【岐阜】二度と犠牲出さないで 104人が犠牲に 飛騨川バス事故から50年
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岐阜県白川町の国道41号で1968年、観光バス2台が土砂崩れに巻き込まれ飛騨川に転落、乗客ら104人が死亡した事故から18日で50年。国は事故後、雨量を目安に通行を事前規制する制度を導入、全国で道路の防災対策を見直した。節目の今年、現場付近の新たな整備も決まった。関係者は「同じような犠牲者が二度と出ないよう、十分な対策を」と願う。
愛知県尾張旭市の教員、西川欣吾さん(55)は母の喜代美さん(当時31)を事故で失った。当時5歳の西川さんもツアーに参加する予定だったが、祖母宅へ遊びに行くと駄々をこね同行せず、難を逃れた。
西川さんはひつぎの中で安らかに眠る喜代美さんの姿をうっすらと覚えている。「お母さんは生きていると思った」と振り返る。
国は全国の道路を点検、危険箇所に防護柵などを設置する措置を取った。69年には落石などが起きていなくても、一定雨量に達すれば通行止めにする制度を導入、現場の国道に初適用した。
西川さんは「母が亡くなったのはつらい思い出だが、未然に事故を防ぐことができるようになったのは救いだ」と話す。
現場は大雨が降ると、まだ落石の危険がある。国土交通省は今年3月、約6.2キロの区間を避けるためバイパスを設置する計画を決め、約8千万円の予算措置を取った。
相次ぐ通行規制は生活に支障を来すとして、地元が要望していたもので、横家敏昭白川町長は「地域住民の生活、観光、物流面で大きな効果がある」と歓迎した。
岐阜県瑞穂市の田村稔さん(70)は機動隊員として現場で活動した。国道を通ると、必ず慰霊碑「天心白菊の塔」の前で手を合わせる。「遺体に取りすがる遺族の姿が忘れられない」。万全の対策を望んでいる。
■飛騨川バス転落事故とは 岐阜県白川町の国道41号で1968年8月18日未明、愛知県から岐阜、長野両県にまたがる乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、2台が集中豪雨による土砂崩れに巻き込まれ飛騨川に転落。名古屋市の家族連れら計104人が死亡した。遺族側が損害賠償を求めた訴訟で名古屋高裁は74年11月、「土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった」と一審判決より賠償額を増やして国に約4億円の支払いを命じる判決を下し、その後確定した。〔共同〕
土砂崩れに巻き込まれた観光バス2台が転落した現場(×印)付近の飛騨川と国道41号(1968年8月18日、岐阜県白川町)
https://www.nikkei.com/content/pic/20180817/96958A9F889DE1E6E0E5E4EBEAE2E3E5E2EAE0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXMZO3427689017082018000001-PB1-1.jpg
飛騨川の転落現場の下流で見つかった観光バス(1968年8月19日、岐阜県白川町)
https://www.nikkei.com/content/pic/20180817/96958A9F889DE1E6E0E5E4EBEAE2E3E5E2EAE0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXMZO3427691017082018000001-PB1-1.jpg
土砂崩れに巻き込まれ飛騨川に転落した観光バスと内部を捜索する自衛隊員(1968年8月20日、岐阜県白川町)=
https://www.nikkei.com/content/pic/20180817/96958A9F889DE1E6E0E5E4EBEAE2E3E5E2EAE0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXMZO3427695017082018000001-PB1-1.jpg
2018/8/17 17:36
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34276980X10C18A8000000/ >>194
福井あたりで数十メートルの巨岩が目の前の車をぷちっと潰す動画あるよな
こえー >>198
豊浜TN事故は聞いた事があるけど、北陸TN事故は知らない。 >>201
あの災害が起こってすぐ後に、親父の運転で見に行った。仮の道路が作られてて、恐々走った
記憶がある。 >>99
アマチュア無線のハンディ機が役に立った時代 昔は落石注意の標識がよく立ってたが今は減ったのかな
落石注意と言ってもどうやって注意しろというんだろ >>203
鉄道のかな?
北陸トンネル内で火災が起きたので規定を無視して外まで走りました→死者0→厳罰
数年後
北陸トンネル内で火災が起きたので規定通りすぐ止まりました→死者多数 >>206
そうだよ41号線
天心白菊の塔という慰霊碑がある。 >>200
いや、ウィキにある通り、今は会社解散してるから >>210
たまに走るけど気が付かなかった
今度走る時、花でも手向けるか >>188
戦前戦中長期間抑圧された暗い悲惨な時代が続き日本中焼野原みたいな報道が多いけど
実際のところそうでもないんだよね
だから戦後復興も早かった この事件は東海地方のニュースとかではたまに見る。ちゃんと風化せずに地域の防災に役立ってる。 >>212
41号線沿いの川側に白い塔がたってるからすぐわかるよ。
あの事故はかわいそうすぎる。 >>215
そういえば雨量によって41号が通行止めになるのは
この事故の後からだったよな。 こんなのでも国に賠償させるってのはどうよ
当時の4億とか凄い額だろ 「二度と犠牲出さないで」って何様だよ
消防の制止も無視して当時の4億も踏んだくっといてまだ何か欲しいんかい >>1
> 遺族側が損害賠償を求めた訴訟で名古屋高裁は74年11月、
> 「土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった」と
> 一審判決より賠償額を増やして国に約4億円の支払いを命じる判決を下し、その後確定した。〔共同〕
この事故は公務員が多くタヒにましたからね(・∀・)ニヤニヤ >>220
当時の佐藤栄作内閣の対応も、事故発生当初から非常に手厚いものであった。 >>216
Googleで見るとかなりデカいね
しかもモダンなモニュメントで想像してたのとかなり違う >>22
75年以上前の事で未だに火病起こしてるお前はどうなんだ?w
しかも自分には全然関係無いのにw >>211
「あの大事故に関わった会社が解散」って新聞記事を読んだ覚えがある 大雨警報発令
ツアー客「バス出してくれへんの?」
バス会社「大雨警報が出ていますから中止です」
ツアー客「バス出してくれへんの?」
バス会社「
こんなんやで。 運転手「がけが崩れます」
車掌「当たらなければどうということはない」 >>226
50年前はかなりモダンだったんだよ。
慰霊碑って石柱みたいなのがおおいから。 武田百合子の「富士日記」にこの事故のニュースの描写があったな
その後少し風雨が強くなるとすぐに注意報が出るようになったとか書いてあった >>73
帰りトンネル怖いから、バスルート選んだら追突事故で現在足止め中だ。自転車乗って帰った方が早くかえれたわ。 若い子が「阪神大震災について何も知らない」って言う感覚がわかるような気がした きんさんぎんさんのどっちだったか忘れたが、太平洋戦争なんかより
伊勢湾台風のほうが遥かに怖かったと言ってた。 >>132
規制強化は羽越線の事故が原因やぞ。
余部はそもそも規制値超えてたのに行っちゃったから話にならん。 昭和42年(1967年) 「川崎ローム斜面崩壊実験」準備開始
1968年8月18日 飛騨川バス事故、集中豪雨による土砂崩れに観光バス2台が巻き込まれ川に転落、104人が死亡
1970年2月18日 「川崎ローム斜面崩壊実験」付で正式に川崎市長から許可を取得して現場が定められた。
1971年6月9日 「川崎ローム斜面崩壊実験」この実験計画の承認が行なわれている(決裁は研究調整局長)
1971年11月11日 「川崎ローム斜面崩壊実験」で事故。研究従事者及び報道関係者ら15名が生き埋めとなり死亡
1971年11月15日 「川崎ローム斜面崩壊実験」で事故。佐藤栄作内閣で科学技術庁長官平泉渉が引責辞任 1968年(昭和43年) 神戸工業、富士通株式会社と合併、同社で自動車用通信機器部門を担当する「神戸工業部」に移行。富士通は通信工業部、電子工業部と合わせて三工業部制に。
1972年10月25日 富士通からラジオ部門が分離・独立し、富士通テン株式会社を設立
1973年(昭和48年) トヨタ自動車工業、日本電装(当時)の資本参加を得る。安全ベルト制御および排出ガス制御用電子機器をトヨタ自動車工業に納入開始。
1975年(昭和50年) 生産子会社として中津川テン株式会社(現・デンソーテンマニュファクチュアリング 中津川工場)設立。
1978年(昭和53年) クルーズコントロール用電子機器をトヨタ自動車工業の納入開始。
1979年(昭和54年) 電子同調ラジオおよび録音機能付カーステレオをトヨタ自動車工業に納入開始。 2007年6月2日 Bell 412 岐阜県中津川市で緑化資材散布を行っていた東邦航空のヘリが墜落。
2008年12月1日 Bell 412HP 沖縄で海保ヘリ「ほしずな1号」が不時着
2009年9月11日 Bell 412EP 岐阜県高山で防災ヘリ「若鮎2」が墜落
2010年8月18日 Bell 412EP 香川県佐柳島沖で海保ヘリ「あきづる」が墜落
2017年3月5日 Bell 412EP 長野県鉢伏山で消防防災ヘリ「アルプス」が墜落
2017年11月8日 AS332L 群馬県上野村で東邦航空のヘリが墜落
2018年8月10日 Bell 412EP 群馬県草津白根山で防災ヘリ「はるな」が墜落 石川達紘(たっこう)元東京地検特捜部長のレクサスは富士通テン(デンソーテン)のECLIPSEで遠隔操作されたのか?w ワシントンDCにあるセントマーチン大学の文化人類学者で
「人類学の武器化:国家武装に寄与する社会科学」著者
デビッド・プライス教授
「これら個々のプロジェクトを見る限り、これらは正常な社会科学、
言語分析、歴史研究などのように見える。
しかしこれらの点を組み合わせると、
超簡略化させた歪んだテーマを共有してるのが読み取れるだろう。」
ミネルバは個人が受け入れることができるまで
巨大プロジェクトの個々の関連をなくす方法を使うことで帝国の部品を外注してる。 ここまで書くと中津川の東海アマ(@tokaiama)がどんな人物なのかがわかるだろうw。 >>237
モダンにするんだったらバスの形のモニュメントにすればいいのに
白バイのお墓もあるんだし >>6
20年前の広島のペッタンコ事故に似てるな
子供がトイレ行きたいと打駄々こねて幼稚園バスを止めてトイレに行かさせる
するとしばらくしてからそのバスの走る先の道で高架が落ちて車数十台がペッタンコ
予定通りバスを走らせていたらまさに事故に巻き込まれていたところという
そのトイレに行きたいと言った子供は事故後誰も見ておらず親に尋ねたら子供は朝からずっと家で寝ていたという不思議な九州に一生を得た事故 これって地元の消防や警察も引き返すように言ったりバスの運転手も危険だと訴えたけど幹事役みたいな人間が聞き入れなかったんだよな
今なら国家賠償なんかとんでもないし総叩きされそう 驚くのが奥様ジャーナルがまだ潰れてなくて
しかもまだバス観光ツアーとかやってること 50年も前の事故では流石に社会環境も変わってるからなあ これは知らない スキーバスがダムに落っこちたのは覚えてる あの年は確か曽孫が遊びに来て騒がしいなかテレビに釘付けだったな
懐かしいわい >>46
立ちションって
近くに公衆トイレあるはずだが >>264
そりゃ生まれる前だから記憶あるほうがおかしいわな >>268
今の40代50代でも太平洋戦争の記憶あるのに… >>257
直接の奥様ジャーナルは解散したけど、奥様ジャーナルプラスとして
事実上継続したわけだよね。 黄色い羽根運動誕生のきっかけになった事故現場が家の近くにある。 >>269
それ、記憶ではなく知識があるだけだよ。 同じ頃比較的近くであった猿投ダンプ事故なんかも相当悲惨だったが
そっちはほとんど話題にならんなぁ… >>272
米軍って聞いただけでいつも戦時中を思い出すって言ってるけど >>255
九州に一生か
修羅の国で一生を得るのは凄いことなんだろうな 41は今でも死亡事故多い。
何気に2週間くらい前にも事故で亡くなってる
道幅がギリで山と崖に挟まれ、自分の運転ミスでも対向車の運転ミスでもジエンドの確率が
高い。 >>257
そりゃあ中日新聞と名古屋鉄道の関連会社だからね >>277
主要国道なのに片側一車線だから事故るとすぐ通行止めになるよな。
この事故現場と似た怖さは旧愛岐道路も感じる >>1
みえますか?みえますか?みえますか?
この事故覚えてみえる人、みえますか? >>42
日本福祉大学のスキーバス事故か?
当時同級生だった女の子が亡くなったわ 業務以外の個人単位において車不要の街であれば、事故はかなり防げる。
マイカー必須の都市計画はもう古い、地方凋落もその不便さに起因する。
これから求められるのは、徒歩回遊性の街作り。
多くの人が商業地域などの便利な場所に住みたいのだから、住居専用の用途地域は縮小。
都市間移動は、各種交通機関で事足りる社会へ
近代以前の有形・無形文化財は保存・復元しつつ、郊外宅地は耕地に戻し、限界集落は森林に戻す。
都市計画は一世紀単位で考え、少しずつ日本の自給率が上がるように。 マイカーを排除していればこの事故は起きなかったんだな。 >>284
集中豪雨による土砂崩れだから、マイカーの有無は関係無いだろ この事故をリアルタイムで知ってる奴が結構いるという恐怖
マジ高齢者がいるんだな 奥飛騨慕情
「あぁ〜奥飛騨に〜雨が降る〜」
分かるかなぁ〜
分かんねぇだろうなぁ〜 >>287
まあ、当時15歳ぐらいなら覚えている人は多いだろうし、
その人たちはまだ65歳、5chを覗いていても不思議ではない。 5歳児のだだこねも時として意味のあることもあるんだな
この世に素直な子ばかりでなくだだこねっ子が一定数いるのは自然の摂理だったのか 三枚目の写真バスがくの字に曲がってしまってる
すごい衝撃だったんだろうな
外に放り出されてしまったみたいだから捜索も大変だっただろうな >>281
OBの方ですか。
自分は高校のときにこのバス事故で日福を知って、福祉学部に入りました。
7号館横に慰霊碑が建てられて遺族の方が毎年、慰霊に来られていました。 現場を見れば、この谷の深さと険しさ
そして幅の狭さが分かる
落ちてしまったところを見たところで、誰も助けに行くことができない
狭すぎてヘリコプターも入れない
地獄の一言だったことだろう 事故前日に偶々川辺町に出張していて大雨で移動できずに宿泊していたいた検察官。
翌日未明に公的な一報を県庁と警察検察に入れたのだが、これがウチのじいちゃん。 毎日通る道ででかい慰霊碑が現場にあるから毎日この事故のことを思う >>298
時々しか通らないけど、あそこを通るとものすごく悲しい気持ちになる >>182
>>200
>>211
>>232
Wikiの通り当該「奥様ジャーナル」は解散したけど、
解散後に「ニュー奥様ジャーナル」が設立されているので、
>>200が現在も配られていると言っているフリーペーパーは、
「ニュー」が作った物では?
多分フリーペーパー事業に専属させるために、
資本関係や他事業のリセットを目的に一旦精算したと思われ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています