【兵庫】「関西では小栗の功績があまり身近でない」 幕臣・小栗上野介、群馬の顕彰会が姫路来訪 夫人ゆかりの地めぐる
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敬業館を見学する一行=姫路市林田町林田
https://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201810/img/b_11702636.jpg
幕末の勘定奉行で、後に造船所となる横須賀製鉄所を建造するなど日本の近代化を支えた小栗上野介(1827〜68年)の顕彰会(事務局・群馬県高崎市)が4日、小栗の妻、道子ゆかりの兵庫県姫路市林田町を訪れた。道子の父建部政醇が藩主を務めた林田藩の藩校や陣屋跡を巡り、そのルーツと人物像に思いをはせた。
顕彰会は地元住民ら約300人で構成。明治新政府軍に討たれた小栗の墓が建つ東善寺(高崎市)の住職で、顕彰会理事の村上泰賢さん(77)ら4人が訪れた。
ボランティアスタッフの案内で、藩校「敬業館」を見学。今は梅林が広がる陣屋跡では、復元図をしげしげと見つめ、約260年にわたって一帯を治めた繁栄ぶりに感心していた。
「後光が差すほどの美人らしく、これほどの歴史を背負ったお嬢さんが、(小栗の)奥さんだったのだと再認識した」と、村上さん。「関西では小栗の功績があまり身近でないと思う。お互いにつながっている歴史を広め合えたらいい」と話していた。(井上太郎)
神戸新聞NEXT 2018/10/4 19:57
https://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201810/0011702635.shtml >>70
大塚は割と家具贔屓やぞ
というかIREAと犬が嫌い 明治以降の三井が持ち上げた人だが、
彼程度なら他にも居るよね。 >>87
関係ない。徳川慶喜の謹慎以降は領地暮らしで移動してない。
現地の盗賊団が「あいつ、怪しいぜ」と通報したので、現地の新政府下っ端が拘束し処刑した。
竹中や大多喜みたいにさっさと西郷の所に出頭するか、榎本武揚や大鳥圭介みたいに徹底抗戦してれば助かったのさ。身の振り方が中途半端だった。 幕末動乱だけは何べん読み返してもさっぱり分からん
登場人物が多すぎる >>106
登場人物を把握出来たなと思ったら次にそいつら全員の変節ぶりを全て把握しなきゃならんからね。初期段階で死んだ人以外ほぼ全員変節してるのがまた面倒くさいw
でも興味がないと大変だけどわかっちまえばこれほど面白い時代はないよ 幕府の大阪移転は小栗の政策。このひとが生きてたら東京はなかったと思う。
興味深いのは、坂本と小栗がほぼ同時に惨殺されていること。
江戸城の無血開城の裏取引で殺された可能性が高い。勝海舟とは犬猿。
ちなみに坂本の暗殺も勝海舟が絡んでいた説が注目されてきている。
坂本は日銀のような組織を京都でつくる提案を松平春嶽にしていたところで殺された。
この二人が生きていたら日本の国は現在とは違っただろう。
江戸中心は解消されていた可能性がたかい。
大政奉還後は幕府との融和路線が坂本の方針だったから。
小栗ともどこかで関係を持った可能性が高い。日銀のような組織を作るとか
小栗も画策していたしね。埋蔵金の話しはここから来ている。 船中八策も小栗の影響がもろだし。金と銀の不公平な交換率を主張したのは小栗が最初。
ただ幕府の役人が袖の下をもらってたのがなんともね。こういうのを掃除したければ本社移転が効果的。
結局は維新で整理されたのは幕府上層部だけで、こういう連中はみんな生き残った。
勝海舟も江戸城の無血開城で土地転がしで大もうけしたヤツだし。
維新の上層部も西郷や桂がそこに手を突っ込んで掃除しようとしたら左遷された。
生き残ったのは手を握った山縣有朋のようなやつ。 >>111
社保庁の解体の時も同じだったな
消えた年金の一番の悪である
仕事より自分のことしか考えないやつや
仕事より組合ってやつほとんど残って再雇用 >>70
それ以前に、武将に興味ある人自体が居ないわw
好きな武将は誰ですか?
「はあ?おれヲタ違うから興味ない」
てのが9割と思うぞ >>114
今でも根っこのところでこういう連中が牛耳ってるからな。
勝海舟ってのはこういうグループと関係が深かった(高利貸しで儲けていた)
しかし、なぜ日本の国が黄金の国ジパングでなくなったかといえばこのときに莫大な金が流出したから。
つまり、こいつらは本当の意味での国賊だった。
もし、この金の流出がなければ、金をバックに紙幣発行ができたがそれができない。
よって、坂本や三岡八郎(由利公正)が天皇の権威をバックに紙幣発行(金融緩和)することを考えた。
小栗も同様の紙幣発行を三井と組んでやろうとしていた。埋蔵金てのはそのバックに金があるという発想から。
今となってはかなり進んだ考え方だが当時の世界常識としてはあり得ない。
結局はそれで国際的な力を得たければ領土拡張路線のようなことに走る必要があり。
敗戦へ向かうおおきなきっかけになっている。
小栗の再評価は非常に重要。坂本と勝海舟は最後は明らかに利益相反関係でそのままいけば小栗と近づく可能性が高かった。
坂本がつくった名簿には勝海舟の名前はなかったし。 キモっ!!! ><
小栗なんて無名のゴミ糞、知られてなくて当然なのに。
いちいち他県に乗り込んで大声で喧伝しやがるなんて、
まるで気違いキムチ野郎そのものだね。
恥を知れ!異常者どもが。 >>117
大阪出身の武将て思いつかないからなぁ
探せばいるんだろうけど 凄い病気にかかって廃人になるけど、元カノに
熊野の温泉に連れて行ってもらって治るんだよね。
感動したわ。 上野介っていう役職名と領地が群馬郡ってだけで生まれも育ち関係ないし、領地も見に来たことないんだろ
上毛カルタにも入ってないし(GHQに睨まれないようにだっけ?)群馬人にも正直マイナーなんだよね >>128
とっ捕まる前は群馬の知行地で隠居だけどそれまでは何の関わりもないに等しい
そもそもが知行地をきちんと把握してる旗本なんてのが殆どいないし、ましてや小栗はあの時期の幕重臣。知行地にかまってる暇ないわな
でも領民には相当親切にされたっつーんだから表沙汰にしないだけで色々配慮してたのかもね >>128
大名も江戸育ちが多くて田舎が嫌い
領地に対する愛着は薄い ■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年)
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年) 10年くらい前にNHKで正月に
岸谷五郎が小栗役でドラマやってたな 小栗は確かに先進的だったけど、幕府が潰れたから、
そこで終わりなんだよな。
後世に影響はない。 名前知ってる人の半分くらいは昔の埋蔵金番組のおかげかもしれない >道子の父建部政醇が藩主を務めた林田藩
維新時は、新政府側ね
甥の建部政世が藩主 >>120
パクリは無い。
源義経信仰→小栗判官の説話→小栗上野介
足利将軍家→三河の領地を弟に分与→松平に取られて部下になった吉良上野介一族 源義経が良いなら、関を通した富樫一族を見つけて、富樫を滅ぼした本願寺を潰さなきゃ。
それをしてないから小栗上野介の小栗判官信仰は、単に「家が有るから先祖を顕彰した」だけのこと。 だいたい、兵庫県神戸は幕府海軍兵学校で勝海舟や坂本龍馬の顕彰が盛んな場所だ。
行くなら三菱重工長崎に行くべきであった。 >>140
そうやって関東圏民にホルホルさせるためにパン屋の同業者組合が定めたのが「パン祖」だから
土着の関東圏民が「パン祖」を凄い凄いと言ってホルホルするのは「パン祖」発案者の狙い通りではある
しかしその手の「元祖」や「発祥」は関東圏や江戸幕府などの東京利権に忖度し過ぎてて気持ち悪いわ
あらゆる「元祖」や「発祥」が可能な限り関東圏民がオナニーしやすいように忖度して決定されている
「パン」そのものは織田信長も食べていた物だし
「イベリア半島のパン」を日本の長崎で改良したのが「カステラ」や「カスドース」であり
「カステラ」は普通に江戸時代初期から製造販売されてたわけでね
江戸時代にはカステラではない普通のパンの製法を掲載した書籍も流布していて
パン祖の江川ちゃんが焼いた「堅パン」が日本のパンの起源でも元祖でも何でも無いわけよ
むしろ江川ちゃんの「堅パン」は江戸時代の書籍のパンと比べても現在のパンとはかけ離れたパン
関東圏民を元祖っぽく擬装してホルホルさせる道具が江川ちゃんというだけで彼は日本初でも何でもない この「敬業館」って藩校は今はどうなっているんだ?
もし使われてないなら高校の名前として使っちゃえよ 藩校の成功率ときたらw 藩校でバカ学校なんてないだろ? 本当は日本の鉄道発祥も長崎なのに
開業という註釈付きで新橋横浜が盗んだ >>15
割と家柄いいな
小栗の嫁って大名の娘だろ >>155
世界最初も、
世界史で覚えるのはストックトン〜ダーリントン間ではなくて、
マンチェスター〜リヴァプール間の営業運転開始(1830)が優先 蒸気機関車の発明はリチャード・トレビシック
スティーブンソンは改良者 >>158
蒸気機関もニューコメンよりワットが有名。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています