隋書倭国伝

俀国在百済新羅東南水陸三千里於大海之中 依山島而居 
魏時譯通中國三十餘國 皆自稱王 夷人不知里數但計以日 
其國境東西五月行南北三月行各至於海 地勢東高西下 
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 
古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里在會稽之東與儋耳相近 

倭国は百済、新羅の東南、水陸三千里の大海の中に在る。山の多い島に居住している。
魏の時、通訳を介して中国と交流したのは三十余国で、みな自ら王を称していた。夷人(倭人)は里数を知らない。ただ日を以って計算している。
その国境は東西は五ヶ月行、南北は三ヶ月行でそれぞれ海に至る。地勢は東が高く西が低い。
邪靡堆を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺である。
古には、楽浪郡境(後漢書、この頃帯方郡は存在しない)及び帯方郡(魏志)から一万二千里離れていて、會稽(郡)の東にあり、儋耳に近いと言われていた。

『邪靡堆を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺である。』

http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/zuisyo/zuisyo_wa.htm


隋書では大和は魏志の邪馬台だとはっきり書いてるんだよな
文献的資料としてはこれ以上のモノは無い
だが九州説はこれを完全無視する