>>371

https://ja.wikipedia.org/wiki/対立教皇

第一十字軍の発端は、ローマやラベンナに入ることができず神聖ローマ皇帝と対立して弱体化した教皇ウルバヌス2世が
ビザンチン帝国からの要請に対する会議で「Deus Vult」と叫んだ領主の一人の声に賛同するものが多くいたので雰囲気に
のったことに由来する

その後ウルバヌス2世は、犯罪者に兵士になれば免罪する前代未聞の策を用いた
ウルバヌス2世が十字軍を計画する丁度1ヶ月まえには、最大の支持者であるフランス国王フィリップを破門しており関係が悪化していた
(フィリップは以後も何度も破門され、そのたびに面従腹背をくり返し、破門と破門解除をくり返した)

https://ja.wikipedia.org/wiki/クレメンス3世 (対立教皇)

クレメンス3世は対立教皇の中でもグレゴリウス7世から数えて4代にわたってローマで強大な影響力
を保持し、その実力は正当とされている教皇を上回っていたことから正式な教皇と見なされることもある。

https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Boniface_VIII#Conflicts_with_Philip_IV

ローマ教皇ボニファティウス8世の例でもわかるとおり、カトリック教会のトップである教皇は1302年でさえ国王によって実質的に
殺された歴史もあり、国家権力や他のキリスト教国と時勢によって同床異夢・異榻同夢であっても同一ではない