【歴史】鳥取市の青谷上寺地遺跡から出土した大量の人骨、1世紀から2世紀の弥生時代後期に大陸から渡来か。DNAで判明
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181019/k10011677081000.html
鳥取市にある青谷上寺地遺跡で出土した大量の人骨は、1世紀から2世紀の弥生時代後期になって
新たに大陸から渡来した人々だった可能性のあることが、国立科学博物館などのDNA分析でわかりました。
まとまった数の弥生人のDNA分析から渡来人の集団の実態に迫る研究は初めてです。
青谷上寺地遺跡は鳥取市にある弥生時代の集落跡で、平成12年に国内で初めて当時の人の脳が出土したほか、
大量の人骨も見つかり、全国的に注目されました。
国立科学博物館や山梨大学などの研究グループがおよそ40点の人骨の「ミトコンドリアDNA」を分析したところ、
ほとんどの人骨のDNAの特徴が中国や朝鮮半島の人のものと共通していることがわかりました。
人骨は1世紀から2世紀の弥生時代後期のものとされ、それより前から日本列島で暮らしてきた縄文系の人々との
交わりもある程度、進んでいたと考えられる時期ですが、DNAにそうした特徴は見られず、研究グループは、
新たに渡来した人の集団だった可能性があるとみています。
まとまった数の弥生人のDNAから渡来人の集団の実態に迫る研究は初めてで、国立科学博物館の篠田謙一副館長は
「さらに詳細な分析が可能な核DNAの調査などを通して当時の状況を明らかにしたい」と話しています。
この調査については、19日から開かれる日本人類学会で報告されます。 >>93
今の半島に住んでるのはエベンキてツングース属やモンゴルの末裔が9割くらいだからDNA判定だと難しいね >>97
大昔から根が一緒だったと言ってんだよ
自然言語の構造(根幹)はそう簡単には変わらんよ 高句麗だった半島中部の地名に使われている単語に上代日本語と似てる単語があるのは事実
しかし高句麗語が日本語に似ていたのか、それとも高句麗に支配される前の半島中部の先住民族の言葉が日本語に似ていたのか分からんぞ 日本語と韓国語は文法がまったく同一
つまり共通言語から分岐したもの
ちなみに日本語と琉球語の分岐は1500年前
1500年でも文法は同一のまま単語が変化し何いってるかサッパリわからんくなる 縄文系日本人=D1b
弥生系日本人=O1b2
現代韓国人=O1b2
これ事実アルね 当時なら益をなさない余所者をマトメて追い詰めて
虐殺しててもなんら不思議はないよな >>6
あのー、なにかと日本が奴隷にしたとか言うけど、
無能な朝鮮人を奴隷にするほど日本人はバカじゃないので。
いま日本にいるのは密航者の末裔です。
これは史実です。 >>36
そのエベンキ要素が強く感じられるのはどういうことなんだろうか google翻訳で 日本語→韓国語にして
新聞
監視カメラって打ってみ。超ウケる〜 エベンキ族はCであってOではない
混同してはいけない チョソン語の特徴的な P から始まって N で終わる単語や地名がどうも違和感があってしっくりこない >>107
ま、確かにね。
でも、
朝鮮半島にはなくて、日本にだけ存在する遺伝子が結構な割合であるんだよね、たしか。
まったく同じじゃないし。 >>13
はぁ?そうか…ならば、今の日本は韓国の挑発にも乗らない賢い国で…逆に韓国の振る舞いは、国と国の約束を簡単に反故にする愚かな国だからな…ですから…指図め賢弟愚兄の構図ですか…😼 >>105
「韓国人」はいないと思うがw7世紀の大化の改新(皇子が権力者をじきじきにぶっ殺した)は
ちょうど半島の使者を招待するレセプションン時に行われたんだよね
海の向こうに異民族がいる事は普通に周知されてたもよう 藤原氏のミイラがO1b2だったんだよね
つまり渡来人
これは確定している
藤原氏の祖先の中臣鎌足が百済救済に躍起になっていたのも頷ける やっぱ山陰地方は渡来人の巣靴か
あっちの数ある神話もあれやな ま、白人から見れば日本人も韓国人も区別つかないし
黄色いサルだし >>27
いまの朝鮮民族って、奴隷時代に品種改良された別物だよ。
弥生時代の遺伝子は壊れていなかったと思う。 O1b2って日本で割合多くて朝鮮での割合ものすごく少ない 藤原氏とその直系子孫の佐藤さんは韓国人と同じ遺伝子らしいね >>107
縄文人・弥生人と分けるのは昔の仮設
DNA鑑定で縄文も弥生も同じ人種だってのは明確にわかってる
縄文時代から稲作もしっかりと行なわれていた
違うのは、仲良く暮らしてた日本に、大陸から人が来て
殺し合いが始まったってこと >>1
NHKの馬鹿記事w
核DNAを調査しないとダメでしょ? >>1
渡来人、お前らとはつきあってられないから日本行くよ、バイバイキーン
というわけで日本に来ただけ >>128
大陸がこなかったら中南米のモンゴロイドみたいに
侵略されてたわ平和ボケで 倭国大乱
日本固有の縄文人と
半島からやってきた弥生人の争い
勝者は弥生人
おれたち現代日本人の祖先ニダ 魏志倭人伝みると一夫多妻制がみえる。
朝鮮半島南部にも大和朝廷の国もあった。交配は進む。 >>1
だから青谷上寺地遺跡から皆殺しにされてゴミ捨て場に無造作に投げ込まれたような遺骨が出てくるんだな
異民族だから土着の弥生人に襲撃されて皆殺しにされたわけだ
当時としてはレベルの高い木製品を製造してそれを売って食料等を手に入れてた証拠もあるしな
納得 インドネシアは日本人顔がめちゃ多い
韓国は耳アカカサカサ一重だしちがう 渡来人が来たのは九州北部だけじゃないってこと
出雲などの山陰地方も渡来人が移住して勢力をきずいたんだろうね
記紀の前半部分は渡来人の伝承ですよ >>45
でも、日本人のトップである陛下は弥生人だろ
稲作やってるし >>人骨のDNAの特徴が中国や朝鮮半島の人のものと共通
根拠のない話だな。 日本人のウンコ食おうと襲って返り討ちに遭ったのか
ウンコリアンやばいわぁ... >>55
両方チャイナの移民
ただし、日本人は縄文人と混血
朝鮮人は満蒙と混血
そこが大きく違う >>132
平和ボケとかは知らないけど
縄文人がいた所に外から弥生人が来て人種が変わったってのは違うってだけ
そんな事になったら4万年前のDNAが日本人の半分も持っているわけが無い
縄文と弥生の生活形式が変わったのは人種が変わったわけじゃなく
外敵(大陸人)が来て殺し合いが始まったってだけ
日本人は日本人としてずっと暮らしてる >>120
DNAはまったく関係ないと思う。
百済が日本の属国だったこと。
百済に和人が多くいたこと。
当時の情勢を分析しての判断だと思うよ。 >>141
百済王とは、姻せきだね。
陛下自らから発言していた。
まあ、日本に退避してきたけど。 >>146
それは違うな
縄文と弥生の区分はあくまで稲作であって
稲作が伝来してからは縄文人も弥生人に呼び名が変わるw よくdna調べてみ?
現代の韓国人とこの渡来人は別の人種って分かるから。 スサノオが新羅から渡って出雲に来たのもなんらかの渡来人の記憶なんだろうね エヴェンキ族と漢民族の混血
その末裔が現代の朝鮮人なんで、古代の半島人とは関係ございませんよ? >>63
Oは漢人の系統
Cは満蒙の系統だよな
だから満蒙と混血していない日本人はツリ目エラ張りじゃない >>150
残念
1万2千年前の稲作の後が出土してる
2千年前くらいの弥生時代から稲作が始まったなんて
化石みたいな考え方は変えたほうがいいよ いやこれ侵略しに来て返り討ちに遭ったパターンだろ
当時からヘナチョコだったんだよあいつらは あ〜、また馬鹿NHK
朝鮮半島とのミトコンドリアDNAの一致は、渡来人ではないがな
もっと残酷な虐殺理由で一致してんだよ >>160
正解。縄文地域でも稲作や関連、出土品多いですから。 >>104
併合時代に文法を統一した可能性はないかな?
日本語への移行の前段階として。
当時の朝鮮の識字率はかなり低かったみたいだし、教育で一気に置き換える事は可能だと思うんだ。
当時の口語が漢文由来なのか、独自の物なのか分かる人はいるかい? いつの時代もあいつら日本に密入国してんな
中国も朝鮮も情けない泥棒民族達だぜ
かっこ悪っ 1 檀君朝鮮はまったくの神話、中国のどの歴史書にも登場しない
2 箕子朝鮮は伝説上の国、中国人の箕子が建国した中国人の国家。『史記』巻38宋微子世家「武王既克殷、
訪問箕子、於是武王乃封箕子於朝鮮」
3 衛氏朝鮮は考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家で、燕王盧綰の部将であった、衛満が朝鮮に亡命し建てた亡命政権
4 もちろん衛氏朝鮮の王も朝鮮人ではない『史記』朝鮮列伝「朝鮮王滿者、故燕人也(朝鮮王、満は燕国人である)」
5 衛氏朝鮮もBC108年に前漢の武帝に滅ぼされ、故地に楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地
6 『後漢書』に「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。」とあり、
箕子朝鮮の最後の王、準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その馬韓が百済になった
7 百済は扶余系民族だから言語的にも民族的にも今の韓国人は殆ど関係ない
8 高句麗と渤海はツングース民族で、同じツングース民族の満州族系 「高句麗→金国→後金国=清国(女真族のご先祖)」 9 濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」、
黄文雄「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」
「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数
民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄著『満州国は日本の植民地ではなかった』)」、
鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の?族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、
山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」、
護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、
4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、
森安孝夫「【渤海】現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州、
北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系の民族国家(Yahoo!百科事典)」、
藤本和貴夫「7〜10世紀には極東地方から満州、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建てられた(Yahoo!百科事典)」、
広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、 大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」「【渤海】698年、ツングース系靺鞨族の首長大祚栄が建国」
10 新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国
11 『北史』新羅伝「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、
馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。」「新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地
は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来
した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている」 12 『後漢書』辰韓伝 「辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、
行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。」「辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界
の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と
呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。」
13 唐が高句麗・百済を滅ぼし、旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府とした為、朝鮮半島全域が一時期中国領となった 14 結論として朝鮮民族は新羅が直接のご先祖。でも・・・悲しいことに
15 その新羅も王は朝鮮人ではありません、日本人でした。
金氏王統の始祖瓠公は日本人
(瓠公は新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物)
『三国史記』新羅本紀
「瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。」
(瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。
初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、瓠公と称される。)
昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)は日本人
『三国史記』新羅本紀
「脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。」
(脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。) 16 それもそのはず古代において半島南部は日本の属国でした
『隋書倭人伝』
新羅 百濟皆以倭為大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來
(新羅と百済は倭国を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに倭国を大国として
敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)
広開土王碑文
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。
17 ちなみに弥生人は朝鮮人ではない1999年3月18日に、すでに江南人骨日中共同調査団が
「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。 縄文人には領域国家という概念が無かったと思う
弥生人が持ち込んでヤマト王権へ 18 高麗を征服した元は朝鮮半島北西部に東寧府、双城総管府の植民地を設置
19 1259年、高麗の太子(のちの元宗王)がフビライに降り、その息子忠烈王は、1260年に大ハーンに即位したフビライ
の娘婿となった。これ以来、代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル皇族の婿となって元朝の宮廷で暮らし、
父の死後、高麗王の位を継ぐのが習慣となった。高麗王の母は、みなモンゴル人になったの
20 李氏朝鮮も実は、朝鮮人王朝では無く、女真族王朝だったの。なのに女真族ををオランケと呼び差別していた
21 15世紀の李氏朝鮮の世宗の時代に侵略して併合し、朝鮮の領土に組み込むまでは、李成桂の出身地の咸鏡道を含む
朝鮮半島北部(咸鏡道、平安道)は女真族居住地域であり、女真族の領土だったの
22 李成桂は女真族の酋長の李之蘭と義兄弟の契りを結ぶなど、李一族は女真族の配下を多数抱えていたの 23 女真族はモンゴル名を持っており、父李子春は吾魯思不花というモンゴル名を持っており、さらに祖父李椿は孛顔帖木兒、
李子春の同母兄李子興は塔思不花、李子春の兄弟も完者不花、那海などモンゴル名を持っており、モンゴル語で書かれた
一族の家系図から、李一族のモンゴル名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれていないの
24 元に仕える行政長官ダルガチは、原則としてモンゴル人か色目人が任用されたが、元初期には一部の南人や契丹人、
女真族が、モンゴル名を持つことでモンゴル人とみなされ任用されたが、李成桂の四代前の高祖父李安社はダルガチだったの
25 千戸長として女真族の統治を行っていたの
26 『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。
生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。(三海陽にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、
度祖(李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟である。彼は女真で育ち(女真の族長になった)、
腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった)」
という記事があり、女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然なの 「最近朝鮮事情〜朝鮮の人々」 1906年 荒川五郎 著
・肺結核や解熱として 小便 を飲む、いよいよ病気が酷くなると、大便 を食べる。
・穴で暮らしているから夏は暑く家の外で寝る。顔の近くを 大便 や 小便 が流れているが、朝鮮人にとっては臭くないらしく、平気で寝る
・衛生観念は全く無く、獣に近い。
・濁っている水だろうが、小便 や 糞 が混ざっている水でも 平気で飲む。
とにかく不潔で、味噌と糞も朝鮮人にとっては一緒だ。
・驚くべき事に小便で顔を洗う。
・婦人が洗濯をしているので見てみると、小便水と見分かない黒い水に洗濯物を揉んだり打ったりしている。
・勤勉とか責務という観念は無く、雨が降ったらそこらじゅう水だらけになるので仕事をしないで呆然としている。
・雨が降ると動かないので雨具が無い。日本の傘を入手すると嬉しそうに周囲に自慢している。要するに、治水という概念が無い。
・雨が降って水が濁っても、ろ過して使うという事をしないで濁ったまま水を使う。とにかく衛生観念が無く、伝染病がはびこっている。
・壁は馬糞を混ぜる。壁が固くなるそうだ。 日本人=モンゴロイド
中国人=モンゴロイド
韓国人=モンゴロイド 渡来人は継続的にかなりの人数が渡って来てたんだろうね
今の日本みたいにね >>36
でも、形態的の有意差をもって識別できるんだよな〜
無論、整形前だけどw >>165
口語は今も昔も普通の朝鮮語でしょ
一部両班だけが文語で漢文を使っていて
それがエリートの証だった
だから、口語を文字化したハングルは愚民文字
ソースないけど併合時に文法統一はありそう
全国一律の統一的な義務教育が始まらないと
方言で意思疎通できないし
今のチャイナがまさにそう ちょうど呉楚7国の大乱があった頃かな。大陸で大量の難民が出てた頃と一致するね。 当時の海辺、水際に埋められてるので海戦での死傷者なのかな?
百済からやってきた人たちが地元の人に海上で襲われ死んだ
それをまとめて埋めたのがこの遺跡 伝〜春秋戦国支那大乱逃げて来た人達、元寇達壱岐対馬U上陸即皆頃氏 日本の中で特徴的な外見をもつのは、アイヌとウチナンチュみたいな縄文系
宮崎人みたいな長頭人種
丸顔のっぺり平らな顔族、高知人ぐらい。 大和民族は日本列島で発生した生物の一種であり
その系譜は神に至る。従ってホモサピエンスとは
一線を画しており、人類を司る上級霊長類と分類
される。日本人をその辺のニンゲンと同様に考える
奴は反日売国奴だから日本人やめろ。 その頃の古代朝鮮人と、
現在のモンゴル民族に大量虐殺民族レイプを受けて
遺伝子が穢れた朝鮮人とは
猿とゴキブリ程度に脳味噌のできが違う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています