静岡県、中部銀行の破綻事件

2002年3月5日に金融庁から業務改善命令を受けた。そして、わずか3日後の2002年3月8日に破綻した。

預金流出は多い日で1日に10億円程度、業務改善命令の発動直後は20億円程度に跳ね上がり、結局、早期是正措置発動からわずか2ヵ月間に預金量の1割以上の445億円が流出した。

2002年3月7日には臨時株主総会を開催し増資を決議、払込みが予定通りに進めば、2002年3月期末の自己資本比率は単体、連結とも健全性の目安となる4%台を回復するはずだったが、信用不安は解消せず、預金流出は続き、増資の引き受けもままならなかった。

結果、ペイオフ解禁後にさらに信用不安が拡大するのは必至と判断。2002年3月8日預金保険法第74条第5項の規定による申出がなされ、破綻処理を申請した。後の金融庁検査で、破綻時は▲281億円、自己資本比率は▲10.77%の債務超過が判明する。