【佐賀】邪馬台国はどこ? 吉野ケ里で考古学フォーラム 「環濠集落、九州では増えるが、近畿では無くなる」「奈良盆地が有力地」★5
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畿内や九州の遺跡の出土状況、邪馬台国の所在地について意見を交わす(左から)高島さん、橋本さん、白木さん=吉野ヶ里町の吉野ケ里歴史公園
https://saga.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/-/img_355bfa836e3febe15b4d065d941324f2726748.jpg
邪馬台国について考えるフォーラムが7日、吉野ヶ里町の吉野ケ里歴史公園で開かれた。近年の考古学研究成果を基に有力候補地について意見を交わした。
福岡県久留米市文化財保護課長補佐の白木守さん、奈良県桜井市教委文化財課長の橋本輝彦さん、佐賀女子短大名誉教授の高島忠平さんが講演した。九州説では墳墓や山城、集落などを、近畿説では弥生土器の編年と古墳の規模・形状などを根拠とすることを説明。決め手となる文字史料が見つかっていない点も言及した。
中国の歴史書、魏志倭人伝に記された邪馬台国の集落について「環濠(かんごう)集落を思わせるが(卑弥呼の時代に)九州では増えるが、近畿では無くなる」と高島さん。白木さんが「卑弥呼の居住地であれば環濠はあってしかるべき」とする一方で、橋本さんは「同一様式の土器が大量に使われ、一つの水系に位置する点で奈良盆地が有力地」と答えた。
フォーラムは同公園管理センターと県立博物館が、開催中の特別企画展「よみがえる邪馬台国 倭人伝の道6」(11月11日まで)に合わせて開き、約130人が聴講した。
佐賀新聞 2018/10/10 09:26
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/286932
★1:2018/10/10(水) 17:12:04.17
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1539323885/ >>825
詐欺師の論法はお前
>位至三公鏡の中で新しいものが晋代にあるから
ほらそうやって捏造を始めるw
>>655をもう一度じっくり読め
> この表のものに、さきにのべた「洛陽晋墓」出土の八面の「位至三公鏡」を加えれば、年代のほぼ確定できる十二面の「位至三公鏡」のすべてが、
> 西暦285年以後に埋納されたものといえる。すべて、西晋時代のものである。
と書いてあるだろ
全て西晋時代とかいてあるんだが読めませんかね畿内詐欺師くんw >>803
>埋葬者が亡くなった日や
それ、太陽信仰でもなんでもないなw >>843
誰が編纂しようと、編纂者は自分の目で見たわけではないからな
倭に行った使者の書いた報告書をそのまま書くしかない >>682
末廬国と伊都国の国境から南東へ100里(8km)、東へ100里(8km)だから
倭人伝の記述によると内陸にしかならない
那珂川町、春日市、大宰府市、大野城市方面だな
ここから海へは出られない
水行20日は、はじめに戻って帯方郡からの日数だ。 >>814
天孫降臨の伝説もあるんよ
伊勢志摩の信仰は2000年前からと言われてるけど
言われてるだけで実際に伊勢志摩が明記されるようになったのは大和政権後
なのにもっと前から信仰があるのは不思議よね
九州の志摩から信仰が移ったと考えるとしっくりくるw
ちなみに九州の天孫降臨説は高千穂にもあるけど
本当はもう少し北の大分にある二見ヶ浦が関係してる可能性も?
二見ヶ浦と二見ヶ浦で天孫降臨
太陽信仰してる時代ならかなり重要だった可能性も
ただ大分の二見ヶ浦はいつからあったかは自分は知らないwww
ここらを邪馬台国と言われる地なのかもね >(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。
ってあるわけだから水行だの陸行だのにこだわる必要ないのか
帯方郡〜対馬 7000里
対馬〜一支国 1000里
一支国〜末盧国 1000里
末盧国〜伊都国 500里
伊都国〜奴国 100里
奴国〜伊都国 100里
伊都国〜投馬国 (水行20日)
投馬国〜邪馬台国 (水行10日陸行1月)
で
帯方郡〜邪馬台国 12000里
だから
伊都国〜邪馬台国 2300里
ってことになる
でいいのか
そうなると完全に熊本あたりだなやっぱ 日本書紀に出てくる飛騨の頭が二つ胴が一つの怪物
建御名方だろうな
タケ美濃方
二つの顔はスサノオとアマテラス
恐ろしい話だわい >>852
なぜそうと言い切るの?
お前はさっきから決め付けばかりだな >>87
だから、日・巫女じゃないっての。
文字が無いから、巫女にはならんての。
後世の漢字当てはめた常識で考えちゃだめだわ。
男の王、〇〇ヒコ(日・子)に対して、ヒミコなんだから、
ヒミコじゃなくて、ヒメコ(日・女・子=日の娘)だね。
おまいさんの言う、天照の別名にも「メ」が入ってんだろ? >>836
その文でも海岸水行となっているように、海の水行には必ずそこが海であることが分かるように書かれる
特に説明がない場合は河川 以前のスレにもあったが、中沢新一は九州にあったヤマト王権が3世紀前半に大和に移ったと書いてるな 応神が鋼鉄ジーグなんだよ
俺がやらなきゃ誰がやるんだ まだやってたのかwww
じゃあ、近畿と九州の中間で岡山にあったということで決着しよう
邪馬台国は岡山! さっさとタイムマシン完成させて誰か見て来いよ
来世まで行っても特定されねーだろこれ 弥生時代鉄鏃出土数(鉄鏃とは鉄製の矢じりの事)
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
この中でも福岡県、大分県、熊本県の出度数が抜きん出て多い
弥生末期の倭国は邪馬台国連合(福岡、佐賀、長崎、大分)と邪馬台国の南にあった
狗奴国(熊本)が対立していたからこう言う数字になった訳だ 吉野ヶ里よりでかい遺跡なんて出てないからほぼ決まりだろ
金印に固執しすぎ 魏志倭人伝(発行は280〜297年の間)「其南有狗奴國」
後漢書東夷伝(発行は432年以降)「自女王國東度海千餘里至拘奴國」
これが気になる
あと隼人は宮門の警備で犬吠をして犬人・狗人と呼ばれたそうだが
それは狗奴国の「狗」に通じるのではないか >>851
後漢晩期ってのもあるけどこれは位至三公鏡じゃないのか? >>864
可能性@
軍事機密だから、正確な情報をやっていない。
可能性A
川船を牛車で引いてたから、そのぐらい掛かったw >>867
「おかやま」の「やま」は邪馬台国の「やま」? >>815
>史記に書かれる水行は夏王朝の祖である禹の業績の中にあるが、夏王朝の領域は海に面しておらず
もうその話はさんざんやったんだよ
三国志以前の水行、陸行は、地理旅程記事では一切使われていない
禹堙洪水十三年,過家不入門。陸行載車,水行乘舟,泥行乘毳,山行則梮,以別九州
禹の治水の活躍を述べた部分で、陸、水、泥、山を行くときのことを書いてあって、地理、旅程記事とは無関係
孟賁水行不避蛟龍、陸行不避虎兕
孟賁(人名)が水を行くときは蛟龍を避けず、陸を行くときは虎兕を避けず
孟賁の勇猛さを述べる文章で地理、旅程記事とは無関係
三国志以前のものはこんなのだけ
三国志で、陸行○日水行×日という表記を、地理旅程記事に使うことが考案されたんだよ >>877
現在はオカヤマだけどあそこはキビだから 銅鏡は当時のトレンドアイテムらしいけど、九州からの出土数は少ないんだね。
ひょっとして、北部九州以外は鎖国していたの?(´・ω・`) >>851
百歩譲って位至三公鏡が全て西晋時代だとしても三角縁神獣鏡が4世紀という根拠はない
東遷説にとって3世紀の鏡は邪魔だから詐欺師の論法で4世紀にしたいだけな >>827
見える必要なくね?
方角があってるだけでよくね? https://i.imgur.com/OsqQKcB.jpg
やっぱり奈良やろう
稲作には水利が不可欠だ
奈良は湖は氾濫の心配も少なく、水が使い放題
河内までいけば魚が取れ放題でタンパク質もある
治水技術の未熟な時代には圧倒的に有利な地形だから
人口も増加したんよきっと >>874
>年代のほぼ確定できる十二面の
って書いてあるだろ
それ以外の全ての例を含めてでも後漢代はその一枚のみでしかも晩期
それより新しい三角縁神獣鏡は4世紀になることに変わりはない >>822
>実際はヤマトなんて地名は北部九州だけで数カ所もあるありふれた地名
北部九州のヤマトは全部小さなローカル地名で、都があったと考えられるようなのはないだろ?
都が置かれたヤマトは畿内大和だけだよ >>873
最初からこれが正解なんだよなぁ
新羅と九州で鉄の同盟があったんだろうな
新羅の坊さんが草薙の剣を盗もうとしたのも理由がありそうだな >>859
帯方郡〜狗邪韓国 7000里
狗邪韓国〜対馬国(北岸) 1000里
対馬国(北岸)〜対馬国(南岸) 800里
対馬国(南岸)〜一支国(北岸) 1000里
一支国(北岸)〜一支国(南岸) 600里
一支国(南岸)〜末盧国 1000里
末盧国〜伊都国 500里
伊都国〜奴国 100里
合計12000里
帯方郡〜投馬国(狗邪韓国) (水行20日)
投馬国〜邪馬台国(伊都国) (水行10日陸行1日(月)) >>878
紀伊、紀の国が木の国由来とは今回勉強になった
製鉄に関わるかなり重要な地やん >>823
>畿内説はスタップ細胞と同じ循環詭弁を使うよな
島巡り仮説と短里が、循環詭弁の代表なんだがどちらも九州説だよ?ww 「水行10日陸行1月」っていうのだけだな近畿説の武器は
んで調べたら
>そして、その具体的な里数が後世の宋代(420年?479年)に范曄(はんよう)の『後漢書』の誤認等が原因で、あいまいな日数に書き換えられたと考える仮説です。
っていうのが出てきた
これで納得できる
ちなみにこれ>>859
帯方郡〜対馬 7000里は8000里の間違いだったんで
伊都国〜邪馬台国は1300里でした >>763
平原王墓を発掘した時に棺が日向峠の方を向いてたって
報告があった気がする。 新説
邪馬台国は主に二つあった
一つは男が支配する畿内邪馬台国
一つは女が支配する九州邪馬台国 >>879
>三国志以前の水行、陸行は、地理旅程記事では一切使われていない
でも、その水行とは川でした、と
水行という語は既にあり、それは川での移動をさしていたと
陳寿の造語じゃないんですよ畿内詐欺師くんw
じゃあどうして陳寿が勝手に語義を変えたなんて珍説を唱えてるんだね畿内詐欺師くんはw
海の移動に水行を使う場合は必ずそこが海であることが分かるようにしか書かないのはどうしてなのかくらい考えれば恥をかかずに済んだのになw >>824
>度一海の意味分かってんの?
>海を渡るじゃねぇんだぞ?
お、おもしろいネタに行き当たったかな?
世間では、さんずいのある「渡」となしの「度」はどちらも「わたる」と訓むんだが
>>824の「度一海」の読み下しを教えてもらえるかな? >>865
ないない。
魏志倭人伝の、みじめな邪馬台国
三世紀初頭の倭国大乱で、王(が殺され)を女にすることを条件に
存続が許された、みじめな倭国盟主、邪馬台国。
もう覇権を完全に失った、名目上の存在。
卑弥呼の死後、男が王位に付いたら、また同じ憂き目に遭ったw
滅びる直前の姿。
朝貢秩序が崩れた4世紀前半、奈良に滅ぼされた。
奈良に移ったのではなく、滅ぼされ、その権威を簒奪された。 >>839
自分は九州説だけど
これは斬新で面白いね >>885
つまりおまえは前言撤回ってことだなw
系統の違う三角縁神獣鏡以前を根拠もなく4世紀と言い張ってるだけだな
詐欺師確定 物部が商人だったのは確かだな
大和物産を立ち上げて出雲商社に対抗してたと 渡一海
海を渡る
水行
海岸線に沿って船で行く
こんな感じちゃう >>828
>阿蘇山は山の一般名詞だと言うくせに
そんなことは言わないよ?
関東・畿内から九州まで倭国なんだから、倭国に阿蘇山があっても何も問題ないだろ?
阿蘇山のある九州も大和朝廷の統治下にあるってだけじゃん? 古代、朝鮮半島と交流が深かった山陰地方
弥生時代の山陰地方。特に出雲、伯耆は、今と比較すると海が今の陸地の奥まで
食い込んでいる
船が大きな交通手段だったわけだし、伝説でも神様がやたらと船を使っている >>899
何一つ撤回しないが何の妄想だ?
位至三公鏡が西晋鏡なのは出土枚数の差を見れば歴然
それより新しい三角縁神獣鏡は4世紀でしかない
位至三公鏡と三角縁神獣鏡の時代関係は共伴する土器などの年代で決まっているから鏡の系統なんて関係ないんだよ畿内詐欺師くんw >>893
さっきから書いてるけど、
日が登るのが10月22日で
夏至冬至春分秋分でもないから、
太陽信仰じゃないと決め付ける奴いるんだよね >>902
鉄も文字もないほうが統治下に置いてるとかいうより
阿蘇山が見えるとこが普通に都だろ 帯方郡(南岸)〜狗邪韓国(南岸) 7000里
狗邪韓国(南岸)〜対馬国(北岸) 1000里
対馬国(北岸)〜対馬国(南岸) 800里
対馬国(南岸)〜一支国(北岸) 1000里
一支国(北岸)〜一支国(南岸) 600里
一支国(南岸)〜末盧国(北岸) 1000里
末盧国(北岸)〜伊都国(末盧国と伊都国の国境線) 500里
伊都国(末盧国と伊都国の国境線)〜奴国(伊都国と奴国の国境線) 100里
合計12000里
女王国とは伊都国と奴国の国境線 >>886
4世紀、奈良の号令で徹底的に破壊されてるから、
重要な地名に残せるわけがない。
その後、奈良が「やまと」を名乗ったんだから。 >>822
ヤマトは北部九州全体を指す地名であったのです
それが北部九州の各地に残っている。 スタップ細胞でフェーズが変わったんだよ
電通カルト系煽りって権威主義なんだけどさ
あの理研がスタップ推しだからって煽っても
なら理研がダメじゃないかってなるだけなんだよ
あれから理研は落ち目
考古学会がどの程度権威から知らんが
それこそゴッドハンド起源とされてるだけ >>896
度は境界にいたるって意味だそうだ
温度とか尺度とかにも使われる、あそこの意味は
海を1000ちょっといくと對馬國に着くって意味
俺も昔はどこの訳読んでもそう書いてあんじゃんと言ったら
それは中国語知らない人達が書いた
間違いと教えられた、他の使い方聞いたらなるほどと納得した
これは余談だがあつ書家のせんせは古代中国では
同じ水を表す海と渡るが続くときは渡るのほうのさんずいを
省くことが多かったとも教わった
でもこれはあんまし納得できんかった
以上だ信じるかどうかはお前の勝手 水行は、瀬戸内海やな
中国地方なんか、地形みれば分かるけど、あんなとこ歩けない
山が海まで迫っているし、道も無かったろうし、船の方が速い >>833
>邪馬台国の時代にはすでにあった
岩はあっただろうが信仰対象とはされていない 倭を以てヤマトとせよと言った聖人が居たのかねw
どうも暗殺されて背乗りされたっぽい >>834
>熊本から九州北部までが邪馬台国で
それだと投馬国はどこ?
九州説は邪馬台国をどこに持って来ても、投馬国の比定地で詰むんだよ >>911
それ桜井神社を福岡藩二代目藩主黒田忠之公が創建したんでしょ
二見ヶ浦は? >>913
歩けないから船を使う
っていうより
船を使えないところを歩く
っていうのが基本な気がする特に古代は
そう考えると川が広い場所は船で移動したんじゃないかと 奈良なら森羅万象なにか後世になっても「これ奈良じゃね」とわかるような記述が
あってもよさそうなもんだがなーんも無い 滅ぼした奴等が書物は全部燃やして近畿で王を名乗ったんだろ、どこだかわからんよ >>904
>位至三公鏡と三角縁神獣鏡の時代関係は共伴する土器などの年代で決まっている
詐欺師の論法を繰り返してるwww
伝世も考慮してないし、仮に伝世がなかったとしても、その理屈が成り立つのは三角縁神獣鏡の最も古いものと共伴する場合のみ
無理筋の屁理屈だよ 奈良は3世紀以前の出土物がほぼない
九州説で決まりだな >>864
水際やから陸路だと小さな沼や池でかなりの遠回りを強いられたのかもね?
ジグザグしてたら方向もおかしな事になるだろし
だったら水路の川っぷち頼りに上るのが一番って事かな? 魏志倭人伝の記述では不彌國は内陸なんだから不彌國から水行なんて不可能なんだよ。 大雑把に言えば、
倭国大乱は
日本海側の朝鮮半島系渡来人&縄文系の狩猟民
vs
畿内の中国南東部系渡来人&稲作に親和的だった縄文系勢力
という構図かな >>875
自分もそう思うwww
でも神々の時代から日本建国までの話題を
邪馬台国って謎だけでみんながあれこれ考えるのはとてもいい事のようにも感じるな >>921
その頃、日本には書物なんてないよ
だから、魏志倭人伝なんて海外の書物に
頼るんだろ 奈良なら途中昼寝して糞しても陸行三日もあれば到着するで >>848
旅程記事で、特定の川を移動するときには
「泝漢水」のように書かれるんだよ
三国志では「泝(+固有名詞川名)」が7回 使われているが
川の「水行」はない いつも思うんだけど陳寿のほかの国の記述で行程とか検証する人っていないよね >>926
だから
水行一月陸行10日は、帯方郡から女王国の
距離 朝鮮人と言う場合、頭に古代を付けて欲しい
非常に紛らわしいので
古代の、新羅・百済・任那は倭人なので >>853
>倭に行った使者の書いた報告書をそのまま書くしかない
一本の報告書より、「倭国は南方の大海中の島国」という古来の伝承の方が信頼度が高いんだよ
陳寿にとってはね >>931
当時の倭国の川には名前がないからそう書けなかったんだろうね
名前が無いから水行とだけ書くしか無かった
逆に、そこが海であることを示さずに海を水行した例は三国志以外でも全く無い 瀬戸内海を水行して、河内平野の歩きやすいとこからは歩いたんだよ
瀬戸内海は源平合戦の時代も船だし、あんなとこ歩かないよ >>859
>そうなると完全に熊本あたりだなやっぱ
それだと奴国と投馬国はどこになるの? 隋書倭国伝では、都へ行くのに対馬→(東)壱岐→竹斯→(東)秦王国→十余国を経て海岸に達するとある
またその後に竹斯以東は〜と記述があるので十余国は竹斯の東にあることがわかる
この時代はさすがに倭国の中心は大和地方だろうし、その行程も現実と合っていると見えるが
魏志倭人伝の邪馬台国への行程とは異なっている >>935
新羅は元は辰韓
辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲したのだと自称する。
そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。
雑に言うと秦(中国)の難民の国 >>939
それなら陸行10日もかからない
上陸して屁こいたら奈良やで >>861
>お前はさっきから決め付けばかりだな
伊都国の太陽信仰の根拠が一切出せない>>861の自己紹介ですか? >>945
日数とか距離とか方位が超誇張されてデタラメなのは説明要らないだろ >>916
投馬国が邪馬台国までの道のりにあるとは書いていないぞ 隋書で秦王国が唐突に出てくるよな
あれ文字通り違和感ある >>863
>特に説明がない場合は河川
川の移動には別の用語「泝流」が使われるから、そのいい訳は通らない 帯方郡(現在のソウル)から、朝鮮半島の
西側を船で下って、対馬、壱岐、を経由して
松浦(現在の唐津」辺りに着くまで10日
松浦から、陸路で10日の範囲なら
女王国は九州で決まり レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。