【島根】古代出雲人のルーツ探る 猪目洞窟遺跡出土人骨、DNA解析へ 研究費支援、ネットで募る 東京いずもふるさと会
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猪目洞窟遺跡から出土した人骨=島根県出雲市の出雲弥生の森博物館で、山田英之撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/10/05/20181005oog00m010013000p/9.jpg
関東に住む出雲市出身者らでつくる「東京いずもふるさと会」(事務局・東京都港区)が、古代出雲人のDNA解析に乗り出す。出雲人のルーツを探ろうと、市内の遺跡で出土した人骨からDNAを抽出して調べるもので、インターネット上で研究費を募集中。「ふるさと会」の岡垣克則会長は「日本人のルーツに迫れるのではないかというロマンを感じる」と、支援を求めている。【山田英之】
出雲市猪目(いのめ)町の猪目洞窟遺跡からは1948年、弥生時代と古墳時代の人骨が出土した。「ふるさと会」は、人骨を所蔵する出雲弥生の森博物館(同市大津町)に協力を要請し、国立遺伝学研究所の教授らにDNA抽出と解析を委託した。人骨の保存状態は良好で、弥生から古墳時代への遺伝的変遷に迫ることが期待される。
この「古代DNA」研究を加速させるため、ネット上で資金を集めるクラウドファンディング(目標200万円)を9月に始めると、今月4日までに60万円を超えた。支援額に応じ、活動報告メールのほか報告会や古代遺跡ツアーへの招待などの謝礼がある。11月19日までに目標額に達しなければ、支援者に全額を返金する。その場合もDNA解析は行う。
12月に現地調査、来年11月に東京と出雲で研究報告会を予定している。出雲弥生の森博物館の担当者は「猪目洞窟遺跡に限らず、県内の別の遺跡や鳥取県内の遺跡から出土した人骨も調査してデータを蓄積してほしい」と話す。「ふるさと会」は2007年に発足し会員約450人。ホームページで支援方法を紹介している。
毎日新聞 2018年10月5日
https://mainichi.jp/articles/20181005/ddl/k32/040/358000c?inb=ra >>100
ちげえよw
三輪の大物主と伊勢の天照は同一神ってことだろ。 >>101
最近、5ch界隈でそういう話をよく見かけるが、元ネタは何なんじゃろ?
さておき、謡曲の「三輪」の主人公はお坊さんで、
テーマは仏教リスペクトなんだってば。
そも、この謡曲以外の史料で
> 三輪の大物主と伊勢の天照は同一神
と言及されているものがあるのかと。 >>102
まあ、仏教の影響がなくなったのって明治以降だからなぁ
今でこそ神道は神道のみになったが、
勘違いしがちなのは、これで神仏習合前に復古したと思ってしまうことなんだよね
神仏習合前の信仰形態なんて、不明点ばかり
不明な信仰を推測で造り上げたのが今の神道なので、
大して伝統もないし古神道を引き継いでもいない
韓国が観光とナショナリズム目的で韓屋街を作ってたけど、神道はあれと似たようなもの ほんとのこと教えてやろう
出雲の国譲りとは
縄文人が渡来人に国を譲った話
要するに出雲=縄文ってこと
それを証明してるのは出雲大社のしめ縄
これが縄文の蛇を表してる
だが出雲が縄文人だったかというとまた難しい問題
そもそも縄文人とはなんぞやって話になるが
とにかく出雲人は縄文人と仲良かったのは間違いない
その後渡来人に日本は征服されたって話 >>102
俺は調べてないから分からんが最近では天照は男神だったという説があるみたいだな。
大嘗祭の湯に入るときに天の羽衣を着るのは女装するということでそのあたりも関係あるのかね? >>105
大嘗祭の話は知らんけど、男説は筑紫申真「アアマテラスの誕生」(講談社学術文庫)だな。
それによると対馬の「アマテル神」が原型らしい。
んでもって、、延喜式の月次祭祝詞の研究によると、この祝詞のアマテラスに
関する部分の内容・形式は、明らかに後代の挿入なんだそうな。
つまり、そもそもの主宰神だった高木の神を上書きした存在だと
(溝口睦子「王権神話の二元構造」)。
>>103
まあ、本居宣長あたりが考えた「復古」ではあるけどねw
いずれにしても、今の俺らがありがたがって参拝しているのは、
明治政府によって半身を削られ変質させられた「神々の残滓」かも知れん。 >>105
天照は男神説は以前からあるよ
但しその説だと…
今回の大嘗祭はどうなるんだろか >>104
出雲における縄文文化を担った人々が弥生化したと考えれば良いのでは >>104, >>108
神話でも出雲国造はアメノホヒの子孫、つまり国を譲られた側の天孫族の
子孫だから、つじつまは合っているんだよね。
ところが問題は、各地に残る出雲族の痕跡も天孫族っぽくて、
古層の出雲が見えてこないこと。たとえば斐伊川の訛と言われる
氷川神社がある武蔵にしても、その国造は出雲国造と同じアメノホヒの
子孫なのだ(日本書紀)。
国譲りのときにタケミカヅチに負けて諏訪に逃れたタケミナカタにしても、
記述は古事記のみで日本書紀にも出雲風土記にも出てこないことから、
元々は出雲とは関係ないらしい。
これらから導かれるのは、「国譲り」というイベントに象徴される、何らかの形の
伝統の断絶があったという傍証だと思う。
「それ以前」に遡って言及する伝承はことごとく、「それ以後」に創作されたものだと。 >>109
タケミナカタが逃げた信州に安曇野があるところを見ると、北九州から海伝いに来た安曇が出雲を牛耳っていたのが追い出されたんだろうね
北九州は優れた製鉄技術を持っていたから、ヤマタノオロチの死体から天叢雲剣が出てきたのもその暗喩だろう >>96
隼人が大王の警備要員というのがそもそも大和朝廷側ではなかったなら
全て合致するんだけど隼人は出雲族とも関係なく別系統じゃないの? >>111
そりゃそうだ
隼人族は薩摩半島大隅半島と周辺島嶼の海洋民族 >>110
ううむ、どうなんじゃろ。
安曇族が祀った穂高神社には、御船祭とかいかにも海人族の
祭があるけど、諏訪大社の方は御頭祭のような狩猟民の祭だよね。
この二つの間はには、あんまり関係がない気がする。
>>111
隼人を持ち出した>>59は、ヤマト王権に征服された氏族が
畿内に移住した例として挙げただけだもんね。 淡路から大陸の銅銭を溶かして銅鐸にしてた形跡が残ってるのに、近畿にいた銅鐸文明が縄文人のわけねえだろ。
鉄の加工、蛇信仰、方墳これら出雲様式は完全に渡来系民族を示すもの。 >>112
やっぱり古代出雲族とは別系統だったか
あと沖縄は?
隼人とも別系統みたいだけどどうすんだろアレ たくさん別な勢力があったのに一つのものとして考えようとして余計難しくしてそう >>115
ふむ、すると逆にタケミナカタ一派は出雲土着の狩猟民で、安曇族はそのお目付け役として隣に配置されたか? >>114
俺は単純化はできないと思う。
弥生時代に日本列島にやってきた人らには、少なくとも2系統は居るんだよね。
一つはBC4〜5世紀頃に、呉越の滅亡に伴う民族移動の余波でやってきた人たち。
弥生文化における南方系の担い手だよね。トヨタマビメの話にあるように、産屋とか
月経小屋とか若者宿とか喪屋とか、やたらめったら単機能の小屋を建てたがる人たち。
たぶん隼人族の始祖。
もう一つがこっちは朝鮮半島経由でやってきた天孫族で、たぶん天皇家の始祖。
大家族−「ウジ」族−種族というようなタテの三段構造、軍隊体制・王朝制・氏族長会議・
奴隷制・氏族職階制・各種の職能集団(特に鍛冶職集団)を有していたらしい。
宗教はタカミムスビが至高神。
以上の出典は、吉田敦彦「日本神話の源流」(中公新書)
以上を踏まえて、おそらく国つ神というのは、後者の天孫族から見た「その他大勢」、
つまり前者と縄文人をひっくるめた概念だった気がする。 >>109
千家に高円宮典子さんが嫁に行ったけど、離婚危機の噂がw >>118
そいや、神武東征に着いて行った久米軍団は隼人なんじゃろか。
「撃ちてし止まん」というフレーズには、ケルトの戦士に通じる意気軒高を感じる。
>>122
その妹の絢子さんが結婚する相手が守屋さんというので、
もしや諏訪大社の神長官をやっていた守矢家の末裔かといろいろ調べたが、
どうも無関係のようだ。
高円宮による日本簒奪の野望とか、いろいろ妄想が膨らんだのだがw >>119
その通り
そう考えると難しくはない
今はかなりイジってるけどw >>112
海洋民族というと高い航海技術を持ち、
海沿い各地に文化を伝播させていく民族だが、
隼人はそうなのか? 卑弥呼の名前すら出てこない記紀に信憑性などないし、神話の口伝は半島からの渡来人がもたらしたもの。
神武なんてのは半島にあった倭国からの渡来民
天智みたいなクーデター起こした奴が万世一系に改竄し後世の支配口実に作り上げただけのこと >>118
>>125
隼人族の遺跡からは沖縄でしか生息しない貝が出土している
沖縄といつの時期分裂したか分からない
>>123
旧加世田市には久米さんという家があるようです >>117
1行目は全く同意だが、2行目の蛇信仰は異論ありだな。
諏訪のミジャグジ神とか東京の石神井川に痕跡が残る縄文の神は蛇だし、
常陸国風土記に出てくる、農耕民と争う土着の神「夜刀神」も蛇だし。
>>127
加世田といえば、「久米」と墨書された土器が出た場所だよね。
名字も残っているのか。 >>126
神武は出雲出身という説もあるぞw
出雲の主導権争いに負けて一旦宮崎に逃れ東征を図った。 出雲神話は色々発掘される前は100%作り話扱いだった
で、出雲系の豪族もインチキ扱いさせて研究が進まなかった
何にせよ決め付けは良くないね >>129
宮崎と書かれちゃこのコピペを貼らなきゃね
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>131
>続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
そんなん誰でも認識してないか?
西都原古墳郡はどないやねん?
てか、大型内行花文鏡が出てんのは北九州やけどなw 西都原の古墳は時期的に2つの山がある
後期の方は大和朝廷による植民後
だから様々な様式がある >>131
美々津に残る、神武東征出発の地の伝説はバカにならんぞ。
「腰掛岩」とか「立ち縫いの里」とか「起きよ祭」とか「搗き入れ団子」とか、
微妙に胡散臭い雰囲気が漂うあたりが素晴らしいw
しかも「美々津」という地名が良い。魏志倭人伝を見てもわかるように、
各国の長官や副官の名前に「ミミ」が入っているし、
それは神武の子孫にして同様なのだ。 大和朝廷のもととなった村は出雲からの避難民の村に隼人族が傭兵兼婿で入り込んだと思うけど
出雲とヤマトの繋がりが今ひとつまとまらない
出雲国風土記を読んでるけど進まなくて >>132
もちつけw
この>131だと隼人が侵略者になってしまう矛盾w
卑弥呼とも無関係 >>135
宮崎の海岸線は海洋民族にとってダメな地形
美々津は地形から言って船出する地として不適
ただ他はもっとダメなので昭和になって紀元2600年の行事ででっち上げられた >>139
だから紀元2600年の行事ででっち上げられたんだよ >>127
隼人が海洋民族で高い航海技術を持っているのなら、
その水軍力は凄いのだろうね
水軍で朝廷を苦しめ、朝廷に屈服したあとも水軍力で貢献したのだろうな
そうでなければ海洋民族とは言えないし >>136
それは隼人じゃないな
日向族が大和朝廷に合流
海彦は隼人ではなく無関係と言われている所以 >>138
いやいや、たしかに紀元2600年奉祝事業で美々津に決まったけど、
>>135に書いた伝説や旧跡や祭なども、その時にでっち上げられた
わけじゃないぞ。そういう土地だから「比定」されたのだ。
まあ、それらの伝説がいつ成立したのかと聞かれたら、そこはそれだがw
なお、美々津自体は天然の良港で、昔から栄えた所なのだ。
雰囲気としては瀬戸内の鞆の浦みたいな感じ? さすがに出雲と無関係なレスは避けねばと思う
>>142
大和朝廷の祖に海洋民族と出雲人が混じっているのは記紀を見れば分かる
日向族と唱える人もいるが証拠が全くない
邪馬台国まで持ち出す人もいて根拠不明なのによくやる
海彦は南方海洋民族の説話に当てはめたもので実在の人物とは思えない
実際に日本書紀に記載されているのは阿多隼人 >>148
そいや昔、大宮に出張して街中を歩いていたら、
出雲会館という建物があって、「おお、出雲族の痕跡が!」と
感動したこを思い出した。
実は単なる結婚式場だったんだが、昔は俺も無知だったw >>147
海彦?
日本神話でねつ造はやめて下さい
記紀のどこに海彦なんて名前が出てくるの?
読んだことないんでしょ?
吾田隼人は十分南洋族ですよ 猪目
猪、イノ、イネ、イン、殷、
日本海側に稲作が広がる時期は、殷の滅亡時期に被る
陶塤も宗像以東、日本海側に分布 杵築大社の天井図。なぜ八雲が一つ欠け七つしかないのか? >>154
じゃあ既知じゃないことを書いてみろよ。 >>150
やあ申し訳ない
>>142に書いてあったのをそのまま書いてしまった >>154
既知の反対は未知じゃなくて妄想w
>>157
ユング翁いわく、神話とは集合的無意識の表出であると。
てな説を手放しで信じているわけではないが、何かしらの真実は
含まれているのではなかろうか。 出雲が八雲の地にあるのが不思議
雲から出たなら他所に移っているはず
イズモ、イズミ、似ている 画文帯神獣鏡出土数
湖北省(長江中流域)86枚、浙江省(長江河口域)46枚、
福岡県4枚、熊本県7枚、宮崎県10枚、岡山県6枚、香川県8枚、
兵庫県11枚、大阪府16枚、京都府15枚、奈良県24枚、千葉県4枚
弥生時代鉄鏃出土数
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3 >>136
それは隼人じゃないな
日向族が大和朝廷に合流
海彦は隼人ではなく無関係と言われている所以 昔、家族の知り合いの島根出身者が帰省の土産に「もみじ饅頭」をくれたんだけど、
あれは広島の土産だったんだな。 九州北部王朝は手漕ぎの大型船を作る技術もあり鹿児島まで海洋移動してるし隼人なんて呼称は近畿が勝手につけただけ。
日本の万世一系に祀り上げたい天皇の祖である神武を国内出身に偽装しただけだろ。 >>128
すいません、あなた詳しそうだから質問させてください。
四国の越智国についてはどのような見解でしょうか?
いつどこから来たのか、倭国との関係性など何かご存知であれば示唆いただきたく。
かなり古い時期に日本に定着して栄えていると思われますが、
その後の空気っぷりなどよくわかりません。 在日韓国・朝鮮人は単なる「不法入国犯罪者」です。
戦後の混乱で強制送還できず、しかたなく「朝鮮戦争の難民」という扱いで
特別に在留を法的に許可してる状態です。
つまり、朝鮮戦争が終結すると祖国へ帰らなければならないのです。
日本政府「「在日61万人中、徴用者は245人、あとは勝手に来て住み着いた者」で間違いない」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1525094153/
在日韓国人3世に「永住権」なし 日韓基本条約で受け入れ義務なし
http://www.thutmosev.com/archives/57555487.html >>167
すんません、ぜんぜん知らんw
「宗像教授伝奇考」だかに、神戸で鉄人が発掘される話があるけど、
あれの元ネタの「予章記」が越智氏がらみだよね。
百済から鉄人が攻めてきたとき、越智氏の先祖が鉄人の足を射抜いて倒した話。
>>159のユングじゃないけど、なんかギリシャのアキレスと混ざってるw もうSNP解析まではやってて
弥生人つっても地域で割と違うからなあ 長崎と天草と鹿児島は元は海洋民族
福岡の沿岸も安曇族(海人族)の居住地
隼人は海人と同音同義 九州北部王朝に後に隼人と呼ばれる安曇とか和邇の様な特定の船舶移動専任の部が存在し、荒波を掻き分け梶を漕げる屈強な腕力を持ち得た集団が存在したんだろ。
彼らは同時に武力集団でもあり、半島各地を攻め入りその腕力に敵う敵は稀有だったろう
それらの一派を大和は隼人と呼び血縁を迫りその長一族を暗殺し配下を取り込んだんだよ
後に外交職に就く小野妹子などはこの系に属し春日性等名を変え一族は大和での要職に組み込まれていったんだろう。 「阿曇(あずみ)」の「阿」は、「阿呆(あほう)」の「阿」。 天孫降臨とか蛇とか
もうまんま古代の宇宙人だよなぁ
天地災害で地下空洞に潜ったのか、故郷の星に還っていったのか 纒向遺跡の外来系土器の主体は、東海と山陰
尾張と出雲の勢力が手を結び、近畿地方を征伐してヤマト政権を打ち立てたんだろうね
邪馬台国の官の筆頭、伊支馬
出雲地方にはこれと同じ名前の神、生馬神が祀られている
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている
出雲風土記には、生馬神の子が、もう荒ぶらないと言ったとある >>7
その当時チョン半島には、お前等は居なかったんだよ。
日本人が居たんだよ。 >>175
東海と山陰に共通しているのは、安曇族の関係地であること
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
地図で見ると、本拠地の志賀島から日本海ルートは出雲を経て近江、さらに岐阜、愛知と東海へまるで畿内を迂回するかのように進出している
瀬戸内海ルートは淡路島まで進出し、この地図には載ってないが難波にも安曇江がある
淡路島の弥生時代の鉄工房は技術的に北部九州の系統であるらしいので、志賀島を本拠地とする安曇族が持ち込んだのだろう
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
中略
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
これで淡路や近江など至近距離に鉄工房があるにも関わらず、畿内の弥生末期〜古墳初頭の遺跡から鉄製品がごく僅かしか出土しない理由の説明がつく
当時は安曇と畿内はまだ別勢力だったというわけだ
畿内は当初安曇族の進出を拒んだため、安曇族はこれを迂回して包囲するように勢力圏を拡大してゆき、畿内の鉄製品が増える4世紀頃には
畿内勢も安曇を受け入れざるを得なくなっていたのだろう
隋書に倭国の王姓は阿毎氏とあるが、隋の使者に対して海人(アマ)の出自だと名乗ったのだろうな 世界最高、最強の日本人のルーツが大陸人と同じとは思えない
ノーベル賞の数、国連民度ランキングなどなど
やはり根本的に遺伝子の質が違うのではないか 弥生時代の淡路島にも池上曽根遺跡にも鉄工房跡があるやろ
嘘はあかん >>53
もうおまエラわけわかんなくなってるな
とりあえずすべての元凶になってる朝鮮人と中国人を駆逐すればいいんだろ
そこに左翼も右翼も、与党も野党も関係ない。
とにかく害虫を排除するのみ。 >>179
脊髄反射する前によく読め、鉄工房が無いなんてどこにも書いてないぞ
鉄工房があるのに鉄器が無いと書いてるんだぜ
纏向から鉄器がほとんど出てこないのは紛れもない事実
となれば鉄工房を持っていたのは別勢力側と考えるしか無いんだよ >>148
相模の国の一宮、寒川神社の寒川は、古代朝鮮語「サガ」が元で
意味は「社」「私の家」っていう説もある
あの場所は縄文時代くらいから聖地だったとは思うけど 古代朝鮮語起源説はゴミ。どうせならもっと面白い作り話を考えろよ、低能。 >>181
他の地域に全て売ったので在庫がありませんってことじゃ? >>183
じゃあ自分で紀要程度でもいいからなんか書けば?
東中野みたいなに大敗することになるだけな気がするけど >>182
寒河江もそうだよね。
でも俺は、古墳寒冷期の気候を表した地名だと思っている。
氷川については>>109で書いた斐伊川由来説とは別に、
「水が冷たくて冬に凍るから氷川」という文献もあるのだ(氷川本紀)。
寒川神社にしても元々の祭神は寒川比古命で、出雲とは関係ないし、
やっぱりy単純に寒かったと考えても齟齬はない気がするのだ。
さらに海を渡った下総の一宮も寒川神社で、寒流の影響も見えてくる。
つまり、関東の麦作地帯は、低い水温で稲の導入ができないから麦を作ったと。
これには傍証もあって、古事記の安閑紀には関東で「多氷」の屯倉というのが出てくる。
通説では「多未」の誤記として多摩に比定しているけど、さすがに牽強付会じゃなかろうかw
>>184
こっちの説も有力だよね。
真弓常忠「古代の鉄と神々」(学生社)では、八岐大蛇退治のときにスサノヲが使った剣が
韓鋤剣(からさひの剣)だったことから説き起こして、
サヒはサブ、サビ、サムとも転訛し、寒川・寒田という名の神社や、寒河江・祖父江の地名も
これに由来する。賽の神といのも本来はサヒ(鉄)の神の意であった。雑賀、才賀、
造賀、草加、相馬もそうであろう >>190
あ、途中で書き込んじゃった。
最後の
> サヒはサブ、サビ、サムとも転訛し、寒川・寒田という名の神社や、寒河江・祖父江の地名も
> これに由来する。賽の神といのも本来はサヒ(鉄)の神の意であった。雑賀、才賀、
> 造賀、草加、相馬もそうであろう
は真弓さんの本の引用ね。ただし、俺自身は限りなく眉唾だと思っているw >>182
おいおい、古代朝鮮語って言ったとたん、いきなり胡散臭くなったぞ。
さて、出雲の研究は謎だらけだ。文献上では特殊な立ち位置を持った文化だし、
考古学では長らく発掘が進まず、謎のベールをかぶったままだった。
少し時代が進むと、いきなり銅鐸や銅剣が信じられないほど大量に出土。謎はさらに深まってしまった。
パンダムキ遺跡や青谷上寺地遺跡の巨大弥生遺跡も出雲との関係で謎だし、
古墳は前方後円墳直前に四隅突出型墳丘墓がここだけで流行した。これも謎。
魏志倭人伝でも言及がなく、キビやワカサと同様、イズモも謎の場所。
どうも若狭方面とは日本海交易の交流があったようだ。いっぽうで、朝鮮と明らかに違う。
もう、堀まくるしか今後の解明の展開は期待できない気がする。謎だらけで困っちゃう。 何が古代朝鮮語だ
古代朝鮮語など、殆ど分かってねーつの >>190
いや、寒川神社が出雲と関係があると言いたいわけじゃ無かったんだ。
高座郡とか武蔵とかは渡来系の歴史で見ていくと面白いよね
大磯の高麗山からの歴史とか興味深い >>196
おお、これは申し訳ない。
久々の歴史スレが嬉しくて、はしゃいでしまったw 出雲地方で元々オオナムチ以前に信仰されていたのは、姫神の幸神、東!から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコらしい。
銅鐸の分布の中心は淡路島辺りだし、古くから畿内と交流があったんじゃないかな。 >>177
北九州〜出雲〜北陸〜東北
と、日本海沿いに縄文時代から交流があるんだよね
海人たちが連合国家を築いてそれが海洋国家日本の土台になっていったとするとロマンがあるな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています