★やさしい韓国史★

〜1910年

 ∧0∧
( `八´)
(  ̄|| ̄)   ニ∧_∧ <ははぁ!宗主国様〜
| ̄.| ̄|   <`∀´ ;>⌒)
/__l _ゝ = と と_(_つ


1910年〜1945年
              . _
,,'⌒丶、     ,,'⌒丶、. |●|
ゝ☆==>    ゝ☆==>| ̄
( ´∀`)   ∩<`∀´ >∩<ウリ達も列強国の国民ニダ!
( =|=,~ )   >     く   大日本帝国万歳!天皇陛下万歳!
| | |     ( 
(__)_)    ヽ,_,フ


1945年〜

  | ̄ ̄|
_☆☆☆_
 (  ´_ゝ`) ∧_∧ <ウリ達は無理矢理イルボンに
 (     )<`∀´ヽ>   併合されたニダ!ホントは
 | | | ⊂  ⊂.)     戦勝国の一員ニダよ!
 (__)_) (__と_)

■韓国皇帝の言葉

伊藤を失った事で、東洋の偉人がいなくなった。
伊藤は我が国に忠実と正義の精神で尽くしてくれた。
自分の骨を長白山に埋める覚悟で、韓国の文明発達に尽くすと言っていた。
日本に政治家はたくさんいるだろう。
しかし伊藤のように国際政治を理解し、東洋の平和を祈った者はいない。
本当に伊藤は韓国の慈父だった。
その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事を理解できない流浪人だろう。
10月27日   韓国皇帝(高宗)

「韓日合邦を要求する声明書」
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交
権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結することになった
のも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられな
い。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからな
い。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっ
そ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らし
てみよう。1909年 12月4日一進会(百万の朝鮮人会員) e