これがキリスト教のやり方だよ。
現地の住人を大量虐殺して無理やり広めたのがキリスト教。


>>西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内に生活していた[16]。言語だけでも
250、部族数に至っては、700を超えていた[要出典]。しかし1920年には約7万人にまで減少した。人口減少の
最大の要因はヨーロッパ人が旧大陸から持ち込んだ伝染病(天然痘や梅毒、インフルエンザ、麻疹など)の流行によるものと考えられている。
それまでオーストラリアは旧大陸とはほぼ隔絶されていたため、アボリジニはこれらに対する免疫を持っていなかったのである。[17]

1788年からのイギリスによる植民地化によって、初期イギリス移民の
多くを占めた流刑囚はスポーツハンティングとして多くのアボリジニを虐殺した[18]。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された
日記がサウスウエールズ州の図書館に実際に残されている[19]。

1803年にはタスマニアへの植民が始まる。入植当時3000〜7000人の人口であったが、1830年までには約300人に
まで減少した[20]。虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという[21]。数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、水場に毒を
流したりするといったことなども行われた[22]。

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が
自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。捕らえられたアボリジニ達は、ブルニー島のキャンプ
に収容され、食糧事情が悪かった事や病気が流行した事から、多くの死者が出た。