延喜式 出挙稲数

畿内 2,087,126
  山城 424,070
  大和 554,600
  河内 400,954
  和泉 227,500
  摂津 480,000

西海道 5,990,581
  筑前 790,063
  筑後 623,581
  豊前 609,828
  豊後 743,842
  肥前 692,589
  肥後 1,579,117
  日向 373,101
  大隅 242,040
  薩摩 242,500
  壱岐 90,000
  対馬 3920

鬼頭氏の推定人口は奈良時代の大和だけやたら人口が増えて、
平安時代になると1/3程度になるという変な数値になっていますが、
延喜式出挙稲数の1/4弱というのが大体の人口になっています

鬼頭氏は肥後国は少なめに推計していますが、
畿内と同じように1/4弱と推計すると
肥後国の出挙稲数は1,579,117 なので、
1/4すれば40万弱ということになります

邪馬台国7万戸4人家族で28万人だと、肥後国は
少なくとも奈良時代の人口推計でも、十分に余裕を持って
養える生産量だということになりますね。


また、鬼頭氏の奈良時代の大和国の人口は33万となっていますが
後には13万人にまで下がります
奈良時代は平城京で人口が増えましたが、
本来の生産能力はこの程度だったのでしょう

また、他の地方も延喜式出挙稲数の1/4弱となっており、
本来の大和国の生産量は13万人程度の生産量であることがわかります