>>924
1
当時、薩摩による「幕府征討の勅」が実際に降りた、とか噂が飛び交ってまして、(実際は天皇も二条関白も署名してない。嵯峨が署名無しの文書を書いただけ)
これに対抗する手段として、徳川慶喜によって実行された。
2
土佐が熱心に受け入れを要求していたので、徳川慶喜は「受け入れたら土佐は我が陣営」と考えた。
3
徳川慶喜は「どうせ江戸幕府は、自らの新政府によって解体される用済みの存在」として価値を考えなかった。
4
薩摩は「江戸幕府が無くなれば、朝廷を押さえると日本政府を押さえたのと同じになる」、と大政奉還をダメモトで推進していた。