>>495

ハミルトンは貴族階級出身(実際は貴族ではない)の強烈なエゴをもつ人物として知られ、ジョージ・ワシントンの子飼い
となってからは、ライバルの追い落としに情熱を尽くすなど否定的な見解が多い

ヨーロッパの外交と対等に渡り合うために、王政に相当する終身大統領にも賛成であったとされ
自身に権力を生むものであれば手段を選ばないタイプだったと評価されている

ハミルトンが中央銀行を作り保護貿易の促進をしたとの話も
あるが、これは大きな誤解だ、ハミルトンは歴史的感傷に浸る連中には意味があるが、保護貿易は借金の支払いのためであり
金融政策は当時の超大国であったイギリスを模倣したに過ぎない

中央銀行自体は1694年のイギリスに存在し、またそれが誕生した動機も世界各国で概ね一致する
戦争のための負債や、戦後の負債返済のための紙幣発行機能だ
言うまでもなく戦争経済や財政危機、金融危機において金融の集中化を図るのは大して珍しいことではない
政治的なスタンスの差はどのレベルの「危機」にまで中央銀行や政府が処置するかというラインだ

また小型の信用危機に対する政府の財政出動は各国でも例はあるが、実際に本当の意味での国際的な信用危機はハミルトン後にも繰り返しおきる

https://en.wikipedia.org/wiki/Panic_of_1796%E2%80%9397
https://en.wikipedia.org/wiki/Bankruptcy_Act_of_1800

金融危機や信用危機があまりにも頻繁に起きたためにイギリスの経済体制を模倣することになる

これに対する対策を体系化したものがヘンリー・ソーントンであり、中央銀行の統治の典型はハミルトンではなく、イングランド銀行の模倣に見出すべきだ

https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Thornton_(reformer)
https://en.wikipedia.org/wiki/Paper_Credit

つまりハミルトンは財政責任者として関税を引き上げ、信用危機に対して金をつかったが、イギリスの模倣であったがために
危機が起きるたびにイギリスが先取りした中央銀行のモデルに追随していっただけと考えても良いだろう