金が欲しいだけの詐欺娼婦には”広義の強制性”などど喚いておきながら
凄惨な強姦・強奪・虐殺を受けた”本物の被害者”である日本人女性については
加害者に謝罪・罰・基金など指導せず日本軍に責任を転嫁する始末だ
犯罪者である外人は何百年もこのやり方を繰り返しヒトに進化する僅かな兆候さえみられない


強姦された日本人女性のほとんど総ては、その後、自殺、絶望死、病死、衰弱死した。

「満州・北朝鮮におけるソ連軍の日本人虐待は、口ではいい表せないほどひどいものだった。
暴行と強奪は日常的だった。そして残虐な行為を犯した。
とくに野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、抵抗するものは片っぱしから殺した。
ソ連軍の兵士たちが日本の女にしたことは、いまでもぞっとするほど残虐なものだった」

女性たちは丸坊主になり顔に墨を塗り男装して難を逃れようとしたが
ソ連兵は一人ひとり胸を触って女である事を確かめると引き摺っていった
侵略したソ連軍は日本人の乗っている列車を止め、女は一人残らずプラットフォームに降ろされ、
「白日の下、夫や子どもや公衆のまん前で集団暴行を受けた」のである」
陵辱に耐えかねて死をもって抗議する若い婦人、暴行から身を守ろうとみずから死を選ぶ人妻もいた

「ソ連軍が満州に入った時点から、その相当数のソ連将兵は直ちに横暴な行為を露骨に現した。
満州でのソ連軍の軍紀の乱れは目に余るものがあった。
彼らは白昼堂々と倉庫の中のものを盗み出し、町で売りさばき、得た金を着服した。

夜になると泥酔状態で臭気をまき散らしながら、町中「マダム」を捜し回った。
恐れおののく庶民はドアと窓を締め切り、ソ連軍が一日も早く帰ることを内心に祈っていた。

満州の各大都市はどこも同じような状況で、夜になるとソ連軍兵士が街角に現れ、
通行人を止めては携帯物品を強奪し、女性を追い回し、時には銃をもって民家に押しかけることもよくあった。