「桜花」を紹介する映像の一場面
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筑波海軍航空隊記念館(笠間市)は、特攻隊の歴史や元隊員の証言を基に、特攻と茨城の関わりに迫るドキュメンタリー映像を完成させた。特攻と言えば、人類史上初めて体当たり攻撃を前提に百里ケ原海軍航空隊(小美玉市)で編成された神雷部隊桜花隊が知られる。映像制作のため同館が行った調査によると、桜花隊設立時の分隊長候補全員が筑波海軍航空隊(筑波空)出身者だったことが分かった。元隊員の記憶を紡いだ映像は、特攻の起源に茨城が深く関係したことを如実に物語っている。

特攻隊の歴史や元隊員の証言を基に、映像制作の中心を担ったのは、同館長の金沢大介さん(48)。筑波空の操縦教官で神雷部隊桜花隊の初代分隊長だった故林冨士夫さん(宇都宮市出身、2015年に93歳で死去)の遺族から、同年に段ボール10箱分の資料を寄贈されたことがきっかけとなった。

金沢さんは、さまざまな部隊を経験した林さんが戦後、筑波空での慰霊にこだわり、「特攻作戦が始まった原因は自分にある」と証言した真意を探ろうと、林さんをはじめ、筑波空出身の元隊員らの証言を基に、特攻の起源と茨城の関わり、特攻兵器「桜花」などについて調べ直した。

今回、林さんら桜花隊の初代分隊長候補全員が筑波空出身だったことを突き止めた金沢さんは、「人材を選出するなど特攻が容認されていく過程で、筑波空は重要な存在だった」と分析。「桜花」の訓練が神之池海軍航空基地(神栖市・鹿嶋市)で行われていたことや、旧陸軍初の特攻隊万朶(ばんだ)隊が鉾田陸軍飛行学校(鉾田市)で編成されたことなどを踏まえ、「特攻の起源と茨城との深い関係性が鮮明になった」と強調する。

完成した映像は24分。11月1日から館内で上映される。(沢畑浩二)

★桜花

全長約6メートル、両翼を含めた全幅約5メートルの小型機。機体の先端に1・2トンの大型爆弾を積み、中央部にパイロットの座席、後部には推進用のロケットを搭載。母機である全長約20メートルの一式陸上攻撃機に搭載されて飛び立ち、敵艦の上空で放たれる。その後、滑空したり、ロケットを噴射して下降し、敵艦に体当たりする。桜花搭乗員として部隊に配置された隊員は500人を超え、訓練は神之池海軍航空基地で終戦まで続いた。このうち約150人の隊員が桜花や零戦での特攻作戦で死亡、神雷部隊全体では700人以上が戦死した。 (写真は筑波海軍航空隊記念館提供)

茨城新聞 10/30(火) 13:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181030-00000007-ibaraki-l08