>>831
>これ大和政権の勢力範囲を唱えてるつもりなのかな?w

弥生時代後期に入ると同時に、「大和+河内〜環大阪湾の範囲」の土器様式が、
畿内第V様式土器で統一される
それまでの地場の土器が使われなくなることから見て、上からの政治的統合があったと考えられる

これを雛形として、古墳時代に入る時期に、庄内式土器、布留式土器の2段階で
倭国の主要な地域の土器様式が畿内様式土器で統一される
このときにも、それまでの地場の土器が使われなくなっており、政治的な統合が背景に想定される

この畿内様式土器を使う地域は、そのまま古墳時代草創期から最初期に前方後円墳(纏向型を含む)を
作り始める地域であり、これがそのまま倭国の範囲と考えられる

そして、その統合の中心は明らかに畿内にあり、その時代の大陸史書の記録に
邪馬台国=ヤマト国と書かれている以上、特にむつかしいことを考えなくても
邪馬台国は畿内であるのはよほどの偏屈でもなければ素直に理解できること