【大阪】「邪馬台国」卑弥呼の後継者“台与”の西晋朝貢以降〜「倭の五王」時代までの「空白の4世紀」に迫る特別展★4
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4世紀の外交を示す数少ない文字史料である七支刀(複製品)=大阪府河南町の府立近つ飛鳥博物館で
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「加耶」と呼ばれた朝鮮半島南部とのつながりをうかがわせる筒形銅器=大阪府河南町の府立近つ飛鳥博物館で
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「謎」があると歴史は面白くなる。大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)で開催中の特別展「4世紀のヤマト王権と対外交渉−東アジア情勢と古墳の変化−」は、信頼できる文献が少なく「空白の4世紀」と呼ばれる謎多き時代に焦点を当て、わずかな文字史料や古墳の副葬品などから輪郭を浮き上がらせる試みだ。
4世紀、中国の歴史書から倭国(古代日本)の姿が消える。3世紀以前は、いわゆる『魏志倭人伝』にある邪馬台国や卑弥呼の記述などから積極的な外交関係がうかがわれる。しかし266年に卑弥呼の後継者、台与(とよ)が西晋に朝貢して以降、5世紀の「倭の五王」の時代まで記録がなく、長く関係が途絶える。日本の外交に何が起きていたのか。
4世紀のわずかな文字史料の一つが、石上(いそのかみ)神宮(奈良県天理市)に伝わる「七支刀(しちしとう)」(国宝)だ。展示は複製品だが、表裏に刻まれた61文字の銘文を確認できる。内容については諸説あるが、大まかには「泰和4年5月16日、よく鍛えた鉄の七支刀を作った」「百済王の世子である奇生聖音が倭王のために作らせた」などとされる。「泰和」の年号は東晋の「太和」とみられ、369年に作られたことになる。日本書紀には百済から「七枝刀」などの宝物が献上されたとの記述があり、その関連性が注目される。4世紀後半、日本が朝鮮半島の百済と親密な関係を結ぶようになったことをうかがわせる「証人」だ。
古墳の副葬品も空白を埋める貴重な存在だ。展示を担当した広瀬時習(ゆきしげ)総括学芸員は「3世紀後半ごろまでは三角縁神獣鏡を中心に中国とのつながりを示す品が多いが、徐々に変わる。銅鏡は日本産とみられるものが増え、バラエティー豊かな石製品や特殊な青銅器がみられるようになる」と指摘する。
日本と朝鮮半島で同じ遺物が見つかることもある。「筒形銅器」と呼ばれる縦笛の先端のような形をした青銅器もその一つ。長さ15センチ前後で、やりなど長柄の武器の石突きだったとか、棒の先端に付けて祭儀具として使われたという説がある。韓国では最南部の王墓級墳墓から出土。この地域は当時「加耶(かや)」と呼ばれ、日本にとって大陸の玄関口となる重要な場所だった。日本では近畿から中国地方にかけての広い範囲で大小さまざまの古墳から見つかっており、それぞれの被葬者が朝鮮半島と行き来する中で入手した可能性も指摘されている。
展示を通じ、4世紀の日本外交が、南北朝時代という次々と王朝が変わる混乱期にあった中国から、朝鮮半島、特に加耶や百済へとその重心を動かしていたことがおぼろげながら見えてくる。広瀬さんは「3世紀から5世紀にかけては、巨大な前方後円墳が集中するエリアが移り、ヤマト王権内部で勢力の主導権争いがあったという考えも出されている。そこには、それぞれの勢力の独自の外交方針が影響していたのかもしれない」と指摘する。謎の世紀をめぐる想像は尽きない。
12月2日まで。月曜休館。近つ飛鳥博物館。【花澤茂人】
毎日新聞 2018年10月21日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20181021/ddm/014/040/047000c?inb=ra
★1:2018/10/21(日) 19:08:36.45
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540287017/ 神話とリアルをごっちゃにしちゃってる人って病院いったほうがいいよ ふうむ
卑弥呼の鬼道と三輪山祭祀と出雲に残るプレヤマト政権の痕跡
この間を結ぶ要素を探してみたいな
琥珀の中の虫のように、出雲に封じられた初期連合の名残とともに卑弥呼の痕跡が残っていてもいいと思うんだが
因みに伊勢神宮は天智朝以降の古代憧れ祭祀なことが解りつつあるので考察からは除外だ 入れ墨の風習はアイヌにもあったし、弥生系だけでなく縄文系にもその風習があっても不思議じゃない >>931
卑弥呼のちょっと前くらいに大飢饉で半島まで1000人単位で渡航した記録はある まぁ〜卑弥呼の時代から約千年後に書かれた東方見聞録だってあの様だ
三蔵法師の西遊記に対してギ使の東海ヤジキタ漫遊記の可能性も否定できない
ましてや役人だろーw 韓国パブ辺りでパフパフしていたんじゃねーのw >>955
タウポ火山の大噴火かもしれんね、世界規模で大飢饉って記録に残る 北部九州勢で気になるのは、力を持っていたはずの安曇氏が白村江以降すっかり勢力を失ってること
磐井の乱でも筑紫野君と姻戚関係だったし、何か都合が悪くて記紀では脇役に追いやられてる感 >>955
だからぁ〜国力の割に女官千人はどっから見ても多過ぎるって
確か大奥が全盛期の頃のかず >>894
そこで年代測定に誤差があると言い出したんじゃなかったっけ?w 4世紀は主力勢力が半島進出してるから列島が空白なんだよ。
纏向辺りは後詰の物資補給拠点。
凱旋後の国内は武装から一気に様変わりすることと吉野ヶ里の都市機能の変化が何より証明してる。 建武中元二年 ⇒ 西暦57年 ⇒ 垂仁天皇86年(皇紀717年)
垂仁天皇 ⇒ 「纒向珠城宮」
景行天皇 ⇒ 「纒向日代宮」 >>946
皇紀をまともに受けとるとか見てる方が恥ずかしいからやめてくれ
>>952
神話が全てフィクションだと考える方が不自然なのに何を宣ってんのかね >>960
炭素14の年代測定誤差はあらゆる場面、立場で使われるw
まぁ実際50年100年レベルは誤差あるから仕方ないんだけどみんなが知りたがってるのは西暦100年から400年という狭い範囲のことだからねぇ
縄文期みたいに千年単位で知れればいいなら有効だけどたった300年の間の事となると信憑性が薄らぐのは仕方ない >>956
マルコさんは、福建 泉州市に滞在して、
ジパングと書いたことから、
ジャパンなんだが、
福建語は、北京語と発音ちがいがある。
日本国は、
かのちでは、
jit pun kok と発音。ジップンコォック。
日本と説明されず、日本国とせつめ 途中送信、失礼しました。
日本国と説明された可能性あり。 魏志倭人伝
> 南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日 彌 彌 那 利 可五萬餘戸
日本書紀 巻第七
> 二曰 耳 垂 。殘賊貧婪、屡略 人民。是居於御木木、此云開。
つまり投馬国は御木
いまの福岡県三池郡あたりと比定できる
この部分について だ け はほぼ間違いない
しかもコイツを 景 行 天 皇 が し ば い て る
つまり魏志倭人伝をどこをどう読んでも
邪馬臺国は畿内しかない コレが定説
九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ
時間と空間の設定―神武東征と即位― そのカムヤマトイワレヒコは
よき地をもとめて日向から大和へと東征し、磐余宮で即位して初代の神
武天皇となる。これは地上における大和という地理的な特定地点の由来
を説明する物語である。ここで最重要の主題は、 神話から歴史への転換、
つまり、人間としての神武天皇という存在の位置づけである。そして
もう一つが現実的な空間的地理と時間的年代の設定である。時間につい
ては天孫降臨から一七九万二七四〇年余が経過したといい、東征の開始
の年を「是年、太歳甲寅」とし出発の日を「冬十月丁巳朔辛酉(五日) 」
としている。そして、橿原宮に即位した神武天皇元年が、辛酉年の正月
庚辰の朔(西暦への換算では紀元前六六〇年)としているのである。空
間については、出発地を九州の日向として瀬戸内海を通過し浪速、河内
から紀州へと旋回して熊野から大和の東部山中の菟田に出てそこから西
方に向かって大和盆地へ入る、という地理的関係を設定している。
ここで重要なのは大和盆地という現実的な王権発祥の土地であり、出
発地の日向については神話的な構成の産物にすぎないという点である。
先の一七九万二七四〇年余という時間が歴史時間として虚構であるとす
るならば、同時にこの日向という空間と地理も神話的な構成によるもの
である。それは、 『日本書紀』第9段の天孫降臨の一書〔1〕で、天孫
降臨の地が「筑紫の日向の」高千穂のクジフル峯であるといい、 『古事
記』でも同様で、 さらに「此地は韓国に向ひ、 笠沙の御前を真木通りて、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地。 」と表現
されていることからも明らかである。 「筑紫の日向の」小戸の橘の檍原
に至りまして、という言い方は、三貴神の誕生を記す『日本書紀』第5
段の一書〔6〕でも、『古事記』でも同じくみられる表現であり、この「筑
紫の日向の」という表現こそが重要な伝承である。その筑紫は地名であ
り日向はその筑紫における太陽信仰に関連する呼称である。それについ
て現実上の日向国という地理的認識を与えたのは、国郡制などが整備さ
れたのちのことであり、記紀編纂の最終段階であった可能性が高い。つ
まり、一七九万二七四〇年余という時間と日向という空間とは現実の時
間と空間ではなくまだ神話の中での伝承情報と考えるべきなのである。 >>967
官と副は、国で同じ名前があったりするんだから、
個人名じゃなく役職名
てことは他の国にも同じ呼び名がいて当然 現代でも100年前なんて記録が曖昧になるのに
古代口伝の時代の記紀神話なんて王権支配に利用する作り話で信憑性は薄いし、複数の人物像が時間と共に重なってたりするんだろ。 >>961
秀吉の朝鮮出兵だって政変の元を創っている
ましてや完全な負け戦ともなれば不平不満も爆発するだろう >>585
高だか100年の間に親子継承だけで14人も天皇詰め込むのは無理有りすぎだろう
兄弟継承とかが多かったのなら分からんでもないが 卑弥呼の時代は普通の親子継承で考えるなら崇神とか垂仁の時代だよ 大陸王朝が倭王と認めたのは
卑弥呼と壹与
記紀に出る3世紀辺りの王は男王ばかりで全くあてにならん >>972
まぁ〜兄弟継承で骨肉の争いを繰り返した反省から継体天皇制度が生まれたのだろう。
戦後の自民党傀儡政権と同じだ
違いは中国本土でも政変が続き支配体制が変化したこと。
その辺の事情から火出国の天子より鎮火した天子へって外交文書に成ったのだろう。 >>974
大海原に旅だったジャケが産卵の為に帰って来るのかも知れんな
サーモンピンクなんて言葉の由来だろう。
https://m.youtube.com/watch?v=-cNj6TRp1YE >>941
だから魏の連中は船からおりていないんですよ。
方向や国の名前は倭人のガイドの言うままを記載、風景だけは自分の目で見たものを書いたんでしょう。
ですから邪馬台国は呼子から見て南東にあるわけです。 >>981
俺もそう思う。
実際のルートは、狗奴韓国→対馬→壱岐→伊都国。
壱岐から見て、末蘆国から南東に見える伊都国までの陸上距離が500里。
これを見ながら千里進んで博多湾に入ったと思うね。 >>665
隠したんだと思う
繋がりがあるなら「魏と外交を行っていた大国の女王 卑弥呼は天皇家の先祖だ」と堂々と記すだろう 卑弥呼の国「やまたい」の名を借りて支配王権が「やまと」の名を付けたんだよ
対支那への都合上つながりがあるかのように見せておかなくてはいけなかった 京都御所を離れて東京へ引っ越した明治天皇は征夷大将軍に任命されたのだと思う
よってその子孫が行うダイジョウサイはAVナメナメ祭で海外の来賓を招いて鑑賞させる者では無い
ノウカンの儀に一般参列者を参加させる様な者だ
悪魔でも国内の儀式 https://m.youtube.com/watch?v=AqrW3V01NB4 うむ。卑弥呼が大和の斎王だとすると、いつの時期に中枢が金印もらった北部九州から移ったのか興味があるから是非続け給え >>986
女性宮家を認たら小室も参加するのかなぁ〜
愛子とかヒサヒトが愛継いでカワヤの中で脳膜円患うとか
調べてみたら桃の種の代わりに銀杏のの種がわんさかわんさか出て来たりして >>940
まず邪馬台国なんて何処にも書かれていない。
書かれていない邪馬台国を基準に話しても永遠に妄想の域を出ない。
邪馬壱(ヤバヰ)
>>963
神話伝承は仏教導入後に入ってきた他国の物語や創作が入ってるのは事実。
名を奪うのはインドの有名な神の話に書かれてるしな。
大国主の話にも他国の物語が入ってる。
出雲が対立していたのは事実みたいだが、神話時代の話じゃなく飛鳥時代奈良時代。
ヤマトタケルの神話で、出雲に侵攻するのに難波と吉備の神を倒し、水路(難波)と陸路(吉備)のルートを確保と書かれてるが、これらも事実だろうが時代が後だろう。
事実吉備氏と出雲は奈良時代頃同時に攻められてる。
出雲は吉備と難波(河内)に仲間がいたのも事実だろう。 斎王が肌身離さず持っていた物はなにかっていうと鏡だよ >>585
在位期間って安本説のこと?
あれは意味がないと思うな。
崇神以前は天皇というか大王ではなかった。
だから「王の在位」に当てはまらなくても問題ない。
崇神天皇にも父がいて、その父がいて・・という事実だけだ。
多くの資料から、雄略はほぼ470年前後に活躍した人で一致している。
倭の五王は、彼や彼の父や祖父の代。
神功皇后が369年の七支刀の時代でも問題ない。
日本書紀の130歳とかはあれだけど、古事記にはそんなことは書かれていない。
崇神天皇以前の墓の記録を見れば、でっち上げではない。
もしもでっち上げるなら、神武の墓はもっと巨大な墓に、神武〜開化の9つの墓を
ヤマトの200m級の前方後円墳にでっち上げることだって出来た。
なのにそれをしていない。
磐余の地に桜井茶臼山古墳だって存在するのに。
初代から9代は、天皇家の先祖の伝承そのものなんだろうな。 山井で探すと結構出てくるな。
岡山や福岡にもある。
記紀には和泉に山井水門と書かれているが、山井水門のある泉南市は自ら山之井なんぞと改名してる馬鹿者。 邪馬台国はヤマタ國でヤマタノオロチの出雲だな
狗奴国は吉備國だろう >>985
>卑弥呼の国「やまたい」の名を借りて支配王権が「やまと」の名を付けたんだよ
>対支那への都合上つながりがあるかのように見せておかなくてはいけなかった
九州説はよくこれを言うけれど、大陸中華には易姓革命の思想がある
前王朝が徳を失ったから、新王朝を立て新しい国号とした方が正当性をより主張できる
魏も漢朝からの禅譲ということになっているけれど、漢ではなく魏を名乗ってるだろ?
新しい国が朝貢に来たという方が喜んでもらえるんだよ >>996
もとは倭国のヤマトでしょ
それが東に引っ越して日本国のヤマトになった 東西南北の方角は日没の方角、日の出の方角を毎日見てその日のうちにリセットするから
前日多少方角を謝ったとしても翌日に持ち越す事は無い。だから方角間違いは大きくても
90度の半分45度未満に収まる従ってどう間違っても何日も南を東と間違うはずは無い。 中国の常識は日本の常識という訳ではない
日本では革命なんて起こってないし 邪馬台国は吉野ヶ里遺跡もしくは筑後市から八女市付近でまだ未発見の地域のはず。
狗奴国は熊本県菊池市付近 このスレッドは1000を超えました。
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