【金沢】ユーミン、横綱千代の富士も愛した金沢の名店「つる幸」、50年の歴史に幕
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加賀百万石伝統の懐石料理を受け継ぐ金沢市の料亭「つる幸」が11月いっぱいで50年ほどの歴史に幕を閉じる。金沢を訪れた各界の著名人にも愛された名店だが、時代の変化に対応できなくなったのが理由だ。2代目主人の河田康雄さん(52)は「今まで親しんでくれた人には感謝しかない」と感慨深げに振り返る。
「つる幸」は1965年に、父、三朗さん(86)が近江町市場の近くに開業、83年に現在地へ移転した。河田さんは大阪の料亭・味吉兆で7年修業を積んだ後、約20年前に店を引き継いだ。
当初は父と比較され、「味が落ちた」と言われた。4年目に「親父おやじのまねをやめよう」と自分の思うままに料理を出すと、好評を博するようになった。
加賀野菜の「加賀太きゅうり」をくりぬいた「器」に金沢の郷土料理「治部煮」を盛りつけた料理は看板料理となった。カモのうまみが濃縮されたとろみのあるだし汁にきゅうりの爽やかな風味が加わった味わいが評判となった。
イカスミやカニみそをシャーベット状に凍らせて温かい茶わん蒸しの上にのせたり、トリュフやフォアグラなど西洋の食材を加えたりと、斬新なアイデアは食通をうならせてきた。
毎朝7時には近江町市場に出向き、市場で一番新鮮な魚を選ぶ。「ガスエビ」など地物を使うのもこだわりだ。市場から戻ると、昼、夜の料理の仕込みをし、翌日の献立を考え、帰宅は深夜となる。「一瞬一瞬に全力を注いできた」と語る。
店は、慶事などに使われてきたほか、歌手の松任谷由実さんや元横綱の千代の富士ら、金沢を訪れた著名人にも愛された。河田さんは料理番組「料理の鉄人」に出演したほか、2016年には、レストランの格付け本「ミシュランガイド」で二つ星を獲得した。
だが、日本庭園を眺めながら個室で食べる懐石料理は、時代に合わないとも感じるようになった。政治家や企業幹部らの宴席は減少。週末や夜間の勤務もいとわない厳しい仕事に2、3か月で辞める若手板前も多い。ピーク時には30人いた従業員は20人ほどに減った。
「これを機に原点に立ち返り、楽しく料理をしたい」。そう思い立った河田さんは、老舗の暖簾のれんを下ろす決断をした。「せつ理」という名のカウンター数席の小さな店を近くに開き、懐石料理の枠を外し、お客さんを前に料理を振る舞うことにした。河田さんは「料理と真剣に向き合っている姿を見て楽しんでもらいたい」と料理人として新たに出発する。
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2018年09月18日 07時33分
YOMIURI ONLINE
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20180917-OYT1T50125.html 「AかAかAノンノン」
「やめてお兄様」
って寸劇を男女でやるのが流行った中学時代 ユーミンが千代の富士を愛したと見えたから飛んできたら単なる土産物の話かよ 斬新なアイデアは食通をうならせてきた
美味しんぼで叩かれてた人種だなw 50年に幕言うても歴史あさすぎるし
ユーミンも千代の富士も全盛期は30年前
その頃はせいぜい20ねんってこった つる幸のオールナイトニッポン
ええか、ええのか、ええのんか >>1
荒井と秋元が贔屓にしている店の店主が河田。
あとはもう分かるな? アレを聞いて性を開花させたオマイラ、手をあげっろおおおおお つうか、ここ、奇をてらったもの出すのはいいんだけど、
まずいんだもん 鶴光の正式な読み方は「つるこ」(大阪弁の名詞は語尾を伸ばさない) 老舗いうほどか?
50年ぐらいやったら居酒屋やラーメン屋でも山ほどあるで。 安倍ちゃんが言うには外食は潤ってる筈なんだけど…… >>2
>>3
>>4
>>5
想像以上で拭いたw 高級料亭とはいえ、従業員何十名も雇っていたら今の時代やっていけないだろうな 50年て大したことないだろw
料理は才能だからしょうがない こんなのは席数絞って店主+2〜3名でやるのが時流だろうに ユーミン、金沢の歌って何かあったか?
盛岡や神戸はあったが 記事読んだけど
たかだか歴史50年の懐石料理店が
懐石では儲からなくなったんで
名前を変えて別の料理店を建てる、って
何でこんなのが記事になってんだ?
どうでもいいわ 人件費賄えなくなったのな
金持ちがどんどん居なくなってる証拠だ
小さい店にしてやり直したら? >>34
そもそも料亭なんて戦後に出来たもんだからな
その前は日本クソ貧乏だったんだし >>23
>>31
秋元(黒い横綱)の娘は最近結婚したが、これも相手は在日だぞ。 金持ちが減ればこういう商売も衰退する
銀座の高級クラブとかこれからどんどんなくなるよ 料理の鉄人のアンコウ対決で道場さんに負けたんだっけ 55カレーもうちの町から撤退したな
金沢ダメじゃん 治部煮って美味いよなあ
家で真似しようと思っても中々うまくいかん 50
★
2020年東京オリンピックで泣ける歌≠ェ、ここに誕生ー
2020年オリンピックで泣ける歌≠ニいう、
最も高いハードルを課し、制作がスタート
無事ここにその目標を大きくクリアし、
楽曲完成に、いたりました
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
2020年東京オリンピックで泣ける歌≠ヘ、
唯一無二、未来永劫、これでキマリです! >>1
>味吉兆
吉兆の名前がつくと、あのささやき婆さんしか思いつかない。 自分が年取ってくると、50年ってもあまり長い歴史に感じなくなる
創業1968とか新しい方じゃん、みたいなw >>44
「花紀行」
地名は出てこないが
「ビュッフェにて」も福井から金沢へ向かう北陸本線らしい ユーミンか。。歌は下手だしネタはパクりだしどうしようもなかったな 結局これって日本人が貧乏になって飲食とかに金使わなくなったって話だよね
20年間実質賃金も上がらず経済成長止まってる国が日本だし
バブル崩壊までは日本人豊かだったけど、崩壊後は坂道転げ落ちるように貧困化していった ユーミンと千代の富士しか来てないの。
私が以前勤めてたボロ店でも有名人来ましたが。
コンビニやスーパーやデパートも電車もタクシーも
有名人の全員が利用してると思いますが。
こういう有名人の誰々が来たって言うのよくあるけど、
勘違いの店の無意味な宣伝だと思う。
うちは特別みたいな、勘違いの店だから閉店に追い込まれるんじゃないの? >>69
行空けて俺は特別みたいなクソ野郎は
もっと嫌いだ、汚物人間w 料亭としては終わるが小料理屋としては続けるってことか
ええんじゃね >>70
店の方でしたか。
図星つかれて、発狂なさってますかw
パソコンだと無意味な改行でも、
スマホや携帯なら改行した方が見易いことも分からない
単一自己視点近視眼の方でしたかw
そういう勘違いの自己中の視点しかないから、
閉店に追い込まれるわけですよw >>65
京都辺りだと応仁の乱ぐらいの時期の創業でやっと老舗扱いだな
江戸時代だとまだ新興企業 金沢は小京都を気取っているけど田舎の小都市なんだよな >>68
そゆこと
第一何だかんだバカにしてる奴らなんて一度も料亭なんて入った事ないだろうけどね 金沢旅行の時に行ったわ。
醤油が甘くて出汁がきいていておいしかった。
醤油は店で手作りと聞いて驚いた。
おにぎりにして夜食に持たせてくれたり、店員さんも親切な接客で良かった。
お疲れさまでした。 父である先代を越えて大看板にして
大箱店を閉めてこじんまりした店で客の前で料理をふるまう
料理人にとってはこれ以上ない人生だな >>87
その経営不振の原因は富裕層が少なくなったから
料亭なんて金持ち以外行かないんだから >>85
安売りしてる飲食店チェーンですら来店数落ちてきてるし、庶民は安売り外食にすら金回す余裕も無くなってる感じ
消費税10%でこれから、どんどん不採算店増えて閉店ラッシュ始まるだろうな >>68
金沢人は食べるものにお金は使うが
もっと行きやすくて美味しい店があるんだよ
まあ、観光客にも知れて予約取れないけど >>77
つるこうの今の主人の親父の時代には、京都の料亭の息子が修行にきたいたらしい
瓢亭だったかな >>85
景気が悪くなったのもあるだろうけど、公共事業やコンプライアンス上から企業接待が減ったのもある
後はスペースやら器を楽しむ価値観が変わった
値段や味が同じでもカウンターと小部屋ならやれるんじゃないの? >>65
「昨晩お会いしましょうツアー」を石川厚生年金会館で観たときユーミンが
言ってた。「今日は、演らないけどビュッフェにては金沢の歌なんです」と。 >>19
金持ってない若者の飲みに行く前の腹ごしらえか
同伴が入ってない出勤前ホステスやホストの腹ごしらえか
お小遣いが少ないオッサンが豚バラでビール飲むお手頃な店やったんや
それが北陸新幹線できてから観光客いっぱい来る店になったわ(´・ω・`)
といってもまだ地元民と観光客が7:3ぐらいの割合
観光客はやっぱりおでん屋か金沢料理の店に行くね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています