【東京】「お坊さんは、根底に信心のある究極のサービス業」 檀家の「お寺離れ」にどう対応するか お坊さんたちが緊急シンポ★6
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檀家(だんか)の「お寺離れ」が進んでいる。この現状をどう考えるか、率直な意見を交わすシンポジウムが東京都内で開かれ、宗派を超えた住職たちが、お寺の現場で起きていることを報告した。
苦しいお寺経営
このシンポジウムは、8月23日に東京都港区のホールで開かれた「お寺の今後を考えるサミット」。
文化庁の宗教年鑑(平成29年度)によると、全国ににある仏教系寺院の数は7万7206カ寺で、約5万5000店とされるコンビニエンスストアよりも多い。ただし、2万カ寺以上は、後継者不足などで住職がいない「無住寺院」になっているといわれ、境内の維持などに大きな課題を抱えている。
経営面で課題を抱えるお寺も少なくない。国内最大級の仏教教団である浄土真宗本願寺派が同派のお寺を対象に行った調査(26年実施)によると、寺院収入が年300万円未満のお寺は45%に上った。年50万円未満も10%あった。
継続的な寄付など檀家であることが負担となり「檀家関係がわずらわしい」とぼだい寺を離れ、先祖代々受け継がれてきた墓を更地に戻す「墓じまい」も増えている。
お坊さんはサービス業?
「お坊さんは、根底に信心のある究極のサービス業だと思う」
シンポジウムで登壇した浄土真宗法瑠(ほうりゅう)寺(埼玉県所沢市)の矢島浄純(じょうじゅん)住職はこう語った。
矢島住職の発言は、社会とお寺の関係性の変化を踏まえたものだ。変化を促した一つが、ネット通販大手のアマゾンジャパンが27年に始めた「お坊さん便」だ。法事や法要で読経する僧侶をネットで手配できるサービスは、仏教界に“衝撃”を与えた。
矢島住職も、インターネットで僧侶派遣サービスなどを手掛けるユニクエスト(大阪市)などから葬儀仲介を受け、同僚の12人の僧侶と月60件以上の法要などを手がけている。
矢島さんは、「托鉢(たくはつ)(修行で経を唱えながら歩き、食物や金銭を鉢に受けて回ること)だけでは食べていけない。(葬儀社から)仲介を受けたとしても、人間としてつながることができる。新たに結ばれたご縁を生かすも殺すもお坊さん次第なのではないか」と持論を述べた。
競争原理
僧侶派遣を仲介する企業には、依頼者から「別のお坊さんを紹介してください」などの要望が寄せられている。お坊さんは、消費者に選択される時代になった。
シンポジウムでは、そうした新しい状況を、肯定的にとらえる声もあった。
浄土宗正念寺(京都府八幡市)の田中龍彦(りゅうげん)住職は「努力研鑽(けんさん)することで、私たちも身なりや言葉の使い方に気を配るようになる。選んでもらえるような仕組みが広がっていけば、お坊さんも切磋琢磨(せっさたくま)して業界が良くなっていくはずだ」と指摘した。
僧侶の役割
シンポジウムでは、代々受け継がれてきたお堂などの施設も、維持費用の観点からスリム化が必要だ、との意見も出た。これには異議も唱えられた。
例えば、真言宗極楽寺(奈良県安堵町)の田中全義(ぜんぎ)住職は「寺の歴史や、代々受け継がれてきた仏像や縁起を受け継いでいくことに、仏法があると思う。仏法をどう伝えていくのか、積極的な取り組みを考えるべきでは。それが僧侶の役割」と述べた。
近年は、若手の僧侶を中心にバンド結成などの音楽活動や、参拝者の相談にも乗るカフェの運営など、社会との結びつきを深めようとする動きも増えている。
田中住職も、流しそうめん体験や仏画教室など地域に開かれたイベントを企画し、檀家らとの結びつきを強めることで、お寺の存在感を示そうと試みている。
問題はお坊さんの態度?
「お寺離れ」の理由は何だろうか。浄土真宗本願寺派総合研究所が、葬儀関連事業者らのイベント「エンディング産業展」と共同で実施したアンケートが参考になる。
仏教とお寺、お坊さんについて印象を尋ねたもので、「仏教」に悪い印象を抱く原因は、「お寺」(6・7%)や「教義の内容」(4・5%)に比べ、「お坊さん」が25・3%と突出して多かった。
お坊さんが悪印象を抱かれる理由は、「人に対する態度」が22・8%で最多。「金銭感覚」が18・5%と続いた。これに対し、「読経の力量不足」(4・8%)や「法話の力量不足」(13%)などは低かった。
(続きはソース)
2018.9.7 08:00
https://www.sankei.com/premium/news/180907/prm1809070001-n1.html
★1:2018/09/07(金) 23:35:17.02
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1536485105/ ある法事に行けば、
坊主が右手にタバコを持って酒を飲みながらパチンコの話をしてるし、
また別の法事に行けば、
坊主が京都の舞子だの芸者だのの自慢してるし、
何よりもタチが悪いのは、
ただの思いこみでそんな坊主をありがたがっている檀家の人たち。
完全に終わっとる。
>>936
だめだこいつら、早く何とかしないと。 >>950
ブッダもそう言っている
有るか無いか分からないものに関わり合いになるなと
そんな無駄なこと考えるより正しい修行をしろと
霊魂の有る無しや死後どうなるかなど答えないとブッダは言っている
つまり日本の僧職は全員偽者だ 仏陀なら、あの世とか極楽浄土とかあるとおもってる人に対しては無いとは言えず。
一緒に供養したり拝んでくれるんじゃないのか。
そうしないと、無いと思ってる人に、有るんだと押し付けるのと一緒だろ。 少ない生活費を、節約しまよう。お寺は断捨離で行きましょう。
お寺も、
断捨離、
消費税 >>780
あなたいくつなの?勉強って大切だよね。
般若心経は宇宙だし真理だから知れてよかったね。
この教えだけ知っていれば後は要らないからこれからの人生で思い出して生きてね。
あとの事は此れを基準に考えればいいんだから楽になるよ。 >>956
歴史上に実在した仏陀(ゴータマ・シッダッタもしくはガウタマ・シッダールタ)は、そんな甘い人ではなかった。
死んだ我が子を生き返らせてくれと嘆願した母親に、釈尊がどんな回答を与えたか、
それによって母親がどのような救いを得たか、は割と有名なエピソードなので、
ちょっとググればすぐ出てくるはずだから、それ読んで少し本来の仏陀・仏教について勉強してみた方が良いと思う。 極楽浄土があるとおもってる人に、無いんだと説得するのか?
原始仏教が思想を構築していく上でとった基本的な立場は、無記である。
「無記」(avy?kata, avy?k?ta)とは、形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ることである。
無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という本来の目的を見失わないためにとられた立場である。
『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)第63経「小マールンキャ経」は、世界が永遠であるか否か、有限であるか否か、生命と身体は同一のものであるか否か、
人は死後存在するか否かという問題について、ブッダが何も語らなかったことを「毒矢のたとえ」によって巧みに表現している。
毒矢にいられ、苦しむ人を前にして、医者が、患者の身分、階級、弓の種類、矢の種類などについて知られない間は治療しないとしたら、その人は死ぬ。
世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。
ブッダは、現実にそれらの苦しみを止滅することを第一義の目的とした。あくまでこの目的を見失うまいとするのが「無記」の立場である。
ここには、心の病の医者としてのブッダの側面が如実に現れている。
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/muki.htm ブッタが極楽浄土について弟子だちに話したのが仏説阿弥陀経 世の中にこれっぽっちも貢献せずに金金金金の腐れ坊主 >>961
そもそも根本仏教では、死者を拝んだり供養したりしません。
極楽浄土なんて、釈尊の死後数世紀も経過してから大乗仏教(を名乗る中央アジアの新興宗教団体)が創作した死後世界の神話に過ぎないのだから、
仏教的に言えばそれは“捨置”の対象でしかない。 20年位前中野区の某寺、戒名600マンと宣った
ビビった喪主はそのまま墓仕舞い、貧乏人は相手にされないね
寄付は豪快に通知してくるし、あいつ等どんな生活してるんだろ ロマネ・コンティ二本持ちの西本願寺住職がいるんだが >>967
売上規模から相当な接待費は企業活動には必要。
同じことを中小企業の社長も個人商店の店主もやっている。 >>970
つまり寺は中小企業や個人商店と同じ営利事業であって、坊主はその経営者。
信心なんかなくて、金儲けが第一だと公に認めちゃえば楽なのにw >>956
無記だから有るともないとも言わない
当然一緒に拝むとかない >>965
根本仏教だの原始仏教だの修飾語をつけるのはやめて仏教だと言うべきだ
昔と違い何が仏教だか判ってきた。大乗だの上座部だの密教だのそんなのは仏教の本質ではない
仏教はただ中道、八正道、四諦を追求すればいい >>971
そのあたりが一番の問題点だよな。過去には政治に組み込まれて大変なことになっているし。 >>950
そのとおりだと思う。死んだ人間がどこに行くとか、幻想でしかないと思う。単純に送る側の人間がどうその死ってやつと向き合うかって問題だろ。
死体に戒名を付けてありがたがるのは、送る側の人間。
元々は戒律に従って律師に正式な手続きを経て授かるのが戒名。
一個ずつだよ。
生きていく上で大事な事を一つずつ気をつけていないと
意味がないのが戒名です。
あわてて、死んだあとにつけるから、誤解が多い。 >>973
ご高説の通りとは思うが、ただ“仏教”とだけ書くと、個人ごとに“仏教”の定義や“ほとけ”のイメージが違うので、議論が噛み合わなくなってしまう。
根本分裂以降、特に解釈の違いが著しい用語が含まれていたり、
後世の創作がはなはだしい宗派が絡んでいる場合は、
根本仏教、タイ上座部仏教、スリランカ上座部仏教、ミャンマー上座部仏教、日本大乗仏教、日本密教(更に東密か台密か)、浄土教、チベット金剛乗仏教の、
どの立場を前提にしているか程度は明確にしておきたい。 仏教の話題になると、どうも偏執狂じみた人が多く現れるみたい。自説に拘ったり軽々に断定的な事を言うのは少なくとも仏教的な態度ではないだろうと思うのだけど。 人間自由に好き勝手に生きていくと、良い時と悪い時の落差が激しいやん。
病気や事故、災害などの禍で自分を幸せにしてくれる大切なものなんて一瞬で無くなることもある。
お金が無くなったり孤独に陥ったり、そういったことで簡単に心が壊れてしまうのも人間。
そんな時に心の折り合いをつけたり、落差の少ない人生を送るためにストイックに生きていこうとするためであるのなら、宗教も存在意義のあるものかもしれないと思う。 >>976
イスラムの原理主義が世界中で文字通り暴れているから、「根本仏教」と書くとそれだけで「原理主義?」と相手に叩く隙を与えることになるから
「ガウタマ・シッダールタ」さんの仏教とか呼ぶのが良いだろう
逆に大日如来や阿弥陀如来を拝んでいる人達はそれ仏教じゃないしね 坊主ってクソみたいなやつしかいないからな
修行するならコンビニでバイトでもしてこい
滝に打たれるよりよっぽど忍耐力も精神力も社会性も常識も身につく >>976
どの形態の仏教を信仰するのはどうでも良い話。
大事なのは信仰を持つってことだと思う。
とくに今の日本人は拝金教に陥っているので、救済される必要はあると思う。
宗教が考えの基本にあると、苦しさが減ると思うぞ。 >>981
特定の宗派の荒行をすべての仏教の坊さんに強いるのは変だと思う。
ブッダさんが荒行をした結果は悟りが開けないってことが
わかっただけなのに。 バカバカしい話で仏教の開祖を「ブッダ」と呼ぶと「ブッダは覚者の意でブッダ以外にもブッダはたくさんいる」と言われ、
「如来」と呼ぶと「ブッダ以前も以後も如来はたくさんいた」、と言われる
よって我々は釈迦や釈尊と呼びたい
もっとも、パーリ語読みで「ゴータマ・シッダッタ」さんと書く方が適切か 今の日本にいる「僧」を名乗る人は高価な衣装を着た儒教式葬儀専門業者
死人の前に座り呪文を唱えるだけ
もし今釈尊が日本に住んでいてこれを見たら我を忘れて助走をつけて殴りかかるレベルだろう >>980
ゴータマ・シッダッタ直説の哲学を示す言葉としては、古来“バウッダ”という表現もあったのだが、
結局、後世の拡大解釈が進みすぎて、
唯識から、法華経(ほぼバガバッドギーター+アヴァローキタ・スヴァラ信仰のパクり)から、浄土教から、タントラ密教から、なんでもかんでも仏教に取り込まれちゃったから、
単語ひとつ配慮するのも、いろいろ大変ですなあ・・・ 僧侶の堕落 退廃 金権主義が招いた結果かな?
キリスト教やイスラム教や学会や新興宗教は、原則を絶対に譲らず教義を護っている。
生臭坊主共は、日本の良き伝統なんて考えて無いのでは無いか?
>>985
んなことはない。
元々、坊さんの衣装はその人への寄進のあらわれで、布施ってのも
大事なきれいな布をわずかずつわたしてそれをパッチワークして
できたのが袈裟。
同じように見える袈裟だが、ひと目で自分の袈裟はわかるもの。 >>982
一番拝金教を深く信じているのが、日本の寺の坊主どもという皮肉w 日本人僧「いや、オレらだって親のやってる仕事継いだだけで釈尊なんか知らんし」
日本人僧「阿弥陀如来(という神)を崇拝してるだけでインドのゴータマさんなんか関係ないし」
日本人僧「あらゆる欲望も正当化される。だって阿弥陀さんが救ってくれるから。さて、カネカネ」
日本人「仏教って何・・」 坊さんへの布施と葬儀費用と檀家になるための経費がごちゃごちゃになっているから問題だと思う。
檀家になるためには過去の30年分の不義理をお金で清算するって説明が必要だと思う。 >>989
んなことはない。
一部上場の会社の売上や、経常利益を凌駕するようなカネを生み出しているような寺はない。
ぼったくりに映るようなら、車とかカメラとかの方が利益率が高い。
袈裟やら何やらをそろえるのに結構カネがかかるぞ。 >>991
何でもお金で清算して解決しようとしか考えない輩を、拝金教徒と呼びます。 坊さんは慈善事業だから貧しい生活にしていないといけないってことはない。
ごく当たり前の普通の人の生活を送ることが大事。
社会人にもいろいろいるが、銀座で豪遊することを良しとする人もいれば、早々に寝て朝早く起きる人もいる。
坊さんも仕事を離れれば普通の暮らしをしてもいいと思うぞ。 >>994
そう、ところが、大工さんに仕事を頼むのもカネが必要。 >>993
>>988みたいな清らかな寄進による袈裟に、それほどの大金がかかるわけですか?w >>997
袈裟の値段がいくらか知らないの?
安くても100万ぐらいから。 >>996
その金は、自発的な喜捨であがなうべきですね? 坊主よりも禁欲的な生活してる俺が読経した方が有難い このスレッドは1000を超えました。
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