五黄の年の五黄月の(己未日で八白日)未明北東に行けば必然的に天国行きになるといい
う
>>277氏などへ
国道41号線4+1≒D
また、気学での数靈学で 104人 1+4数列足すとD
わざわざゲンかつぎ 四(死)号車を避けて四番目以降にD号車、6...と
しかも最初の三台は引き返して五号車が先頭に行ったという事実。 >>277
つまりですね国道41は数列の数を分解してから足してD≒五黄
他に中央と名称がつく道路、病、院大学、会社
他全ての自称に五黄現象が起きます >>277
つまりですね国道41は数列の数を分解してから足してD≒五黄
他に中央(腐るとか破壊事故、死とかの五黄の意味)と名称がつく道路、病、院大学、会社
他全ての自称に五黄現象が起きます >>286
関係なくはない
事故の顛末はいろいろなところに出ているから読んでみろ
深夜なのに渋滞して立ち止まらざるを得ず
引き返すにも困難しているうちに土砂崩れに遭った事例 バス運転手もそうだし、トラックドライバーもそうだし
この国の運転関係の労働環境見る限り
こんな事件が際限無く増えてくよ。
若しくは環境改善の為に休み増やしたら同時に給料も激減して
なり手が居なくなるかのどちらかだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています